八章 四 イリナ
四
翌日、シルヴァンティスとルアーサスはチャチャエの村に向かった。順調に進めば夕方には到着するはずだ。これまでそれなりの数の討伐隊が送り込まれているはずだが、すべて返り討ちになっている。
シルヴァンティスはこれまでにも剣を使う魔物と戦ったことは無い。だが、話には聞いたことがあった。基本的に魔物は剣を持っても力任せに振るうだけで剣術を知らないし、反射神経は凄まじいものがあるが、それだけでは防ぎきれない攻撃の組み立てには無防備だ。
道中、ルアーサスはシルヴァンティスにこんな事を言った。
「そんなに強い魔物がチャチャエに留まっている理由はなんだろうな?」
「魔物の考えていることなどわかるか。やつらは人間と言葉を交わしたことはない。意思疎通はできない」
「もし言葉を話したら? 『そろそろ殺し合いはやめて仲良くやろうぜ』とか言ってきたりしてな」
シルヴァンティスは苦笑いする。
「偉い学者が言うには、奴らは昆虫と変わらないそうだ。餌を食べ、繁殖するために生きている」
「人間もそう変わらんがね」
「人間には感情があるが、奴らは昆虫と同じで感情や心が無い。『動いて危険な植物』と思え」
「亜人は? 亜人には知能があるだろう?」
「亜人も同じだ。見た目こそ人類に似ているが、中身は植物だよ」
道中は順調で、夕方頃にはチャチャエに到着してしまった。二人は首を傾げる。
「どういうことだ? 普通に着いてしまったが」
「チャチャエの村人が討伐したとか?」
シルヴァンティスは通りがかった若い村人に尋ねてみる。
「すいません、クラグバッツから来たんですが、途中に魔物がいると聞いていたんですが?」
村人は頷く。
「あぁ、あんたら無事に来られて良かったな。だがもう帰ることはできないぞ」
「魔物がいるから?」
「そうだ。村から出る人間だけ襲われる。ここは奴の餌場さ」
「相当強いんですか? その魔物」
「この村がまだ滅んでいないのは、アルシノエス様がおられるからだ。奴と渡り合えるのはアルシノエス様しかいないんだ」
ルアーサスは声を上げた。
「第三王子がやはりこの村に!」
村人は頷く。
「おられるよ。今は村長の家に滞在されている。お知り合いか?」
「国民なら王子が生きていて嬉しいに決まっているさ!」
「まぁそうだな」
そう言うと若者は立ち去っていく。他にも何人か事情を聴いてみたが、例の魔物は定期的に村に来ては第三王子と戦って去っていくらしい。今では村を守っている英雄として大変な人気があるという。
「どうする? 村長の家とやらに行ってみるか?」
ルアーサスがシルヴァンティスに聞くとシルヴァンティスは首を振る。
「行ってどうする。事情を全て話すのか? ずっと考えていたが、俺はもうこの国にいないほうがいい。このまま第三王子だけ城に帰って王になるのが一番だ。俺が連れ帰ったりしたらその場で処刑されかねん」
ルアーサスは腕を組んで溜息を落とす。
「正統後継者が戻ったなら、逆にお前は邪魔者になるのかもな」
「だろ? 後憂を残さないのが王族のやり方だ」
「まぁでも事情を話す分にはいいんじゃないか? 一応は兄弟なんだろ? 会ってみろよ」
「しかし」
シルヴァンティスは渋ったが、ルアーサスの説得に折れ、村長の家に行くことにした。
村長の家は村の中心にあり、夕方ということもあって家から良い匂いがしてきている。ルアーサスは家の扉を拳で二度叩く。
しばらくすると村長の妻と思わしき老女が扉から顔を覗かせた。
「どちら様で?」
ルアーサスは老女にやさしく告げた。
「こちらに第三王子がおられるとお聞きしました」
「はい。アルシノエス様ならおられますが」
「少しお話できませんかね」
老女が訝しげにルアーサスを見たので、ルアーサスはシルヴァンティスの肩を引き寄せる。
「こちら、第四王子にあらせられます」
「!? 第四?」
シルヴァンティスは色眼鏡を上に持ち上げ、銀色の瞳を老女に向けた。それで老女は納得したのか、扉を開き、二人を中に招き入れた。
居間に通された二人は、椅子に座る一人の男に視線がいく。その男は長い銀髪に銀色の瞳をした美青年だった。髪を染めていなければ、シルヴァンティスとよく似ている。間違いなく第三王子、アルシノエスだ。アルシノエスはシルヴァンティスの銀色の瞳を認めると側にあった剣を引き寄せた。それを見たシルヴァンティスも左手を剣の柄に乗せる。
