お嬢様、下水道に住む
「チョーカーってローグギルドは、右手の掘っ立て小屋が集まってる辺りをウロチョロしてる感じ?」
「はい、そうです」
「ま、そんな所よね……」
貧民街を牛耳るほどの権力も無く、統率力もなく、ひったくりとかカツアゲとかで小金を稼ぐチンピラ集団。リーダーの頭も悪くて、適当な女を侍らせて悦に浸っている様な小物だろう。
でなければ、このレイトを仲間に入れようなんて思わないだろう。しかも使い捨てよろしく先輩格がレイトに濡れ衣を着せ、殺すつもりが逃げ出られてる。上下関係の信頼もゼロ、故に組織力もゼロ。それを野放しにしてるリーダーが頭が良いワケが無い。
「じゃ、いこっか」
「はーい」
さて、丘を降りて貧民街から中に入る。ここが王都であり、王様が居る以上は、平民の居る所には門番が立って警備している。よそ者の私が街に入るには、警備兵の居ない貧民街の端からこそこそと入るのが手っ取り早かった。
この付近の100軒程度の掘っ立て小屋は、正式には王都として扱われていないのだろうし、そこに紛れてしまえば警備の目を欺く事など容易い。むしろ彼らはこの貧民街に住む者達を卑下しているだろうし、居なくなって欲しいとも思っている筈だ。誰が死のうが王様の知った事じゃない。ここはただ王都の近くにあるというだけの集落で、さまざまな形で王都のおこぼれにあずかる為に、貧しい人達が建てたスラム街だ。当然、治安は悪く、小汚い。
凸凹の地面剥き出しの道には、あちこちに糞尿が落ちていた。しかし現代でも中世頃まではそうだったと勉強した事がある。貴族の人達でさえ、壺に貯まった糞尿を窓から外へ投げ捨てていたそうだ。
しかし、不思議と臭い匂いはしない、というべきか、この制服から、ほのかにいい匂いがしていて、悪臭を弾いている。どうやらこのJKな制服は、あの神様に何らかの魔法をかけてもらった様だった。
「おいオマエ、見かけない顔だな」
貧民街の大通りを歩いていると、突然、子供ぐらいの背丈しかないトカゲ人が、私の顔を見て言った。そのクビには黒い汚い首輪がついている。ペットとしてはよく似合っていた。むしろペットにしか見えない。
「あんた、チョーカー?」
「あ? そうだぜ? この街で俺達の名前を知らない奴はいない!」
「うん、十分聞いてる。このあたりって、あんた達が仕切ってるんでしょ?」
「そうだ。ここの縄張りのボスはジーベックだ!」
「よーしよくわかった。じゃ、寝ていいよ」
「おっ、おっ?」
近くに転がっていた木の棒で頭をぶっ叩くと、ちっちゃなトカゲ男はすぐに静かになった。そのままだと目立つので、近くのゴミ箱っぽい木箱の中に突っ込んでおく。
「いっ、いきなりチョーカーをやっちゃった!?」
後ろでレイトがびびっていたが問題無い。
これでどのぐらいの仲間が仕返しに駆けつけるのかを見るつもりだった。その数がとんでもなく多ければ逃げるし、少なければもうちょっと詳しい話を聞こうかと思っていた。
しかし、応援が来る気配は全く無かった。
「あれっ? チョーカーってそんなに多くないの?」
「えっと、コボルド達は一杯いますけど、全員がチョーカーってわけじゃないです」
レイトの言う通りコボルドという名のトカゲ人間は通りに沢山居た。周りには勿論人間も居るし、明らかに人間じゃない角の生えた鬼っぽい奴も居るし、ゴリラと人間のハーフみたいなゴツイ奴も居た。
しかし誰一人として、このチョーカーの下っ端が私にぶっ飛ばされた事を気にしてる奴はいなかった。
「うーん……これは失敗した」
私の世界のルールで話を切り出そうとしたのだが、どうも勝手が違う。
いや、これこそがこの世界の厳しさで、私達の住んでいた現代が過保護すぎるのかもしれしない。この異世界においては『生物一匹の命はとんでもなく軽い』のだろう。
現代の人間世界で、誰かがケンカで怪我をしたとか、病院送りになったらそれは事件だ。VIPが重傷を負ったとなれば、抗争が始まりかねない。
しかしこの世界では、たとえばそこを歩いている全く見知らぬコボルド一匹が、いきなり目の前で死んだとしても、誰も何も言わないのかもしれない。自分に火種が降りかからない限りは。
それはレイトが言っていた様に、騙し合いや殺し合いで、濡れ衣を背負わされて誰かが死んでも、話題にもならないという事だろう。
「すまないマイシャ、レイト、私はまだこの世界の事をよく分かってないみたいなの。少し勉強させてくれる?」
「はい、勿論です!」
「レイト、まずはこの辺りで、隠れ家になりそうな所を探して」
「ああ、それならありますよ。以前、俺が使っていた小屋があります」
