顔無〈終〉
金居楽は高野に引き渡された。抵抗するかと思われたが、楽は自失呆然としており、意識がはっきりしているかどうかすら怪しい有り様だった。
悠の言葉は、それほどの衝撃だったということだろう。流星は楽が連れ出された事務所の扉をじっと見つめた。
「……おまえの方がよっぽどやらかしてるじゃねぇか」
「そうかな」
苦く呟いた言葉を拾った悠は、肩をすくめた。
「まあどのみち、彼女を無力化する必要があったから、結果的によかったんじゃない?」
「あれがよかっただって……?」
思わず声を荒げたが、一瞥されればたちまちしぼんでしまった。
悠の、こちらの心の奥底まで見透かしてしまいそうな瞳は、流星を酷く落ち着かなくさせる。ぞっとするほど澄んだ黒い瞳に、内心の暴かれたくない部分まで暴かれそうだからだ。
流星はうろうろと視線をさ迷わせたあげく、自分から話をそらすことにした。
「それで……西宮先輩の、その、死体……じゃなくて、遺体は、どこに?」
「西宮美冬本人の家だよ」
顔を上げると、悠はつまらなそうに話し始めた。
「西宮美冬はね、四十九日を過ぎて、自分で動き出していた。階段から落ちて全身がぼろぼろになって、なおかつ顔を焼かれた。それは当然、彼女の中で強い恨みを残すことになった。自分の死体を動かしてしまうほどの、ね」
話しながら、悠はソファーに座った。そのままクッキーを摘まむ。
「ただ、すぐに復讐に動くことは無かった。彼女は真っ先に、自分の家に向かったんだ。どうして家に帰ったのかは、想像するしかないけど」
あるいは、ただ家に帰りたかっただけなのかもしれない。暗く冷たい土の下ではなく、大切な家族の元に。
「西宮美冬は無事、家に帰ることができた。でも、問題はそこからだった」
西宮美冬の家は母子家庭だった。だから彼女を迎えたのは、母親だけだった。
母親は、当然驚いた。行方不明になっていた娘が帰ってきた。それだけならよかったのに、彼女は死体と化していて、しかも動かないはずなのに動いている。
今年の春は寒かった上、日の当たらない場所に埋められていた。それが幸いして死体はほとんど腐っていなかったが、そもそも元から全身の損傷が激しいことに加え、顔が焼かれている。死体であることは疑いようもない。
それでも何とか娘だと認識したらしい母親は、ひたすら恐怖した。
娘が帰ってきた喜びは無かった。生きて帰ってきてほしいとは願っていたが、甦ってほしいわけではなかったのだから。
それでも最終的に、母は娘を受け入れた。それは愛情か、恐怖が勝っていたかのどちらだったかは、本人以外解らない。
ただ、朝が来て元の死体に戻った娘を前に呆然としていたことは確かである。
その内に供養するなり、せめて警察に届けるなりすればよかったのに、異常な出来事に恐怖するあまり、近付くことすらできずに部屋に放置してしまった。
その結果、再び動き出した娘は、自分を動かす憎悪のまま、自分をこんな目に合わせた少女達を学校に引きずり込み、無惨に殺し始めた。
復讐を始めていること自体は気付かなかったようだが、それでも、何かしらおかしなことをしていることは感付いていた母は、それでも何もできないまま、悠が訪ねるまで怯えて過ごしていた。
「母親も任意同行で連れていかれたよ。理由はどうあれ、死体を放置していたのには変わりないからね」
「そうか……西宮先輩の方は?」
「斬った」
悠はこともなげに言い放った。
「まさか家にある状況で火をつけるわけにはいかないし、供養をするには時間が足りなかったしね。警察に持っていかれる前に処置だけしたかったから、刀で首を斬っておいた。高野刑事には連絡済みだよ。事後報告だけどね」
改めて竹刀袋に入れた刀を顎で指した悠は、ため息をついた。
「それにしても、いささか手間を取ったね。金居楽が初めから全て話していたら、解決はもっと早かっただろうに」
