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顔無〈五〉

 学校の裏庭、というだけでは特定は難しいと考えていた流星だったが、悠はすでに目星を付けていたようだった。

「裏庭なら学校の構造上、確かに幾つもあるよ。だけど死体を隠すのに適した場所で、今のところ見つかっていないという点を踏まえれば、数は絞られてくる」

 裏庭という名称はつまり、周期的に手入れがされているということとイコールでもある、と悠は言った。

 確かに学校の裏庭と言われると人気が少なく、また訪れる人間も少ない印象があるが、花壇に花や木が植えられたりしていれば定期的に人の手が入る。そんな場所に死体を埋めたりしないだろう。

 だが、何ごとにも例外は存在する。例えば流星の高校の場合、崩れかけた物置小屋がある裏庭がその例外だった。

 物置小屋は現在使われておらず、またそれなりに大きい上に倒壊する恐れがあるため、安全のために裏庭そのものが侵入禁止になっているのだ。

 撤去すれば済む話なのだが、撤去するにも少なくない金額がかかる上に、その話を持ち出した教頭が急病で辞めてしまったため、話が宙ぶらりんになってしまっていた。

 手近の中では確かに何かを隠すには絶好の場所である。しかし。

「学校に、とか……考えられねぇ」

 スコップを手にした流星は、目の前の地面を睨み付けた。

 崩壊寸前の小屋から少し離れ、校舎側に寄った場所。日陰であるためかひんやりした空間の地面は、一部が掘り返されたような状態になっていた。

 流星が掘った──のではない。流星と悠が来た時点で、地面はすでにそうなっていた。

 土の色から見て、ごくごく最近のようだ。掘り返して、後からまた土を被せたというところだろう。

「この下に、本当に死体が……?」

「おそらくね。この様子だと、死体が這い出てるのか、それとも……まあいい。さっそく掘ってみてよ」

「…………おまえは手伝うのか?」

「手伝うわけないでしょ」

「ですよねー……」

 流星はため息をついてスコップを構えた。

 土に差し入れたスコップは、少し力を入れただけで深く沈み込んだ。土が固められていない証拠だ。

 掘った結果が何となく予測できてしまった。流星で思い至ったのだから、悠はとっくに気付いているだろう。

 別の意味で気が滅入ってきて、流星はげんなりしながらスコップを動かし始めた。

 と、同時に。

 ざっ、ざっ、ざっ、という、地面を蹴る音。間隔の幅から見て、走っている足音だ。

 流星がそれに振り反る直前。

「がっ」

 短い悲鳴が上がった。それに遅れて、質量のあるものが落ちる音。

 流星が振り向いた時には、振り上げた脚を下ろす悠と、彼女から少し離れた場所に倒れ込むスーツの男の姿があった。

「悠っ、おまえ何してんだ!?」

「言っとくけど、私は自己防衛しただけだよ。彼の方から襲ってきたんだ」

 悠は足元に落ちていたものを拾った。

 銀色に光るそれを見て、流星は息を飲む。それは、誰がどう見てもナイフだった。

「何のつもりでこんなのを持って突進してきたんだか。そもそも誰、この男」

 悠には見覚えの無い男らしい。うずくまった男の顔を確かめようと近付いた流星は、その顔を見て目を見開いた。

「土居……!?」

「うん? 彼が君の担任なの?」

 悠は目を瞬いて首を傾げた。

 血色の悪い顔──これは蹴られたせいかもしれないが──に背が高いだけの貧相な身体付き。毎日のように見ていた担任に相違無かった。

「ふぅん、こういう顔なんだ。この男の写真は手に入れてなかったから、知らなかったよ」

 それは逆に言えばほかの人間の写真は入手しているということである。流星はめまいがした。

 土居は好き勝手言われていることには無反応だった。よほど蹴られた場所が痛いのか、腹を抱えたまま震えている。あばら骨ぐらい折れているかもしれない。

 悠はしばしナイフをもてあそびながら土居を見つめていたが、やがて、ねえ、と声をかけた。

「貴方、誰に言われて私を刺そうとしたの?」

「は?」

 流星が間の抜けた声を上げたのには頓着せず、悠は土居に言葉を投げかける。

「つけてたわけでもないのに、私達がどうしてここにいることを知ったのかっていうのもそうだけど、こんなものを持ち出してどうするつもりだったの? 私を刺して、それでどうしたの? 教え子の彼も刺すつもりだった?」

