七章 一 賢者キーロ
一
大都市クレシェーボの大きな講堂で街の重鎮達が会議を開いていた。
「最近このクレシェーボの近郊にやっかいな魔物が棲みついた、というお話は皆さんご存知ですかな」
議長の老人がそう言うと卓を囲んだ八名は頷いた。
「ご存知のようですな。ではその魔物が何かはご存知ですかな?」
卓を囲む一人が言う。
「龍じゃないのですか? 相当な強さだと聞きましたが」
「いや、龍ではないらしい」
別の男が答える。すると議長の男は話を続けた。
「そうです。龍ではありません。『影鬼』です」
「『影鬼』だって!?」
『影鬼』は龍と並んで最強格と言われる魔物である。『影鬼』は夜にしか現れないが、不死の肉体を持ち、影の中を自由に移動できる能力を持つ。そのため物理的な武器で斃すことはできない恐ろしい魔物だった。
「すでにこの街の討伐隊は返り討ちにされ、もはや抵抗可能な戦力は無い状態なのです」
「なんですって!? ならこの街の住人十万はどうなるというのです!」
「毎日少しづつ『影鬼』の腹に行くことになります」
その言葉で場が静まった。やがて一人の男が口を開く。
「国は? 軍を派遣をしてもらおう」
議長は頷く。
「軍隊は動いてくれるようです。正し余裕があるわけではないので指揮者だけこちらで用意する必要があるようです」
「軍が来てくれるなら安心じゃないか。指揮者は誰にお願いするんだ?」
「『賢者キーロ』にお願いしようかと」
「賢者キーロ……かつては宮廷魔術師を務めたという大御所だな」
また別の男が続けた。
「『影鬼』に武器は通用しない。つまり軍をぶつけても『影鬼』は斃せん。実質は賢者キーロの魔法次第だ」
「賢者キーロはもう御年七十だろう? もっと若くて体力のある術師のほうがいいのではないか?」
「我々が言うのは失礼というものだぞ」
その言葉で一同は笑う。卓を囲む面々は皆キーロと同年代なのだ。
こうしてキーロに街は託された。
翌日、キーロの元に使者が訪れ、軍を指揮して影鬼を討伐して欲しいと依頼されると、キーロは難しい顔をして考え込んだ。
使者の男も、キーロが考え込むのは当然だと心で思う。「軍を指揮して街を守ってください」など簡単に引き受けられることではない。
しばらくキーロは目を閉じ指で机を叩いていたが、やがて口を開く。
「報酬は」
使者の男はそれを聞いて目を瞬かせた。賢者はすでに勝った後のことを考えているのだ。
「できるだけご希望に沿える形で用意させていただきますが」
使者の男がそう答えるとキーロは両目を見開いた。
「そうじゃな、おなごじゃ。おなごがよい」
それを聞いて使者は一瞬呆けたが、すぐに理解した。スケベな爺さんだ。
「どのような女性がお好みで? 若い女ですか? それとも熟女?」
「若いおなごじゃ。むちむちの尻を枕にして寝たい」
「……どうやらキーロ殿はまだまだお元気のようだ。影鬼ももはや討伐されたようなもの」
「……片尻でも前払いにならんか?」
「なりませんね」
そう言われしょげるキーロに使者は告げる。
「では軍が到着次第、影鬼討伐をお願いします」
そう言ってキーロ邸を出た使者は馬に乗るなり独り言ちた。
「……街を守った報酬が女の尻なら安いものだが、本当にあんなスケベ爺に任せて大丈夫なのかね」
軍が到着するまでの間、市民の中でも勇敢な者が交替で夜の見張りについた。腹を空かせた影鬼は毎晩襲撃してくる。
この日の夜も影鬼は街に侵入してきた。影鬼は人間の四倍から五倍程の大きさ、食人鬼より一回り大きいくらいだが、強さは龍に匹敵する。見張りについた市民数名は影鬼と戦うのではなく市民に襲撃を知らせる。
「影鬼だ! 襲撃だ!」
今日の見張りについたクレディオスは見張り台の鐘を力一杯鳴らす。鐘は街中に鳴り響き、市民は一斉に灯りを消した。
見張り台のクレディオスも用意した黒い布を被って息を潜める。