「それでも、一日で全部終わらせてるけど」
「そこまで難しい依頼じゃなかった。情報が完璧なら、半日もいらなかったよ」
「……西宮先輩は、何であんな風に殺したんだろうな」
今でも目に焼き付いて離れない。手足が折れ曲がり、顔を剥がされた少女の死体。ぞんざいに椅子に座らされて、剥き出しの目玉でこちらを見ていた姿。
「推測でしかないけど、多分自分がされたことをし返したんでしょうよ」
悠は言った。
「手足が使い物にならなくなった上に顔は骨もぐちゃぐちゃ、おまけに焼かれちゃって──同じ目に遭わせてやりたいと、思ったんじゃない?」
「でも、顔はともかく階段から落ちたこと自体は直接手を出したわけじゃ……」
「本当にそうかな」
え、と顔を上げた流星に、悠は笑いかけた。人形や彫刻などよりよほど整った、傷ひとつ無い、誰よりも綺麗な顔だった。
「でも、先生は足を滑らせたって」
「その場面を直接見たとは言ってなかったでしょう? 足を滑らせたっていうのは、土居令士の推測かもしれない。それに西宮美冬が階段から落ちたのは、金居楽達が追いかけた後だった。彼女達が突き落とした、あるいは引っ張ったために落ちたという可能性もある」
「それは……」
「実際、金居楽にまとわりついてた陰の気が、土居令士の方には全く無かった。もし狙われているのなら、接触はしていなくても多少そういう気配を感じるものなのに。それに自分がああなった原因の人間を恨むのなら、土居を外す理由が無い。死の直接的な原因ではないにしろ、彼もまた、西宮美冬を追い詰めた人間であることに変わりは無いのだから」
そう言われれば確かにそうではある。悠の言う陰の気というのは流星はよく解らなかったが、おそらく悪霊の気配とかそういうものだろう。それが楽にはあって、土居には無かった。
なら、それは。
「ま、全てはあくまで推測。知るのは西宮美冬本人だけ。その本人がもう語る口を持たない以上、真相は闇の中だ」
悠は肩をすくめた。
流星はやや間を置いて、一番気になっていたことを質問した。
「……本当に、先輩達は西宮先輩を殺したのか? 何か証拠でもあったのか?」
「いや」
悠はあっさり首を横に振った。
「状況を見てそう推測しただけだよ。さっきも言った通り、土居令士だけが除外されている理由を考えて、落ちた原因と死んだ原因に土居が関わってないんじゃないか、と思っただけ。更に顔を焼く必要があるとなると、と考えて、あの結論に至ったんだよ。揺さぶりをかけるためでもあったんだけど……あの様子だと、おそらく事実なんだろうね」
悠は苦笑した。
流星はその様子を見て、言うべきことを思い浮かべる。文句も疑問もたくさんあった。なんなら怒鳴りたい気分でもあった。だがそれら全ては実行に移さず、ただ、ため息をついた。
「……後味悪ぃな」
「後味のいい話なんて、この界隈に転がってないよ」
にべもなかった。流星の広い肩が、がっくり落ちる。
「……別に、嫌になったならいつでも辞めていいけど、ここ」
悠の言葉に、流星は顔を上げた。
悠は笑顔のまま、どうでもよさそうに続ける。
「私は別に、君にいつでも辞めてもらってかまわないんだよ。だってここにいるのは、君の意思なんだから。君は君の思惑があってここにいる。なら辞めるのもまた、君次第だ」
「……解ってるよ。辞めねえよ」
流星は顔を逸らして吐き捨てた。
ここを辞めるわけにはいかないし、彼女の元を去るつもりも無い。自分はそうしたいし、そうしなければならない。なぜなら。
「まだ死にたくねぇからな」
苦々しく呟いた言葉に、悠は笑う。嗤う。
不足などひとつもない、傷付いてもいなければ壊れてもいない、ただただ艶やかなまでに美しい顔で。
皮の下はあの顔の無い死体と同じものがあるとは思えないほど、艶麗な微笑だった。