コミカライズ掲載復活記念!
それはまだ俺が、ノイヴィルに居着いて、間もない頃の話だ。マリアジェラにも、意地悪なダークエルフとも会っていない。思えば、この頃が1番最高だったのかもしれないなあ。
勇者と聖女と一緒にいなかったらもっと良かった。はあ……。
蝉のジリジリと鳴く声と、窓から差し込む殺人的な朝日のせいで目が覚めた俺は、宿屋に併設された台所を覗いた。すでにパンの良い匂いを纏い、せっせとパンを作っていたのはパフィミアとシャロンだ。
「あ。ししょー、おはよー」
「おはようございます、聖者様」
窯の火を慎重に見計らっていた2人は、俺の気配に気づく。俺は「うーす」とおざなりな挨拶をして、テーブルについた。しばらくしてシャロンが珈琲を、パフィミアが焼きたてのパンを持ってくる。いつの間にかルーティンとなった朝の日常風景である。
パンと珈琲を味わっていると、唐突にパフィミアが言った。
「ししょー、髪伸びたね。髪、切りにいかないの?」
藪から棒になんだ、お前は。髪の話なんて、往年の番組の名物司会者か、思春期の娘をもったお父さんぐらいしかしないぞ。
「そういえば、そうですね」
シャロンまで同意するものだから、気になって姿見の前に立ってみた。
そこには黒髪が伸びすぎたイエティみたいな男が立っていた。
「なんじゃこりゃ!!」
髪の毛が伸びすぎてるってレベルじゃねぇぞ。つーかいつの間にこんなに伸びたんだ。てか、誰か言えよ。気づかなかった俺も俺だけどさ。
「夏だから髪の伸びが早いんだね」
「夏ですからね~」
え? 夏だからってことで済ませるのか? 夏こわ! 人類圏の夏ってそんなに髪が伸びるのかよ。
てか、シャロンよ。珈琲を飲みながら、落ち着かないで。茶をしばいている田舎のお婆ちゃんにしか見えない。
そもそも俺、死んでるから髪が伸びるはずがないのだけ……。一体どうなってるんだ。これが人類圏の夏なのか。
何はともあれクソ暑いのに、どう見てもこの髪型はイエティにしかモテないぞ。
「ししょー、ボクが切ってあげようか?」
パフィミアが目を輝かせる。なんでもパフィミアは、いつも自分で切ってるらしい。俺もそうするかと思ったのだが、このイエティカットからいつもの髪型に戻す自信がない。そもそも、いつもの髪型ってなんだ? やばい。自分の髪型とかにまったく無頓着すぎて、自分がどんな髪型だったか忘れたぞ。
「じゃあ、パフィミア。頼むわ」
「かっこよくしてあげるね」
「あ。う、うん」
ジャキン!
突然、パフィミアは使えもしないショートソードを持ち出し、俺の背後に立つ。
「ちょちょちょちょ……。何をノーモーションで人の背後に立ってるんだよ」
お前、もしかして勇者じゃなくてアサシンだったのか?
「え? 髪切るだけだよ」
「じゃあ、そのショートソードは?」
「ハサミの代わり。これでこそげ落とす感じで」
実例を示す。見る限り、安全には配慮されてそうだが……。
「じゃあ、始めるね」
ジャキン!
パフィミアはまたショートソードを構える。
うん。やっぱりやめておこう。
勇者に背後を取られるのは、なんか魔族の本能が許さないというか、普通に怖い。
◆◇◆◇◆
そんなわけで、俺は近くで評判の美容室にやってきた。世話になってる宿屋のオヤジがオススメとのことだったのだが、一見して普通の美容院である。
変人ばかりがいるノイヴィルである。きっと店員も変わっているのだろうと思ったが、ただ声と胸がでかい女性店員だった。
「いらっしゃいませ、イエティ様!」
「イエティじゃねぇよ。しかも、声がデカいな、あんた!!」
「すみません。お客様、当店は今イエティの家をコンセプトとしたコンセプト美容室でして」
「イエティをコンセプトとしたコンセプト美容室ってなんだよ」
いや、もうなんかコンセプト美容室ってところからおかしいだろ。しかも、イエティって。
「お客様、今日はどのようなご用件でしょうか?」
「いや、声がでかいって! もうちょっと下げて音量」
「すみません。イエティ美容室なんで!」
音量ちょっとしか下がってないんだよ。あと「声がでかい」ってクレームに、「イエティ美容室だから」って回答するの初めて聞いたわ。
はあ……。宿屋のオヤジめ。よくこんなわけのわからない美容室を勧めたな。たぶん、店員が巨乳だからだろ。聞いた俺が馬鹿だった。
いっそ帰ろうかと思ったが、他にまったく客がいない。しかもちゃっかり声がでかい巨乳の店員は、入口側に立ち、退路を断っていた。
俺を逃がさないつもりらしい。
仕方がない。髪を切るだけだし。我慢するか。