影鬼は影の中にいる人間を認識することはできなかった。つまり暗闇の中にいる限りは安全なのだ。クレディオスは布の隙間から影鬼の様子を見る。影鬼は灯りがついていない家に侵入しようとはしない。影鬼はふと何かを見つけたようで、そちらに走り出す。クレディオスは影鬼が向かうその先を目で追うと、小さな灯りが残っている家があった。あれは体力自慢のユーメルの家。鐘を聞き逃したのか、モタついているだけなのかはわからない。
「愛してるよ、リエーナ」
「もう、毎日言われると逆に疑っちゃうわ、ユーメル」
「なら身体に教えてあげないとね」
ユーメルはリエーナを背後から抱きしめ、身体を撫でる。リエーナが身体を捩るとユーメルはリエーナの口を自らの口で塞ぐ。その時、遠くで鐘を音が聞こえた気がしたが、二人は行為に夢中になっていた。
鐘が鳴ったこともすっかり忘れ、必死に腰を振るユーメルは、音もなく現れた背後の影鬼にまったく気づかなかった。影鬼は口を開くとユーメルの頭を一口で齧りとる。頭を失ったユーメルの身体はそれでも腰を振り続けたため、リエーナも背後の異変に気づかなかった。
しかし、影鬼の二口目でユーメルの上半身が食われた時、激しい血しぶきを浴びてリエーナは背後を振り返る。そこには部屋の天井に頭がつくため前かがみになった全身が黒い鬼がいた。あまりの恐怖に声も上げることができず、リエーナはただ震えるのみ。
影鬼は右手でリエーナを掴むとまるで人間が魚を丸かじりにするように頭ごと上半身を一口で食べてしまった。影鬼はすぐさま下半身も飲み込む。男の下半身は食べなかった。
翌朝になり、昨晩のことが見張りから街の幹部達に報告された。
「ユーメルは灯りを消していなかった。そのため影鬼に見つかって食われてしまった」
「部屋の状況から推察するに、ナニをしとったようですな」
「それならむしろ灯りは消すだろうに」
「いや、点いている方が羞恥心が煽られるというもの」
そこに別の幹部の男が部屋に現れる。
「二人とも馬鹿なことを言ってないで。ついに軍が到着しましたよ」
「おぉ! 来てくれたか。兵力はどれくらいなのかね」
「一師(二千五百兵)です」
「一師だと? 少なすぎないか?」
影鬼は龍にも匹敵する強さを持つ。成体の龍は一軍(一万二千五百兵)とも渡り合う強さであり、影鬼討伐に一師というのは明らかに少なすぎた。
「一軍を動かすには大臣が動かねばなりません。さすがに国も大臣をここにはやれないのでしょう」
「しかし」
「それに影鬼に物理攻撃は通用しません。仮に一軍がきたとて肉盾が増えるだけ」
「それもそうだな。賢者に任せよう」
やがて賢者キーロは一師を率いた中大夫のシーリーンと打ち合わせをする。シーリーンは金髪の五十代の男でたたき上げの軍人、という風貌だった。
「はじめまして、シーリーンです。キーロ殿はかつて王城勤めであったとお伺いしております」
「もう十五年ほど前に引退したがの」
「私も軍人になって三十年になりますが、王城勤めの誉れにはまだ預かれません」
王城に仕えるというのは軍人や魔術師にとって名誉なことだ。三十年軍人を続けても王城に仕えることができるのはごくわずか。
「この戦いに勝てば召し上げてもらえるであろう」
キーロがそう励ますとシーリーンは頭を下げる。
「生憎影鬼との戦闘は経験がなく、指揮をお願いします」
「うむ。影鬼に物理攻撃は効かぬ。魔法でしか斃せぬだろう。軍の中に魔術師はおるか?」
「数はおりませんが、多少ならば」
「その中に『爆縛妖真獄炎淵覇』の使い手はおるかね?」
「『爆縛妖真獄炎淵覇』? そのような大魔法が扱えるものはおりません」
「ならば影鬼を斃しうる攻撃は儂にしかできんということじゃな」
決まった作戦はこうだ。
唯一影鬼を斃しうる攻撃が可能なキーロを護るため、兵士は防御陣形。魔法攻撃が可能な術士達は影鬼を挟むように展開し、できるだけ影鬼にキーロの存在を気取られないようにする。特に極大魔法のために魔力を集中した際は、その気配を影鬼に察知されてしまう恐れがあるため、この時は特に魔法攻撃を激しく行う。という作戦だ。
七章が始まりました。
プロットはできており、予定通りなら四話で完結します。
ストーリー、予想してみて下さい。
感想などもお待ちしております。




