民主的かつ公平な投票で挨拶をしないルールが成立した
マンションでは住民で集まってルールを作ることができる。
それを管理規約という。
あるマンションで挨拶することをやめようと決まった。
理由としては気を使うからで、めんどくさいからである。
カンドは引っ越してきてからそんなルールを聞かされたが無視することにした。
カンドは挨拶が大好きなのだ。
「おはようございます!」
カンドがエントランスで出会った住民に挨拶するとシカトされた。
カンドは言った。
「おはようございます!」
住民は言った。
「えっ?」
「えっ、てなんだよ。挨拶は人間関係の基本でしょうが?」
住民はカンドに挨拶するようになった。
しかし住民と住民は互いシカトしあったままだった。
その様子を見たカンドはつかつかと歩み寄った。
「おいー!なんだお前ら?顔合わせてんのにシカトかよ?なんだなんだあ!?てめえ、会社ではニコニコしながら挨拶してんだろ?」
住民は言った。
「したくもない挨拶をしてるんだよ。あんたも勤め人ならわかるだろ!?仕事だからうざいやつにも挨拶するんだよ!」
カンドはむかついた。
「なんだこら?俺の言うことに文句があんのかあ!?」
住民同士はカンドの前ではお互い挨拶するようになった。
カンドの姿が見えなくなると「あの人、ほんとうっとおしいですね」とささやきあった。
住民たちが集会を開いた。
カンドはマンションの集会所に一番乗りした。
住民たちが入ってくるとみんな青ざめた顔でカンドに挨拶した。
「こんばんは」「どうも」
しかし住民たちの中には頑なに挨拶を拒否する者達もいた。
プイッと横を向いてさもめんどくさそうに着席していく。
カンドは激しく睨みつけた。睨み返す者もいれば、ソッポを向いて無視する者もいる。
住民が集まった。カンドは提案した。
「挨拶をしないことにする規約はやめにしましょう!」
当然根回しは済ませてある。
カンドはさっと目配せした。視線の先にいた住民たちは小さく頷くと言った。
挨拶するしないは別として「挨拶しないルール」に違和感を覚える住民はいるのだ。
「入れ札で決めましょう!」
打ち合わせ通りだ。入れ札、つまり投票とは持ち込むものなのだ。
投票前に勝負は決まっていなければならない。
カンド派と反カンド派、挨拶復活派と挨拶反対派の決選投票だ。
カンドの票読みでは34対31で勝てるはずだ。
住民が次々と投票を済ませていく。全員が投票し終わった。
投票結果:50対3 反対派の圧勝!
「なんだとっ!?」
カンドはカンド派住民を睨んだ。何人かがすっと目をそらせた。
(ちっくしょう!転びやがった!)
反対派住民の切り崩しにあって何人かが寝返り、何人かが白票を投じたのだ。
「結果はこのとおり。あんたも理解できるだろ?民主的、かつ、公平に!!決まったことだ。文句はあるまいね?」
リーダーを先頭に、反対派住民たちが薄ら笑いを浮かべて席を立つ。
「ルールが守れないならよお、さっさと出ていけよ!」
「なにっ!?」
賛成票を投じたことが知られたくない住民も反対派住民と一緒に去っていった。
最後まで残っていたのはカンドと長老だけだった。
「世知辛い世の中だねえ。せめて俺達だけは挨拶しようよ」
年金生活の長老はそういうとカンドの肩を叩いて集会所を後にした。
カンドは思った。
(挨拶をする意味がない、したところで利益がないからするのをやめよう、気を遣うからめんどくさい、
めんどくさいのに何の利益もない、だからやめよう……。
そういう考え方なら、天皇を敬っても価値が無いから敬うのを止めよう、ご利益がないから先祖を供養するのを止めよう、ということになってしまう。
天皇を敬っても意味が無いから止めようだと!?天皇があっても利益がないから廃止しようだと!?
神州日ノ本の國體を何だと思っているのだ!!
そういう考え方だと、目上の人を敬っても、利益が得られないならほっておこうだとか、弱いものをほっておいて強いものについたほうが儲かるから、弱者を食い物にしたほうが儲かるから、そうしようという考え方につながってしまう!)
