三章 五 熱狂する民
五
翌朝(というより昼に近かったが)、フェリアスが目を覚ましたとき、シルバーは出掛ける準備をしていた。
「ふぁぁ……おはよう」
「おはよう、ってもう昼前だぞ」
フェリアスは窓から外を見ながら目をこする。
「昨日はちょっと飲み過ぎたかしら」
「酒臭いぞ。あと仮にも姫なら酒瓶を枕にして寝る癖をなんとかしろ」
そう言われてフェリアスは慌てて酒瓶を布団に隠す。
「そ、そういえばどこかに出かけるの?」
「あぁ、剣闘士管理議会にな」
「シルバーさんが? まさか剣闘士になるの?」
フェリアスは目をぱちくりさせて尋ねる。
「少しの間だけな……」
フェリアスは真剣な表情になる。
「……『決着』はしないわよね?」
「さぁな」
「嘘」
「……」
「相手は誰なの?」
「……もう時間だ。今日は飲むなよ」
そういうとシルバーは部屋を出ていく。
「ちょっと!」
乱れた服と髪では部屋の外まで追うこともできず、フェリアスはシルバーを見送った。
(まさか本当に『決着』をするつもりなのかしら。でも誰と……)
夕方になってシルバーが宿に戻ったが、朝の話の続きをなかなか切り出せない。
やがて寝る前になり、シルバーが口を開く。
「明日から俺は剣闘士として『挑戦』を何戦かする。その時に控室で俺に強化をかけて欲しい」
「『挑戦』って魔物と戦うのよね? 強化魔法は反則じゃないの?」
「『挑戦』に限っては許されている。だんだん魔物を強くしていくつもりだ」
「前の地龍の宝珠は?」
以前斃した地龍の宝珠を遣えばこれまでにないほどの強化が可能だろう。それこそ軍規模であろうと強化ができるほどのものだった。
「あれはもう売った。地龍に荒らされた村の復興と、デメトリオスを裏で支えるようにカイザリオスに渡してある」
「そうだったのね。わかった、当日は控室に入れてね」
「頼む」
立ち寄っただけの村や知り合ったばかりの人物に対して巨額の支援をするシルバーにフェリアスは疑問を持ったものの、人のお金の使い方については口出しするものではないので何も言わなかった。それにお世話になった村とあの青年に対しての支援なら、フェリアスもむしろ嬉しく思う。
翌日、剣闘場の控室でシルバーは道中で斃した魔物の小さな宝珠をフェリアスに渡した。それを使って『王師輝滅陣法』を発動する。小さな宝珠では強化の度合いはしれているが、命が懸かっている以上できることはしておいた方が良い。
「少し聞きたいことがあるんだが」
強化を受けながらシルバーはフェリアスに尋ねた。
「なぁに?」
「王族の強化は『勇気の魔法』以外にも種類があると聞いたことがあるが、他にどんなものがあるんだ?」
「そうね、私が聞いたことがあるのは『危機回避の魔法』とか、『予見の魔法』とかかしら。使えないけどね」
「どういうものなんだ?」
シルバーは興味があるのかフェリアスの顔を覗き込んだ。フェリアスはそれが嬉しくて、少し得意気になる。
「詳しくは知らないけど、危機回避の魔法っていうのは、自らの危機の時だけ一時的に強化されるもので通常は兵士じゃなく王族や一騎打ちの騎士なんかにかけるものね。予見の魔法っていうのは、未来を察知するとかそういうのらしいけど。ごめんなさい、私もそれくらいしか知らないの」
シルバーは頷く。
「そうか。いや、参考になった」
「そう? 私が勉強をちゃんとしていて、使えたらよかったのにね」
「勉強しても酒を飲んだら忘れるぞ」
「むぐぅ!」
そう言ってシルバーは笑いながら闘技場への通路に向かって行く。フェリアスは胸の前で手を組み、無事を祈る。
