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顔無〈六〉

 流星は、金居楽と共に事務所で待機していた。

 流星としては楽と一緒にはいたくなかったのだが、悠が彼女と共にいるようにと指示したのだ。

 どうしてそんな指示を出したのかは解らない。理由を訊いてもはぐらかされるばかりで、まともな答えは返ってこなかった。

 ただ一言、彼女を見張れ、とだけ。

 ──見張れ、か。

 流星は心の中で呟いた。

 楽は事務所のソファーで苛々を隠そうともせず、スマフォをいじっている。長い爪が時折かつ、かつ、と音を鳴らしており、気の弱い者であればその音だけで滅入ってしまいそうだ。

 向かいのソファーに座りながら、流星は視線を机に落とした。

 すっかりぬるくなったティーカップの紅茶と、皿に盛られたクッキーが並んでいる。端には保温性の水筒も置かれていて、中には追加の紅茶が入っている。それほど時間は経過していないから、まだ温かいだろう。クッキーも美味しそうだ。

 だが、それらは一切手が付けられていない。流星も楽も、口にする気には全くなれなかった。

 お互い向かい合ったまま、目はおろか会話も交わすことなく、ただ時間だけが経過していく。

 流星はため息をこらえて机から目をそらした。飲み食いする気の無いものをひたすら眺めていたところで、気が沈むだけである。

 それに、流星はただ漫然とこのまま過ごす気は無かった。

 ふたりきりというなら、自分がずっと尋ねたかったことを訊くことができる。

 おそらく、楽は怒り狂うだろう。喚き散らすだろう。それでも、尋ねずにはいられなかった。

 きっとまともに会話できるのは、この時が最後だろうから。

「……あの」

「ああぁ、もう!」

 流星が声をかけたのがきっかけだったかのように、楽は突然頭をかきむしって金切り声を上げた。

「何なのよ。なんっなのよ! 何でまだ解決してないの、何でこんなところで待たなきゃいけないわけ!? いい加減にしてよ、いつまで怯えなきゃいけないのよっ」

「……もうすぐ終わりますよ」

「もうすぐっていつ!? あの女、偉そうなこと言っといて全然何にもできてないじゃないの。あんたも、私のこと一回守ったぐらいでそれから何もしてないじゃない、役立たず!」

 流星はさすがに鼻白んだ。色々言ってくるとは思っていたが、ここまで勝手なことをがなり立てられるとは思っていなかった。

 その時点で、僅かに残っていた流星の中の躊躇いがほとんど消えてしまった。容赦をする気は、もう無い。

「……先輩」

「何で私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!? 私、何も悪いことしてないのにっ」

「何言ってるんですか」

 流星の声は、冷めきっていた。自分でもこんな声が出るなんて思わなかったため、流星は自分に驚いてしまう。

 それでも、一度開いた口は、簡単には閉じたりしなかった。

「先輩、あんた悪いことたくさん、してるじゃないですか」

「は……? 何、あんた何言ってんの。私何もしてないじゃない!」

「人殺したことが、悪いことじゃないって言うんですか」

 楽は言葉に詰まった。それを指摘されてしまえば、彼女が何も言えなくなるのは当然だった。

 だが、楽は自身を正当化するのを止めない。

 止められないのかもしれない。

「私は悪くないわよ。あの娘が勝手に落ちたのが悪いんじゃない! あの娘があんなことにならなかったらこんな目に……っ、そもそも土居の奴がちゃんとしてればこんなことにならなかったのよ!」

「先生がどうちゃんとすれば、こんなことにならなかったって言うんですか」

 流星は淡々と言った。

「先生、全部話してくれましたよ。あんたらに脅されてたことも、あんたらに言われてその人を襲おうとしたことも、焦れたあんたらが追い立てたせいで階段から落ちて死んだのも、全部」

「なっ、なっ……!」

「西宮美冬──でしたっけ、死んだ先輩の名前。話聞く限り、あんたらが加わらなければその人、少なくとも死ぬことはなかったんじゃないですか?」

「ち、違う! それは、あいつが勝手に足を滑らせて、それは土居のせいでっ」

「自分のせいじゃないってんなら、何でその人の死体を隠したんですか。そんなことしなければ、少なくとも怪異には巻き込まれなかったかもしれないんですよ」

 悠の推測が正しければ、"あの娘"──西宮美冬の死体が動き出したのは、きちんとした供養をされていないからだという。逆に言えば、供養されていれば死体が動くなどという事態にはならなかったはずである。