次の日の朝。
「おはようございます!」
そんなカンドの挨拶をエントランスですれ違った住民は無視である。
更にはフッと鼻で笑うのである。
その晩。
「こんばんわ!」
住民はカンドのほうを向うともしない。
住民と住民はちょっと目を合わせてカンドのほうを見やってニヤッと笑う。
「おい、いい加減にしろよ!」
カンドが詰め寄った。住民達はニヤニヤしながら言った。
「おいおい、殴られたら警察呼ぶからな」
「あんたがしたいなら勝手に挨拶すればいいじゃん?自分がしたいからしてるんだろ?自己満足で勝手にやってりゃいいじゃん」
カンドは会社をやめた。
妻はやれやれと言った様子で肩をすくめた。
「私が働いてなんとかするから好きなようにやりな」
カンドも人の子であり親だから、4歳になる我が子のことが気にかかった。
しかし息子カンドは駆けつけてきて言った。
「父ちゃん、男はケンカに負けたら終わりやでええええ!!」
息子の熱い瞳にカンドも応えた。
「そうや!結局、男はケンカに勝つことでしか、表を歩く権利を守れへんのや!!」
次の日からカンドは「マットレス」に入った。
マットレスとはいわばマット一枚の生活ということである。布団で眠らずにマットで眠る。そうすることで早寝早起きができるのだ。
朝が来た。
「俺は大学も行ってない。学位もない。ストリートで生まれてストリートで全てを学んだ。シャツに滲む汗こそが俺の卒業ガウンだ!!」
妻が作ってくれたポタージュをかきこむとカンドはエントランスに潜んだ。
反対派住民リーダーは40代の男だ。それ以外はわからない。新聞を取りに来たのだ。
カンドはポストの名前を確認した。それからまたじっと身を潜め続けて待ち続けた。
リーダーが再び現れた。スーツにネクタイ、革靴を履いている。
徒歩でバス停に向かう。
「あのバスを追ってくれ!」
カンドはタクシーで追跡した。バスは最寄り駅に停まった。リーダーは地下鉄に乗り込む。丸の内線だ。
「やばいな。俺には山手線しかわからない」
カンドは習性でつい新木場行きへと足が向かってしまう。
「いけないいけない、握手会じゃないんだ」
握手会は幕張メッセだ。
大手町から東西線からの日本橋……。
そして数日後の朝。
「おはようございまーす!」
「え、何があったんです?」
「いや、挨拶は人間関係の基本ですからね!あはようございます!」
「あ、はあ、おはよう……ございます」
「おはよっす」
「おお、カンドさん、おはようございます!」
「元」リーダーは深々と頭を下げる。
リーダーが勤務する一流企業の社長宅に匿名の手紙が届いたのだ。
「貴社の社員には住んでいるマンションの住民に挨拶をしない者がいるらしいが、人としての基本もできないような人間がこの国に住んでいてもいいと思っているのか?そんな企業の商品を國民に使わせていいのか!?お年寄りをバカにし、天皇陛下を侮辱するつもりか!どういう社員教育をしているのだ!?」
反対ゼロ!
次の集会にて再び投票が行われ、「住民同士で挨拶をしない」規約は廃止された。
マンション内に挨拶がよみがえったのだ。
社長の名前や住所は最寄りの法務局にて商業登記簿謄本をとればすぐにわかるのである。
印紙代は700円である。以前の印紙代は1000円であり、係官にお願いして数十分から待たされたものだが、機械化によって端末に打ち込むだけ、ほんの数秒でとることができるのだ。
ふざけた面接されたら苦情だって言えばいい。
「父ちゃん、勝ったの!?」
「おう、完全勝利よ」
「やったあ!」
息子カンドが抱きついてきた。
「でもさ?」
「なんだ?」
息子カンドが不思議そうな目で尋ねる。
「挨拶したくない人にはしたくない自由があるんじゃないの?個人の自由を尊重しなきゃいけないんでしょ?」
「ああそうだな。だけど自由は不自由の中にしか存在しないんだ。なんていうか……、とにかく挨拶はしなきゃだめだ。それがストリートの掟なんだ。男の掟なんだ。あとはお前が大学にでも行って考えろ」
言った後でカンドは思った。
「会社辞める必要なかったな」