レイトに連れられて、スラム街の中心近くに通る裏道から、マンホールを開けて地下に入った。
さすが王都というだけあり、下水道は完備されている様だったが、貧民街の住人にとっては、そこはただの地下無法地帯でしかなかった。
下水と言っても現代の様に最低限サイズの横穴を縦横無尽に掘れるほど、この世界の技術は発展していない。
だから地下に人工のダンジョンを作り、川を作って水を流しているというものだった。
地下を流れる川は幅3メートルほどもある立派なものだが、当然汚物まみれで異臭を放っていた。
その脇を通る道は1メートルほどの広い足場になっていて、その足場からあちこちに小部屋が作られていた。小部屋の中心には強固な柱が建てられていて、これで天井をがっちりと支えているのだろう。建築技術なんて私にはさっぱり分からないが、何か工夫をしてあるというのは判る。
そしてそういうしっかりとした作りの小部屋があるおかげで、浮浪者達はこの地下で自由に暮らしていく事ができていた。正確には浮浪者だけではないみたいだったが。
「そこの扉は絶対開けちゃだめですよ。ゾンビとか出てきますから」
「ゾンビなんて居るの?」
「多分、この下水路のどこかに死霊術師がいて、魔法の研究をしてるみたいなんです。それで死んだ人達を蘇生してゾンビを作り出してるんですよ。時々冒険者達が入って、ゾンビ達を退治してるみたいですが、ボスはうまく逃げてるみたいです」
「レイトって、結構アブナイ所に住んでたんだね……」
「はい、ここの部屋です。扉つきですよ」
扉には鍵がかかっている様だったが、レイトは簡単に解錠して扉を開けていた。
中に入ると、中年のヒゲ面のオヤジとババアが部屋の中でくつろぎながら、酒を一杯やってる所だった。
「何だてめぇら!?」
「あ、誰か居たようで」
(戸締まりの意味無いじゃない……鍵も簡単に開いたみたいだし……)
「すいません、元々ここを使ってたローグですが、出て行ってくれませんか?」
「何言ってやがる、元々もクソもねぇよ、空いてたら勝手に使うものだろうが」
「かまいませんけど、ここ、毒薬の罠を仕掛けてるんで、即死しますよ。誰かが入って来たら作動するようにしてたんですけどね?」
「えっ?」
「あ、あれです。まだ作動してないですね、良かったですね」
レイトが天井の隅を指さすと、紐で固定された小瓶がぶら下がっていた。
「う、うわあああ!!!」
慌ててオヤジとババアが部屋を飛び出していった。酒を何本か忘れていった様だが、私は未成年で酒は飲めないので、全く嬉しくない。
「さぁ、どうぞ、かみる様」
「あの瓶は、大丈夫なの?」
「はい。あれは確かに罠ですけど、チョーカー達が寝込みを襲ってきた時に逃げる為の、目眩ましの罠です、毒じゃないですよ」
「ああ、そう……なら、いいけど」
レイトが鍵開けと口達者なのはこれでよく判った。
小部屋の中に入って一息つくと、ここが潜むにはとても良い所だというのが分かって来た。この部屋には換気ダクトが通っていて、空調として機能していて、下水の中にしてはとても空気が澄んでいる。
「まずはここから、この街の事について勉強するわね。一体何がどうなっているのやら」
「わからない事があったら聞いて下さい」
「んー、わからない事だらけなんだけど……まずは金をなんとかしないといけないよね。何をするにもまずは金!」
「酒場とかで働いてみます? 雇ってくれるかどうかは分かりませんが」
マイシャのアイデアにレイトは難しい顔をしていた。
「無理じゃないかなぁ、ハウプトブルクの居住区に住んでいる人ならともかく、スラム街や街の外の人間は難しいよ」
「ローグとしては、当然、生計を建てるために盗んでたわけ?」
「はい。金持ちの家から色々。貧乏人の家に盗みに入っても稼げないんで」
「それって、捕まる危険もあるわよね」
「捕まりませんよ。殺されるだけです」
「あ? ああ、そう……」
まだまだ認識の甘い私だった。
聞けばこの王都ハウプトブルクでは、ドレイクナイツ騎士団、またの名を緑竜騎士団と名告る近衛兵が王と街を守っているが、重犯罪人以外は捕らえる事無く、殺すか痛い目をあわせて追い払うだけだった。
重犯罪人を捕まえる時は、それこそ禁固100年とか、死ぬよりも苦しい目にあわせるための監獄に閉じ込める為だった。
「盗みも命がけかぁ」
「仕方ありません、業に対する報いですから」
純粋に『生きる』という事に関しては、この異世界はとても厳しい世界だというのは、まず理解出来た。ここでは命というのは、ちょっとしたハズミで死んでしまう物らしい。そしてその責任は不注意だった当人にあるのだ。