シルバーの前に現れたのは、大人の二倍ほどの身長がある食人鬼だった。食人鬼は人間をそのまま巨大にしたような姿だが、口が大きく裂けて牙が大きい。食人鬼は目隠しと拘束を遠隔魔法で解除され、目の前の餌に涎を垂らす。食人鬼は素手だが丸太のように太い腕に捕えられれば生きたまま食われてしまうだろう。食人鬼の大好物は生きた人間の内臓だ。
「閃空斬!」
食人鬼が身構えるよりも早い気合の一閃が飛び、食人鬼の頭は宙を飛ぶ。やがて胴体が遅れて倒れ、宝珠へと変わる。
それを見て観衆は沸いた。
「一撃だ! あいつ新人か? やるじゃないか!」
「いや、食人鬼程度ならそこらの狩人でも斃す。まだ判断は早い」
シルバーが控室に戻るとフェリアスが笑顔で声をかける。
「おかえりなさい。まぁ、食人鬼なら多分私でも勝てるしね」
「あぁ、まだまだ本番はこれからだ」
そう言いながら宝珠をフェリアスに渡す。
「次はこれを使ってくれ。だんだん大物になっていくはずだから」
「わかったわ。気を付けてね」
数日後、剣闘場では一人の闘士が話題になっていた。
「このところ『挑戦』で大暴れしている闘士がいる。この前は双頭蛇龍を斃しやがった!」
「双頭蛇龍だと? あれは今まで数多くの闘士を屠ったヤバい奴だ。あれを斃したっていうのか?」
「しかも一撃だ! ヘレクトールもブッタ斬られるぞ!」
「そいつ何位だ?」
「十四位だ! 『決着』を申し込むかもしれん!」
やがて剣闘場で確保、制御されている魔物の中で最も強いとされている双頭蛇龍が斃されたこともあり、シルバーの一位闘士への挑戦はすんなり認められた。
民衆は一位闘士の『決着』の発表に大いに興奮している。
いよいよ明日がヘレクトールとの決着、という夜。宿屋でフェリアスはシルバーに詰め寄った。
「一体どういうこと? ヘレクトールさんと『決着』だなんて!」
「腕試しさ」
「腕試しって……『決着』ならどちらか死んじゃうのよ?」
「恐らくそういうことにはならない」
「どういうこと?」
シルバーはフェリアスの問いには答えなかった。
「……強化をかけてくれ」
「今? 明日の戦いまで効果が続くかしら」
通常、王族の魔法以外の単純な強化魔法の効果時間はさほど長くはない。そのため剣闘場でも試合前からのみ禁止されている。
「ここのところの『挑戦』で、お前の魔法の効果時間は把握した。双頭蛇龍の宝珠なら明日の戦いまでギリギリもつ」
「私の魔法の効果時間を把握するために何戦か『挑戦』をしていたっていうこと?」
「そういうことだ」
フェリアスは蛇龍の宝珠で『王師輝滅陣法』を発動する。
「でもこれってズルじゃないかしら」
「ヘレクトールにも王族の魔法がかかっている。先日教えてくれた『危機回避の魔法』だな」
「そうなの? ヘレクトールさんって何者なのかしら」
「王族絡みなのは間違いない。過去に何かあったんだ」
そう言うとシルバーは少し遠い目をした。
「死なないで」
「俺には何となくヘレクトールがしたいことがわかる。それならば、俺は殺されない」
「……」
翌日、闘技場に入ったシルバーとヘレクトールは剣を抜いて睨みあう。観衆はすでに息を殺して見守っていた。
「いつぞやはあっさりやられたが、今日はそうはいかない」
ヘレクトールはシルバーの耳に着けられた飾りを見て口角を上げる。
「貴様あの時の暗殺者か。ならば酒を飲んでいても片手で十分だ。俺が負けたのはあの酒飲みの嬢ちゃんだけだ」
そう言われてシルバーは一人の女に思い至る。
「酒瓶を枕にするような女に負けるとは一位闘士も落ちたものだ。それとも命の危機でなければ強化は働かないか」
その言葉にヘレクトールは眉を上げる。
「何を知っているかは知らぬが余計な事を話しそうなら遠慮はせんぞ」