 土居は答えない。ようやく起き上がった彼は、しかし座り込んだまま、腹を抱えて視線をせわしなく動かしている。

 悠は答えを期待してはいなかったようで、軽くため息をついて首だけ流星を振り返った。

「流星、気にしないで続けて。その下に何があるのか確かめないと話が進まないから」

「え、でも」

 流星が何か言う前に、動いた者がいた。土居である。

 土居は声の無い悲鳴のようなものを上げ、立ち上がった。正確には、立ち上がろうとした。

「駄目」

 だが土居が腰を浮かせた瞬間、悠は躊躇無く彼のみぞおちを踏みつけた。

 よりにもよって、ヒールの高い靴で。

 当然のように、ヒール部分で。

 土居が声無き悲鳴を上げたのと同時に、流星もまた呻き声を漏らした。それほどに容赦の無い勢いだった。

 悠は慈悲という言葉なんて知らないとばかりの笑みを浮かべ、土居を見下ろした。

 見下した、と言い換えてもいいほどに、冷たい眼差しだった。

「貴方に許すのは、事実を話すことだけ。それ以外は許可しないよ。解ったら、仰向けのまま委細漏らさず、私の質問に答えなよ」

 人間の発言ではなかった、悪魔の発言だった。否、悪魔そのものだった。

 悪魔に脅迫を受けた哀れな男は、青ざめた顔でがくがくと頷く。それに満足したらしい悪魔──もとい、悠は足の力を緩めた。

 緩めただけである。足は下ろさす、土居の腹に乗せたままだ。解放する気が全く感じられない様子だった。哀れである。

 哀れだと思ったものの、降りかかる火の粉に好んで突っ込む気は無い流星は、無言で土を掘り進めた。

 そのことに土居がまたも悲鳴のような声を上げかけるが、悠がまた足に力を込めたらしい。ぐう、という呻き声が聞こえたきり、抗議らしきものは聞こえてこなかった。

 無言で掘り進める流星は、ぼんやりとこれまでのことを思い返していた。現実逃避である。

 始まりはひとつの死体。顔の無い、人形のように放置された女子生徒。

 それを発見したのは、後ろで人間以下の扱いを受けている土居令士である。遅れて発見者となった流星が警察に通報しようとすると、土居は真っ青になって止めにかかった。まるでその死体の存在が自分にとって破滅を呼ぶものであるかのように。

 その一点だけが、未だに解けない疑問だ。金居楽の話が本当なら、死体が見付かって困るのは楽達であって土居ではない。聞く限り彼は、脅迫している側なのだから──

 がちり、と硬い音を立てて、スコップが止まった。土の柔らかい部分が終わったのだ。

 音で察したのだろう、悠は振り返りもせず、尋ねた。

「ねえ流星──あった(、、、)? 無かった(、、、、)?」

「……無かった(、、、、)何も(、、)