「おやめください」
二人に声をかけたのは、村の村長だった。しかし二人は依然警戒を解かない。
ルアーサスはシルヴァンティスの肩を引いて柄に乗せた手を払う。
「おいやめろ。あー、すいません。第三王子と敵対するつもりはないんです。むしろ逆でして」
シルヴァンティスは溜息を落として戦う意志は無い、と両手を上げる。それを見てようやく第三王子も剣から手を離した。
「その瞳、シャルム王の血を引いているね」
アルシノエスがそう言うとシルヴァンティスは頷く。
「俺は母親の身分が低く、存在を隠されていました。しかし先の内戦ですべての王子が亡くなったとされ、俺に声がかかったんです」
「なるほど、君が王になるには僕が邪魔だというわけだ?」
アルシノエスの言葉にやや警戒心が込められたのでシルヴァンティスは首を振る。確かに普通なら自分が王になるため第三王子は邪魔だと考えるだろう。最初にあれだけ警戒されたのも当然だ。
「王になるには家族を皆殺しにしろと命令されました。そんなのはごめんだ、ということで逃げてきたんですよ」
アルシノエスはまだ完全に信じ切ってはいないようだったが頷いた。
「王になれば欲しいものは大抵手に入るよ。なのにしないのかい?」
「できませんよ。母と姉を殺すなんて。だからアルシノエス様に王になっていただきたいのですよ」
「なるほど、それで逃げながら僕を探していたというわけだ。話の理屈は通るね」
そこでルアーサスは第三王子に尋ねる。
「あのう、第三王子は城から転落して亡くなられたと聞き及んでおりましたが?」
アルシノエスは頷く。
「そうだね、僕は第一王子の兵士と揉み合って、城の窓から転落した。でも、揉み合った兵士も一緒に転落してね、その兵士が下にいたもんだから僕は大怪我だけで済んだんだ。それを見つけた村人が争いに巻き込まれないようにここまで連れてきてくれて。怪我が治ってさぁ戻ろうとしたらこの有様というわけ」
シルヴァンティスとルアーサスは顔を見合わせる。
「剣を使う魔物だそうですね?」
「そうだ。しかも奴は『剣術』を覚えている。正確には僕から剣術を吸収している」
「魔物が剣術を?」
「そう、でもまだ大した腕じゃない。今のところは、ね。毎回しばらく打ち合ったら勝手に撤退していくんだ。まるで稽古をつけてもらいに来ているようだ」
人間より遥かに力が強く反射神経もあり、動体視力も上回る、そんな魔物が剣術を身につけたら手のつけようがなくなる。危険すぎる。
「今のうちに討伐しないと。このままだと」
「確かに、個人では討伐できない強さになるだろうね。だが人間は『策』も『罠』も『囮』も使うことができる。一匹が強くなったところで脅威にはなりえないんだよ」
確かに第三王子の言う通り、個体としてみれば強いのだろう。だが人間の戦略や戦術の前には個々の強さなど無いも同然なのだ。シルヴァンティスはこれまで主に単独での戦いを経験していたのでどうしてもそういう目線で相手を見ていたが、第三王子は個々の強さよりも組織としての強さを見る立場だったから、今回の魔物をそれほどの脅威としては捉えていないようだった。それはそうだ。魔物が戦術、戦略を使うならばとっくに人間は滅んでいる。
「そうかもしれませんね。しかし喫緊の問題としてはそいつを始末しないといけない」
「あぁ、僕もそろそろ城が恋しい。手伝ってもらえるかい?」
「そのために来たんです」
シルヴァンティスは右手を差し出すと王子も右手を伸ばし、固く握り交わした。
その日は村長の家の空き部屋に泊めてもらい、翌日、村の出口に王子と共に向かう。王子の姿を認めたのか、魔物はすぐに姿を現した。魔物は人型で、若い女の姿をしていた。黒い艶やかな革鎧を身に着け、鎧から見える肌は褐色で絹のような光沢を放つ。すらりとした手足には産毛すらなく、頭髪は濃い金色で深い翠色の目、顔は恐ろしいほど整っている。正直魔物でなければ恋に落ちる程だ。魔物は漆黒の直剣を抜き放つと王子に微笑みかける。
「魔物が笑うだと?」
シルヴァンティスが不快感を露わにする。
「そう見えるだけさ。魔物に感情は無いよ。芋も角度によっては笑ってるように見えるのと同じだよ」
第三王子も剣を抜くと魔物に向かっていく。シルヴァンティスと同じアルマキア流のアルシノエスは見るからに優勢だった。だがシルヴァンティスから見るに、型を三つか四つしか使っていない。だがそれはわざとそうしているのだと気づいた。