その言葉を合図に、二人は雷光の速度で動き出す。シルバーにかかった『王師輝滅陣法』とヘレクトールにかかった『蒼王鬼化膂法』はどちらも効果を発揮し、闘技場には銀色の竜巻と青色の竜巻がぶつかり合いお互いを吞み込もうとする。
二十、三十と剣を交えお互い相手を認め合う。
「驚いた。この前とは全く別人じゃないか」
ヘレクトールは感嘆する。
「貴様を負かした酒飲みの力だ」
「あのお嬢さんが王族なのか。因果なものだ」
「そろそろ話したくなったか?」
「まだだ!」
そう言って二人は再度激突。観客はあまりの速さに目が追い付かず、ざわつき始める。
魔法の効果が先に切れたのはシルバーだった。『王師輝滅陣法』が切れてしまっては強化されたヘレクトールには及ばず、シルバーはあっさり剣を弾かれ、喉に剣をつきつけられる。ヘレクトールは肩で息をしながら告げる。
「俺の勝ちだ」
シルバーは負けを認めたくないのか、無様に逃げ回る。闘技場はたちまち観客の野次が飛び、シルバーを罵り始めた。
ヘレクトールはシルバーの服を掴み、投げる。仰向けに倒れたシルバーに剣が突きつけられ、ヘレクトールは観衆を仰いだ。
観衆は名誉ある試合を汚したシルバーに「殺せ」を繰り返す。
やがて、ヘレクトールは中央観客席のアルバッキノスに目を向けた。
アルバッキノスは立ち上がり、拳を突き出すと親指を下に向ける。観客はそれを見て沸いた。
「アルバッキノスは殺せ、だとよ」
ヘレクトールは口角を上げて笑う。シルバーは目を伏せた。
だが、ヘレクトールはアルバッキノスの裁定に逆らい剣を下げた。観衆はさらに沸き立つ。
「どういうことだ? ヘレクトールは何故殺さない?」
「合図を見間違えたのか?」
「まさか。みんな殺せと言ってる」
その時、一人の男が声を上げた。
「なんと慈悲深い男よ、ヘレクトール!」
その言葉を皮切りに、観衆の声はヘレクトールを称えるものに変わっていき、まるで一つの歌のようになった。
ヘレクトールが自分の裁定を無視したにも関わらず民衆から称えられるのを見て、アルバッキノスはもう耐えきれなかった。
「何故だ! 何故いつもあいつばかりが民に支持される!」
「もうよいだろう、アルバッキノス」
アルバッキノスはその声で振り返る。後ろには昏睡から目覚めたリュサンドロスがいた。十五年の眠りは屈強な戦士であったリュサンドロスをやせ細った老人にしていたが、目には力強い光が戻っていた。
「父上……」
「十五年前、お主が儂に毒を盛り、眠る寸前にこう言った。『命に代えても自分に熱狂した民を見せる』と」
「……民は熱狂しております。おかげで街も栄えたのです」
「民はあの戦士に熱狂しておる。町は栄えたかもしれぬが治安はいいとは言えまい」
「些細な問題です」
リュサンドロスはアルバッキノスの隣に座る。
「民がお主に熱狂する方法がある」
「本当ですか? 是非お教えください!」
「あの男の前に立ち、戦って勝つのだ」
アルバッキノスは剣闘場で声援を受けるヘレクトールを一瞥する。戦う、あの男と。
リュサンドロスはアルバッキノスの返事を待たず、拡声魔法で場内に放送する。
『会場の諸君。ナルニアス国王リュサンドロスである。今から追加でもう一戦行う』
その放送を聞いた観衆は大歓声を上げる。
アルバッキノスは無言で立ち上がり、剣闘場に向かって行った。
殺されることを免れたシルバーと入れ替わりで剣闘場に入ったのは革鎧を着たアルバッキノス。
観衆はまさか街の長であるアルバッキノスが剣闘場に入るとは思ってもいなかったので、ざわめいた。
ヘレクトールは予想していたのか、さほど驚いたようには見えない。