 流星は見知らぬ誰かのために憤れるほどお人好しではない。だがそれでも、知ってしまった残酷な事実を無視するほどに冷たくもないのだ。

 だからこそ、楽への言葉は自然冷たいものになった。

「あんたがするべきは、その先輩のことを素直に警察に話すか、そうでなくても救急車を呼んだりすることだったはすだ。なのにそれをしないで事実を隠そうとした。あんたの今の状況は、自業自得なんですよ」

「うるっさい!!」

 楽は髪を振り乱して叫んだ。絶叫と言って差し支え無いだろう。

「あんたに何が解るのよ! 何も知らないくせに、偉そうなこと言って。年下のくせに先輩に説教!? あんたそんなに偉いわけ!?」

 突如、楽は机に乗り上げた。カップやクッキー、水筒が床に散らばり、あるいは叩き付けられる。

 カップの割れる音に流星が一瞬気を取られているうちに、楽は彼の喉を引っ付かんだ。

 長い爪が、皮膚を食い破らんと食い込んでくる。楽の表情は、必死や憤怒を通り越してもはや鬼の形相だ。

 一体何を思ってこんなことをしているのだろうか。──否、おそらく何も考えてはいまい。ただ衝動に任せて、流星の口を塞ごうとしているだけなのだろう。

 しばらく楽は片手で首を絞めていたが、すぐに両手に切り替えた。だがそれも十秒もたたない内に解かれてしまう。

 頭が冷えた──わけではない。鬼の形相から青ざめた顔色に変わった表情に、理性的なものは感じられない。ただ感情が切り替わっただけだ。

 怒りから、恐怖へと。

「あ、あんた……なんで、何で首絞めてるのに、苦しそうじゃないのよっ」

 楽の指は、流星の呼吸を止められなかった。それどころか、食い込ませた爪は薄皮一枚破ることができなかった。

 喉元に手をかけられたまま、流星はため息をついた。一体ここ二日で何回ため息をつかねばならないのだろうか。

「あんた、何しようとしてるんですか」

「な、何って」

「こんなことをしても意味無いって解らないんすか? もうとっくにばれてるんですから、どうしようもないんですよ」

 むしろ、流星を殺してしまえば決定打になってしまうだろう。逃げようとしたところで逃げられはしない。

 高野には、すでにことの顛末を話してある。土居も自首という形で警察の元にいる。あとは死体さえ発見されれば終わりだ。

 流星は首を絞めている体勢のまま固まった楽を見上げた。

「もう一度訊きますけど……何であんなことをしたんですか?」

「……だ、だって」

 楽は手を離し、後ずさった。

「あ、あいつ……あの女、ちょっと可愛いからって、むかつくのよ! ちやほやされていい気になって、おまけに私達のこと馬鹿にして! だから、だからちょっと脅してやろうと思っただけだったのっ。なのに、なのにあんな……あ、あはは……」

「…………」

「あいつ、顔ぐしゃくしゃになってた……い、いい気味よ。自分で足滑らせて、ご自慢の顔を台無しにしてたんだから……」

「……どうして」

 流星はひきつった笑みを浮かべる楽を睨み付けた。

「どうしてそんな彼女の顔を焼いたんですか?」

 ひゅ、と息を飲む音が聞こえた。

 土居は警察に行く前、もう一つ真実を教えてくれた。

 土居がスコップを取りに行っている間、裏庭まで死体を運んだ楽達は、持っていたライターで死体の顔を焼いたらしい。

 さすがにそれを咎めた土居だったが、なぜか楽達は先ほど以上に取り乱し、火を着けたライターを振り回すので、そのまま従ったそうだ。結局、土居もそういった行動の真意を知らないままだった。

