異世界に呼ばれた聖女は勇者を拒絶する
確かに、言葉を交わしたことはなかった。
ただ、触れる手の優しさだとか、視線の柔らかさだとか、細められる目元だとか、そんなもので悪い感情を持たれていないと自惚れていた。
俺自身が周りから、勇者だと、英雄だと、持ち上げられていたこともある。最前線に立ち敵を斬り捨て、人々に感謝されてきたと、自負してもいた。
一方で彼女が与えられた呼び名は、聖女。危険な戦場に恐れることなく常に勇者の側にあり、その傷を癒し献身した少女。
どんな深い傷だろうとたちどころに癒してしまう奇跡の力には大いに世話になり、感謝した。そしていつしか彼女の元に戻ることこそ目標となった。戻って、震える細い腕に抱き締められることを、そうして安堵を、喜びを得ることを。
魔のものの脅威が消えたなら、彼女と穏やかに過ごす時間が待っているのだと、本気で思っていた。
「私、あなたが即死してくれたら良いのにって思ってました!」
そんなものは全て、俺の身勝手な空想でしかなったと、他ならぬ彼女自身に打ち砕かれるまで。
「私が引き受けられるのは、“傷”だけだから!“死”は引き受けられないから!なのに、あなたは生きて帰ってくる!息をして!心臓を止めないで!そりゃあ私だって死ななかった!私は“私だけ”は癒せる!でもっ!あんなの好きでやるわけない!あなたを癒さないと、帰れないって言われたから、なのに…っ」
愕然とした。
彼女が話せないと教えられ、それを鵜呑みにし己に都合の良いように考えていた数分前までの自分を殴りたい。
俺は彼女のことなど、かけらも理解していなかった。
「…誰も知らないから帰れないと、貴女は言った。なら、探そう。隠れた集落というのは確かにある。それらを探せば」
俺の傷を引き受け並みならぬ苦痛を耐えてまで、帰りたかったのだと言うのなら。
せめて、それくらいは。
けれど、彼女は俺を見据え、嘲笑うかのように顔を歪めた。
「私の帰りたい場所は、異世界だよ」
「……異世界?」
異なる世界、という概念は確かにある。別の世界からこちらに手繰り寄せる術があるとも聞く。
けれどその程度しか思い当たらない俺は、彼女の助けになれるはずもなかった。
「……い、きらい!嫌い!!あの人も!あなたも!!こんな身体にしたやつも!!みんな大っ嫌い!!」
戦いの後は皆が、笑って過ごせるのだと思っていた。
それなのに、一番に笑ってほしいと願った彼女は、ただただ絶望して泣いていた。




