顔無〈四〉
流星はため息をつきたくなった。
「……何であんたがいるのよ」
金居楽が不機嫌そうに声を上げると、向かいの悠は肩をすくめた。
「残念だけど、彼に貴女を助ける力は無いよ。貴女の要望は、私しか叶えられない」
悠の言葉は正しい。正しいのだが、どうにも不遜な印象がぬぐえない。楽も同じ印象を抱いたのだろう、悠を半目で睨み付けた後、なぜか流星に流し目を送った。
そこに込められた"何とかして"という念に、流星は今度こそため息をつく。
悠と流星は、楽の助けを求める電話を受け、高野と別れて彼女の自宅に来ていた。現在は楽の部屋に通され、絨毯の敷かれた床の上に座り、向かい合っている。
少女らしい家具や小物が配置された部屋に入った当初、流星は自身の場違いさに居心地悪く感じたが、今は女子ふたりの険悪さに居心地が悪かった。
悠は顔を青くしている流星など素知らぬ顔で、楽を見据えた。もともと人形より整った面立ちに加え、鍛え抜かれた刃以上に鋭い眼差しだ。ただ見るだけで、普通の人間が睨むより強い威圧感がある。実際、楽はそれだけで黙り込んでしまった。
「さて、じゃあ用件をすませよう」
悠は紅い唇に笑みを浮かべた。
「君は流星に電話をしたね。"あの娘に殺される"──それはどういう意味かな?」
「……」
「黙っていてはらちが明かないよ。言っておくけど、私は君が誰に殺されようが構わないんだから」
「おい、悠」
「私は依頼されたことしかしない。依頼されなければ君の事情に深く踏み込まない。けど、仕事に関係するかどうか判断するために、ある程度は話してもらうよ」
身を乗り出しかけた流星を手で制し、悠は問うた。
「あの娘とは誰? 君はなぜ、狙われてるの?」
悠の眼差しは、強い。否定や誤魔化しを一切許さない、尋問官のような目だ。
楽はそれでも抵抗して、うろうろと視線をさ迷わせていたが、やがて呻き声を上げてうつむいた。
「誰にも、言わないでしょうね」
「他人の秘密を言いふらす趣味は無いよ」
「………………私、人殺しちゃってるのよ」
ようやく口にした言葉は、衝撃と言うのも生ぬるい爆弾発言だった。
思わず押し黙った悠と流星にたたみかけるように、楽は勢いよく言葉を重ねた。
「こ、殺したくて殺したんじゃないわ。あれは事故だったの。事故だったのに、あの男が私達に押し付けて……そうよ、そもそもあの娘が死んだのも、あいつのせいなのに、どうして私達が狙われなきゃいけないのよ! 私──私達は何も悪く無いのに……」
「待って。順を追って説明してもらえる?」
熱を帯び始めた楽を、悠は遮った。楽はなぜかまたも悠を睨み付けた後、今度はぼそぼそと話し始める。
「先月の話よ……あの娘が死んだのは。みんなでふざけてる時に、あの娘、勝手に足を滑らせて、階段から……その後、あの男が来て、あの娘が死んだのは私達のせいだって、知られたくなかったら、死体を隠せって」
「あの男っていうのは、誰のこと?」
「……その時の、私達の担任。土井令士って奴」
予想外の人物の名前に、悠と流星は思わず顔を見合わせた。
土井は流星にとっては現担任であり、学校で起こった事件の発見者だ。その上、悠の情報が確かなら、楽と援助交際をしている仲である。
流星は目の前に汚れた布か何かを突き付けられた顔になるが、悠は表情を変えずに尋ねた。
「それで、その死体はどこに隠したの? 口振りからして、その土井じゃなくて貴女達が隠したんでしょう?」
「……………………。……学校の………………裏庭………………」
なぜか楽は渋い表情で沈黙した後、仕方がない、と言いたげな雰囲気で答えた。
悠はそれを聞いてなるほど、と頷く。
「そう、そういうこと。うん、これで大体が繋がったよ。でも、うん、確実ではないか……あくまで可能性が生まれただけだし……」
一体悠が何に納得してるのか、あるいは納得していないのか、流星にはさっぱり解らなかった。だが楽はそうではないらしく、顔を僅かにひきつらせている。
すっかり置いてきぼりの流星は、視線を落としながら質問を投げかけてみた。
「狙ってるのは殺したっていう人だとして──どうしてその人に殺されるなんて思ったんすか?」
名前も知らないその先輩は、すでに死んでいるのだ。死人が人を殺すはずがない。
通常であれば。
「だ、だって」
楽は声を震わせた。
「い、一緒にいた友達と連絡がつかないし、うちの学校で人が死んだっていうじゃない。絶対あの娘の仕業よ!」
「いや、だから」
「だってあの娘と同じ状態で死んでたって、土井の奴が!」
ぴたり、と、流星は動きを止めた。
同じ状態だと、楽は言った。
流星は知っている。彼女達がどういった状態で死んでいたか。
あんな風に死んだというのだろうか、あの娘というのは。
どうして?