 悠は何かを察したのか、形のいい眉をひそめていたが、何かを言うことは無かった。

 楽はそのことを言われるとは思ってなかったのだろう、青ざめていた顔が瞬時に真っ白になった。もはやまともに呼吸をしているのかさえ怪しい。

 これは答えてくれないか、と流星は返答を期待するのを諦めた。

 そして無闇に怯えさせてしまったことを謝ろうと口を開きかけた時だった。


「殺したから、でしょう?」


 鈴のように心地よく、しかし氷のように冷たい声。

 流星は息を飲み、勢いよく振り返った。

 事務所の扉で、ぞっとするほどの美貌を持った少女がたたずんでいた。

「悠……」

 流星が呆然と呼びかけると、悠は切れ長の瞳を細めた。

「やあ、流星。何、やらかしちゃった?」

「……うるせぇ」

 流星はつい、と視線をそらした。実際、楽が取り乱している原因が流星にあるから、反論できない。

 それより、気になることを悠は言っていた。

 悠は少しだけ唇を緩めた後、楽に近付いた。

 楽は悠の言葉を聞いた瞬間から固まっていた。顔色はもはや血の通ったものではなくなっている。

「あ、あ、あ」

「おそらく、階段から落ちた直後の西宮美冬はまだ息があった。それに気付いた君達は、慌てて彼女にとどめを刺した。首を絞めたのか、石か何かで殴ったのか、それは解らないけどね。で、そうして殺したはいいものの──いや、よくはないけど、とにかくそうして死んだ彼女を目の前にして、怖くなったんじゃない? とどめを刺したということは直接殺したということ。自分達で手を下したということ。彼女の死に顔を見て、それを実感したんじゃない? もっとも、ただの死に顔ではなかったわけだけど」

 悠は楽の目前で止まった。腕を上げれば触れられるという距離である。身長は悠の方が高く、またヒールの高い靴を履いているため、悠が楽を見下ろす形だ。

「顔の骨がぐしゃぐしゃになって、まともに喋ることさえままならない状態。そんな人間の死に顔は、さぞ恐ろしかっただろうね」

「う、うあ、あ」

「もっとも、哀れなのはそんな死に顔を見た君達じゃなくて、さらすことになった西宮美冬だよ。その上、顔を焼かれるなんてね。顔が無くなる恐怖は、はたしていかほどのものだっただろう。容姿うんぬんはさておいて、自分の顔が無い、というのは、あまりに酷い状態だと思わない? 顔というのは、アイコン、アイデンティティにも関係するものだしね」

 首を傾げてみせた悠は、いっそ慈愛さえ感じさせる柔らかな笑みで楽に語りかけた。

 顔の無い死体。

 顔が焼かれた死体。

 顔が剥がされた死体。

 それは、どれだけ酷いものなのか。それは、どれだけむごいものなのか。

「焼けたのは死んだ後なのか、それとも生きたままだったのか、それはまだ解らないけど。でも、解らないから自分は悪くない、なんて虫のいいこと、まさか思ってないよね」

「っ……!」

「ねえ、金居楽。君から見た西宮美冬の死に顔は、一体どんなものだったの?」

 その言葉が引き金だったのだろう。楽は突然、奇声を上げて悠に掴みかかろうとした。

 腕を上げれば届く距離。突然の行為を避けることなど、できないはずだった。

「おっと危ない」

 だが悠は、手にしていたものを間に挟むだけで簡単に止めてしまった。

 紫色の竹刀袋に包まれた、反り返った長い棒状のもの。それで楽の伸ばされた両手を受け止めた悠は、それを軽く振って楽を振り払った。

 中途半端な体勢だった楽は、それだけで横倒しになってしまう。それでも最後の抵抗とばかりに竹刀袋を掴んだ。しかし、悠が素早く竹刀袋の中身を取り出して持ち直したため、結局竹刀袋ごと倒れ込んでしまった。

「っ、の、何で……!」

 声を荒げかけた楽は、続く言葉を飲み込んだ。代わりに、悠の持つものを見て身を固める。

 悠が持っているもの──竹刀袋の中にあったのは、一振りの刀だった。

 紅色の鞘と柄、銀の装飾が施されており、刃はおそらく一メートル以上あり、反りが強い。

 いわゆる太刀に分類される代物である。細身で美麗だが、れっきとした武器だ。華奢な少女が持つには、あまりに武骨に過ぎるし、何より凶悪だ。

 鞘に収まっているとはいえ、目の前の人間が刃物を持っていることに、楽は恐怖を再認識したようだった。顔をひきつらせて後ずさる。

「な、何それ」

 悠は楽の質問に答えなかった。

 ただ優しく、嗤った。

 そして、同じ言葉を繰り返す。

「ねえ、君から見た彼女の死に顔は、一体どんなものだったの?」

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