 吐き出した声は、自分で思ったより疲れていた。

 流星は自身が掘った穴を見下ろした。

 穴の中には、何も無い。死体どころか、石ころ一つありはしなかった。

 予想はしていた。掘り進めているうちに、もしやとも思っていた。だが実際に何も無い穴の底を見て、流星は一気に力が抜けるのを感じた。

 体力に自信がある流星は、柔らかい土を数メートル掘ったところで疲れたりなどしない。まだまだ続けることだって可能だ。

 しかし、目の当たりにした現実に、精神的疲労を頭上に落とされた気分だった。

「……無い……? そんな、何も……?」

 そして流星以上にショックを受けていたのは、今なお悠に踏みつけられている土居だった。

 彼は可哀想なほど青ざめ、虚ろな眼差しで虚空を見つめた。意気消沈を通り越して、今にも気絶しそうである。

「悠、何で死体が……というか、何も無いんだよ」

「ふむ、何かが埋まってたのは確実だけど──何の欠片も無いかい?」

「無ぇ」

 流星は首を振った後、顔をしかめた。

「もしかしてもう死体が這い出てきてんじゃねぇだろうな」

「いや、それは無いと思うよ」

「何で?」

「真っ昼間から死体が動き回ってたらパニックになるでしょ」

 納得の理由だった。

「ふむ、しかし困ったね」

 悠は首を傾げた。後ろ姿からは表情は確認できないが、困り顔でないことは確かである。

「死体が見付からないと、とても困る。あれが今回の事件に関わっているなら、あれを処理しないと解決しない。犠牲者が増えるばかりだ。その内、貴方のところにも来るかもね」