「……十五年前、王族のみが知る隠し通路を使って兄上の部屋に毒を置き杯を持ち出し、父上を眠らせた。私の政策に間違いがないことを証明したかった」
「アルバッキノス……」
「御覧ください、兄上。今、民は我ら二人に夢中なんです」
「ふざけるな。貴様が十五年前、私にしたことは許されることではない。貴様のせいで妻や子は殺され、私はずっと命を削る日々だった」
「兄上さえいなければ私は!」
アルバッキノスは剣を抜く。ヘレクトールはすでに抜いていた剣を構えた。『蒼王鬼化膂法』の効果はシルバーとの戦いでついに使い果たしており、ヘレクトールを守るものは己の剣のみとなっていた。
アルバッキノスはヘレクトールほど武功を上げた戦士ではなかったが、王族ということもあり幼少期から剣の訓練は受けいたので、十分戦える剣士だった。だが十五年もの間、命を張り続けたヘレクトールには到底及ばない。
十合程打ち合ったところでヘレクトールの剣がアルバッキノスの右腕を斬り、返す剣で右太ももを裂く。だがアルバッキノスは呻き声一つ上げずに果敢に向かう。
観衆は固唾を飲んで二人の戦いを見守った。剣闘場には剣を打ち合う音、二人の呼吸、地面を蹴る音のみが響き、命の火花を散らした。
それでも勝者は一人。ヘレクトールの剣は鋭くアルバッキノスの胸の中央に吸い込まれ、真っ赤な血がアルバッキノスの口から溢れ出る。
「兄上……」
アルバッキノスは目を閉じると膝から倒れ、絶命した。
ヘレクトールは剣を天に掲げ、大きく吼えた。その声が剣闘場に響くやいなや、観衆は盛大な拍手と歓声。
『ナイロビスの長にヘレクトールを任命する』
リュサンドロスによる放送が入ると剣闘場の観衆は全員が総立ちとなり、ヘレクトールを讃えた。
翌日、宿を発ったシルバーとフェリアスは街の大通りを歩く。
「こうなるってわかっていたの?」
フェリアスが訊くとシルバーは首を振る。
「あそこまで予想はしていなかった。殺されないだろうとは思っていたが」
「まさかヘレクトールさんがアルバッキノスと兄弟だったなんてね」
「そう言えば、剣闘場で聞いたが、ヘレクトールと飲み比べをしたらしいな?」
「だって奢ってくれるっていうから」
「どうせ店の酒を全部飲んだんだろう。俺が『挑戦』している時も何日か飲みに行っていたな?」
「だって心配で眠れなくて」
「阿呆。この街で四件も出禁になったそうじゃないか」
「な、なんで知ってるのよ……あ、そういえば剣闘場は廃止にするそうね。ヘレクトールさんの命令で」
「……十五年戦い抜いたヘレクトールが廃止にするなら民衆も受け入れるだろう。俺個人的には残してもいいと思うけどな。アルバッキノスの気持ちはわからなくもない。あの場は確かに熱狂していた」
剣闘場のあの熱気と観衆との奇妙な一体感。フェリアスもあの空間の異様さにはこれまでには無い何かを感じていた。
「確かに、不思議な世界だったわ。でもあれが政治なのかしら…あ、あれは!」
そう言って指で示す先には高級服飾店。フェリアスは迷わず店に飛び込み、しばらくして出てくる。その上着は落ち着いた雰囲気ながらも上品かつ清楚にまとめられていた。
「じゃじゃーん、ネシャルの上着よ。この街でも見つかるなんて、素晴らしいわ」
「渡した金をもう使ったのか」
「いいじゃない、私の強化魔法、役に立ったでしょう?」
シルバーは黙って歩き出す。フェリアスはご機嫌に鼻歌を歌いながらついていった。
「次の街では禁酒だからな」
「えーっ!嫌よ!」
これでナイロビス編は完結となります。
最後はちょっと長くなりました……いかがだったでしょうか。