「あえて型を封印している?」
シルヴァンティスがそう言うと魔物と打ち合いながらアルシノエスは答えた。
「あぁ、全部を吸収されるといざという時に裏をかけない。相手の知らない型があるからこそ有利でいられる」
魔物側としてはすべての型をアルシノエスに吐き出させようとしているのかもしれなかった。しかし、魔物がそこまで考えるだろうか。
戦いはしばらく続いたが、魔物の剣速が次第に上がってきた。人間が振る速度を超え、型で反応して受けることが精一杯な程になった。シルヴァンティスはすかさず間に入り王子と交代する。魔物は最初は警戒していたが、シルヴァンティスの腕を把握したのか、速度は先ほどよりも速くなってきた。しかし魔物が使う型は王子から覚えた基本形のものばかりなので、二択、三択を迫られることはあっても基本的に対処しきれている。このまま受け続けても勝つことはできない。どこかで隙を作らなければ。
シルヴァンティスは型の切れ目を狙い、王子がまだ見せていない型の一つを差し込んで強烈な『突き』を魔物に放つ。攻撃は命中し、魔物の腹を抉った。魔物は驚いたような表情で、下がり剣を腹から抜くと、傷口から透明な液体が溢れた。
唐突に魔物は背中を向け、大きく飛び上がって森の中に消えていく。
「あ! 糞ッ! 逃げやがった!」
「毎回逃げるって言ったよね? いつも引き際は鮮やかだ」
「あいつ、突きを喰らって驚いた顔をしていました」
「変わった個体だけど、まぁあの程度はたまにいるよ」
その晩、シルヴァンティスはあの魔物を姿が忘れられなかった。美しい褐色の肌に金色の髪、深い翠色の瞳……
その日を境に、どういうわけか魔物が村に現れることはなくなった。突きによる傷が案外深手だったのかもしれないが理由はわからない。第三王子はしばらく村にいたが、やはり魔物は現れないので城へ帰還することにしたようだ。
第三王子は村人に優しく、誰とでも挨拶をし、笑い話をした。老人から子供まで分け隔てなく接し、喜怒哀楽を共にしていた。
「えーっとシルヴァンティス。君は本当に王に興味は無いんだね?」
「ありません」
「本来ならここで君を殺すべきなのかもしれない。言ってる意味、わかるよね?」
シルヴァンティスは頷いた。アルシノエスにとって、残る肉親はシルヴァンティスだけなのだ。将来の争いの種になりかねない、とアルシノエスは言っている。
「俺はもう国に帰りません。だから探したりしないで欲しい」
「……わかった。君を信じよう。僕にできることがあるなら手紙でも書いてくれ。弟の頼みならきこう」
そうして、王子は村人に惜しまれながらチャチャエを後にした。シルヴァンティス達も王子と一緒にクラグバッツに戻り、王子とはそこで別れた。王子は村の護衛を何人か借りて城に帰るのだろう。
シルヴァンティスはストロピウスに会い、チャチャエ村の件を報告した。ストロピウスはこれでようやく頼まれごとが果たせるとチャチャエに向かい、普段はクレシェーボにいるから来ることがあれば尋ねてくるようにと言い残して去って行った。
「やれやれ、これで王子が城に帰ればひとまず俺たちは安心だな」
「ルアーサスはこれからどうするんだ? 姉さんと結婚するんだろう?」
「もちろんそうするつもりだ。 だが俺の本職は諜報活動だからな。世界をあちこち旅するよ」
「あまり姉さんを泣かせるなよ」
「たまには帰るさ」
もう逃げる必要がなくなったシルヴァンティスは、ルアーサスともそこで別れ、ゆっくりと国を出ることにした。
ある日、ベオグラド国に入ったシルヴァンティスは、野宿をしていると人らしき気配を感じた。小さく焚いた焚火の向かい側には、あの魔物が立っていた。
「お前は!」
シルヴァンティスは、何故か少し嬉しくなってしまったが、慌てて打ち消す。
魔物が剣を抜いたのでシルヴァンティスもすかさず剣を抜いた。
それ以降、野宿をしているとたまにその魔物が現れることがあった。魔物は相変わらずしばらく打ち合うとすぐに姿を消してしまう。シルヴァンティスはその魔物に「イリナ」と勝手に名前をつけた。
八章(過去編)はこれで終わりです。
第三王子は王になり、シルバーは旅を続けましたとさ。
次からはまた本編、そろそろ終盤かしら!