「ひっ」

 土居の喉からかすれた声が上がった。ここに来てから、土居は悲鳴か、それに類するものしか上げてないように思える。

「まさか、自分が逃れられると思ってたわけじゃないでしょう? だって、貴方も恨まれてるだろうし」

「ち、違う」

 土居はぶんぶんと首を振った。あまりの勢いに、首が取れてしまいそうだ。

「おれ、俺は悪くない。あいつらが、わる、悪いんだ。俺は、あいつらに言われた通りにしただけで、俺は悪くない……悪くないんだ……」

 弱々しく自分は悪くないと繰り返す土居に、流星は眉をひそめた。

 あまりに見苦しい様子に憮然としたというのもあるが、内容にひっかかりを覚えたからだ。

 金居楽は、土居に言われて死体を隠したと言っていた。彼に脅されたとも。

 だが、今の土居を見て複数の女子生徒を脅迫できるような人物だとは思えなかった。むしろこの態度は、脅されている側のそれである。

 流星と同じ印象を抱いたのか、悠は先ほどより幾分声を和らげた。

「ふうん、そう。貴方は悪くないんだ。じゃあ誰が悪いんだろうね」

「俺を脅してきた奴らだ! お、俺はあいつらに言われた通りに……」

「言われた通りに、何をしたの?」

 悠が尋ねたとたん、土居は再び沈黙する。だがすぐに、喋り始めた。

 もう逃げられないと悟ったのかもしれない。目を虚ろにして話す様は、やけになったとしか思えなかった。


   ───


 土居が援助交際をしたのは、些細な出来心だった。

 夜の街で、他校の生徒に誘われた。顔が好みで、言われた金額も払えない額ではなかった。

 一度だけ──そう思ったのが、間違いだった。

 一連の様子を、担当クラスの生徒にカメラで撮られていた。彼女達はグルだったのだ。

 そこからは泥沼だった。幾つもの写真と映像で脅迫され、言われるままに金を渡し、学校でも成績などを融通し──何度も何度も繰り返して、しかし際限が無かった。

 今度こそ終わる、今度こそ終わる、そう思いながら、それでも終わらない催促に次第に感覚が麻痺していた頃、ある頼みごと(、、、、)をされた。

 それは、ひとりの少女を襲うこと。方法は何でもいいから、痛い目に遭わせてやれ、と。

 理由は聞いていなかった。思考は、すでに放棄していた。

 頼み通り、土居は放課後ひとりでいた少女を襲い、逃げた彼女を追いかけた。だが、彼女は必死に逃げ続け、土居の手から逃れようとした。

 それに焦れたのは、頼んだ女子生徒達だ。どこかでその様子を見ていたらしい彼女達は、怒り顔で少女を追い詰めた。

 それが、悲劇を招いてしまった。

 担任ばかりかクラスメイトにまで追われた少女は、恐慌のままにめちゃくちゃに逃げ回り、その結果、焦って足を滑らせた。

 よりにもよって、屋上に続く長い階段の一番上で。

 受け身さえも取れず、長い階段に全身を激しく打ち付け、一番下まで転がり落ちた少女は、最後に顔を強打して動かなくなった。

 はたして、それは誰のせいと言えるのか。言われるままに追いかけた土居か、煽った女子生徒達か。

 どちらにせよ、その少女が死んでしまったことには変わりなかった。

 両手足は折れてあらぬ方向にねじ曲がり。

 顔は骨が砕けてぐちゃぐちゃに。

 この時一番焦ったのは女子生徒達だ。死んでしまうとは思わなかったのか、動かない少女を見て半狂乱で土居に怒鳴り散らした。

 おまえのせいだ。

 おまえがちゃんと追いかけなかったから。

 おまえがちゃんと襲わなかったから。

 おまえがちゃんと終わらせなかったから。

 おまえが、おまえが、おまえが──

 責め立てられている土居はもはや自我らしい自我を残していなかった。ただ心の片隅で自分のせいじゃないとくり返すばかりで、まともな思考回路はどこにも残っていなかった。

 その後さんざん土居をなじった女子生徒に命令されるまま、その死体を裏庭に埋めた。危険だからと誰も寄り付かない裏庭に。

 ──そう、死体を埋めたのは土居だ。だからそこに死体があることを、あった(、、、)ことを、土居は知っている。知っていた。

 だが──



「確かにあったはずの死体が無くなっていた、か。何だかB級ホラーじみてきたね」

 土居の話を全て聞き終えた悠から出た感想は、そんな言葉だった。埋められていた他殺死体が消えた、という異常事態も、彼女にかかれば陳腐な作り物並の扱いである。

 土居は、そのことに怒る様子は無かった。何もかも話して諦めがついたのか、幾分すっきりした顔をしている。

 どちらかというと虚無感の方が強いし、何より寝転がったままだが。

 流星は、土居から明かされた真実を処理するのに精一杯だった。

 脅されていたと思っていた先輩が実は脅していた側で、脅していたと思っていた担任が実は脅されていた。それだけでも流星にはいっぱいいっぱいだったが、更に与えられた幾つかの事実は、消化するのに苦労していた。

 勿論、土居の話が全て本当という確証は無い。まだ隠していることがある可能性もあるし、もしかしたら今話した全てが嘘かもしれない。

 ただひとつ確実なのは、あったはずの死体が無くなったということだけ。

「……先生、一応確認なんだけど、ここに死体があったのは事実、なんすよね?」

「ああ……間違いない。埋めたのは俺自身だから、確信を持って言える。場所もそこで間違いない。位置もちゃんとはかっていたから……」

 妙なところで細かい男だった。そういう性格なのかもしれない。

「ちなみに、埋めたのはいつ?」

 次に尋ねたのは悠だ。ここでようやく、土居から足を下ろした。

「先月の二十日だが……」

「そう……ということは、とっくに四十九日は過ぎてるか。悪霊化するのは当然と言えば当然、なんだけど……死体が無いのは説明付かないな」

「死体が無いのがそんなにおかしいのか?」

「実体の無い霊が、残った死体を動かすことはおかしくないんだけど、その死体が昼間うろつくとはどうも思えないんだよね。多分、狭間に誘い込むことはできても自分独自の世界を作り出すことはできないだろうから、そこに隠れ潜むなんてことできないだろうし、狭間だって日中は夜ほど広くないから潜んでられるわけがないし」

 悠は首を傾げた後、眉をひそめた。

「……案外、死体はとっくに掘り起こされた後だったのかもね」

「え?」

「私達の前に死体を見付けた人間がいて、それを掘り起こした。死霊──もう悪霊か、悪霊の肉体を匿っている人間がいるとしたら?」

「それなら……死体が見付からない、動く死体の目撃も無い理由になる……?」

「そういうこと」

 悠は唇を歪めた。

「候補がいないでもない。この学校、最近何度か外部の人間が訪問してるみたいだし、内部犯じゃないなら、その中に死体を匿っている人間がいるでしょう。さしあたっては、まず」

 悠は土居を見下ろした。先ほどとは違って幾分か視線が柔らかいからだろう、土居は若干怯えつつも、落ち着いた顔で見返した。全てを話したのも、いいように作用したのかもしれない。

「まだ何かあるのか? 俺に解ることなら話せるが……」

「その様子じゃ、意図的に話さなかったわけじゃないみたいだね」

 悠は微かな苦笑を浮かべた。

「別に難しいことじゃないよ。貴方が言われるままに襲ったっていう少女の名前、知ってたら教えてくれる?」

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