「髪を切ってほしいんだ。暑いし、結構バッサリ切ってほしんだが」
「なるほど。今のイエティカットから、サマーバージョンイエティカットにするんですね」
「イエティカットってホントになるの??」
思わず叫ぶ。
店員は心底落胆したように肩を落とした。こんな時でも声はデカかった。
「立派なイエティカットを、サマーバージョンイエティカットにするとか、もったいないですね。失恋でもしたんですか?」
いや、好きこのんでイエティカットしていたんじゃないわ! てか、勝手にサマーバージョンにしようとするな。
「あの~。サマーバージョンとかもいいから。普通で頼む」
「わかりました。普通のイエティカットですね」
「イエティカットから離れてくれ」
てか、普通のイエティカットって、今のイエティカットってことじゃないのかよ。
もうわけわかんねぇよ。
早速、店員はハサミを持って、俺の髪をパツパツと切り始める。作業を始めると、普通の美容院という感じだ。魔族にも一応美容院というものがあるのだが、それとあまり変わらない。一点、違うところを挙げると、魔族は切りながら話しかけてくることだ。
俺、あれが苦手なんだよなあ。
そもそも今出会ったばかりの相手と話を合わせるのは難しいんだよ。余計な気遣いをするし。それに髪を切られてる側は緊張してるから、うまく喋られないし。
「お客さん、若く見えますけど、何歳ですか?」
髪を切りながら、店員が話しかけてきた。どうやら、髪を切りながら話しかけるのは、万国共通のものらしい。
このまま黙っててもいいのだが、なんか感じの悪い客に思われるのもイヤだ。こっちは魔族だし。変なところで波風を立てたくなかった。
「えっと……にひゃ――――ぶへっ!」
「きゃっ! だ、大丈夫ですか?」
「す、すまん。なんでもない」
まずい。緊張のあまり本当の年齢を言いそうになってしまった。
やっぱり黙ってるほうがいいかもしれない。
「お客さん、言いたくないんですか? じゃあ、わたし当てちゃおっかな」
「ははは……」
と苦笑い。
当てられるものなら当ててみろ。
「うーん。260イエティぐらいですかね」
「ぶぅぅううううううううう!!(カプソディアの年齢は260歳です)」
なんで一介の美容院の店員が、俺の年齢を知ってるんだよ!
「てか、イエティって何?」
「イエティって、わたしが決めた謎単位です」
「な、謎単位って……。1イエティ何歳なの?」
「え? 考えたこともありません。テキトーです!」
自慢にもならないことを、何故か胸を張って、大きな声で答えた。いや、そこ全然胸を張るところじゃないから。
まあ、今のはたまたまだったらしい。
敵地である上、相手はハサミを持った人類。少し大げさに考え過ぎていたのかもしれないな。
あんまり難しく考え過ぎるのも、身体によろしくない。ストレスをためて、円形脱毛症にまでなったらイエティとか言ってられなくなる。ここはもっと心を大らかにし、寛容になることが肝要かもしれない。
「じゃあ、ご職業は?」
「魔族イエティ…………なんつってな」
「え――――?」
いや、絶句するほど驚かれると、こっちも驚くんだが……。やめろよ、そんな目で見るなよ。
そもそもイエティって謎単位じゃないのか? 適当につけたんだろ!
「じょ、冗談だよ。冗談に決まってるじゃないか。わははははは」
「ですよね。魔族イエティなわけないですよ。あははははは」
笑って誤魔化すのだが、何故か店員の目だけが笑っていなかった。
結局、店員はその後何も言わなくなってしまった。
すっごい気まずいんですけど……。
これならお喋りしてもらったほうが心が安まるんだが……。ていうか、なんか俺が悪いみたいじゃないか。
俺が悶々としていると、ふと店員のハサミが止まった。
「お客様、もみあげのほうは?」
「ああ。普通で」
「何イエティにしましょうか?」
……もうコンセプト美容室は2度といかねぇええええええええええ!!
一時間後……。
「ありがとうございました」
俺は無事店員に見送られ、店を出た。
信じてもらえるかどうかはわからないが、髪型が元に戻っていた。イエティではない、普通のカプソディアの髪型である。
どうやら、珍妙なコンセプトはともかくとして、店員のカットの技術は普通らしい。
ホッと一息つく俺。
安心したあまり、ちょっとお洒落なお店に入って、珈琲でも飲みたいぐらいだ。
心は晴れ晴れとしているのに、1つしこりのように残った疑問がある。
「はあ……。そもそも――――」
イエティみたいな髪型って、そもそもなんだろう……。