「……なるほどね」
それを聞いた悠は、微笑んだ。
紅い唇が歪み、弧を描く。その様はあまりに妖艶で──何より恐ろしかった。
声無く短い悲鳴を上げた楽に目もくれず、悠は鞄からバインダーに挟まれた一枚の紙を取り出した。
字がびっしり書かれている以外は、一見何の変哲も無い白い紙。だが微かに、香のような匂いが鼻をかすめる。
「話は解った。ようは君は、死んだはずの人間の復讐から守ってもらいたいと、そういうわけだね」
「そ、う……だけ、ど……」
「それなら私の領分だ。君の依頼を受けよう。君が望むのならね」
紙──契約書を楽に渡す悠は、言葉を続ける。
「私ができるのは怪異の排除、あるいは怪異が引き起こした事件の解決。勿論依頼人の命の保証も仕事のうちだ。金額は最低で十万。相談だけならもっと安価だし、難易度によってはもっと高いんだけど……それは今後の展開次第だね」
「はあ!? じ、十万って……高いわよっ。ぼったくりじゃない!」
「高い、ねえ」
悠はにまにまと笑った。
「自分の命がかかってるのに、十万が高いと思うんだ。君の命は随分安上がりなんだね」
「っ……!」
「ま、高いと思うならそれを理由に止めてもいいよ。あくまで選択権は君にある。私は君の決定に添って、契約を果たすだけさ」
悠は同じ鞄から万年筆を取り出し、差し出した。反対の手で、ゆったりと契約書を撫でる。
華奢で長い指が、紙の上の字をなぞる。ただそれだけの動作が、唾を飲み込むほど淫靡に見えた。
「さあ、選びなよ。契約するか否か、全ては、君次第だよ」
それは、悪魔の囁きに似ていた。
流星は知っている。その囁きは別に、悪魔のそれでもなければ地獄への案内でもない。それに乗れば事態が解決するのは事実であり、また生命を脅かされることも今後無いのは確実だ。
だが、怪異に関わった時点で、怪異に狙われた時点で、何かを失うことは決定事項だった。
流星がそうだった。他の人間もそのようだ。
悠自身も──そうらしい。
結局のところ、すでに手遅れなのだ。
怪異に関わってしまえば、もう終わり。解決とは、もはや事後処理も同然である。
それでも、どちらがましかと問われれば。
「…………」
楽は無言で万年筆を奪い取り、契約書の一番下に名前を書いた。上の書式とは全く趣の違う、丸っこい字だった。万年筆を使い慣れていないせいだろう、僅かに歪んでいる。
「契約成立」
悠は楽しそうに笑いながら契約書を受け取った。
「じゃ、私はいったん帰るから。流星、君はここで待機ね」
「はあっ!?」
流星はすっとんきょうな声を上げた。
「な、何で」
「必要なものを取りにいくの。その間、ひとりだと不安だろうし、君が彼女の護衛をすること。ひとまず君の仕事はそれ」
「護衛って……日のある内は大丈夫だと思うけど」
「"思う"じゃ駄目なの。契約を結んだ以上、依頼人の身の保証はきちんとしなきゃね」
立ち上がりながら、悠は流星の肩を軽く叩いた。
「今の君でも、護衛ぐらいはできるでしょう。実際、一度は彼女を助けたんだから」
「それは……」
「じゃ、頼んだよ」
悠はそれ以上何かを言われる前に、さっさと部屋を出ていってしまった。後に残されたのは、呆然とする流星と楽である。
いかにも女子という風の部屋にひとり取り残され、ヒステリーの気がある先輩の相手をしなければいけないという現実に、流星はがっくり肩を落とした。
───
金居楽の家から少し離れた場所の裏道。人の気配が無いことを確認して、悠はため息をついた。
流星に言ったことは嘘では無い。仕事道具が必要なのは事実だ。だが別に、悠自身が取りに行く必要は無い。流星に任せてもよかったし、朱崋に持ってこさせても問題無かった。
それなのに自分で行くのは、歩いている間に考えをまとめるため。
「自分が殺した、でも自分のせいじゃない、別の奴のせい、あの娘は勝手に足を滑らせた──ねえ」
悠はくすり、と唇を歪ませた。
馬鹿馬鹿しいと思う。彼女は自分の言っている矛盾に気が付いているのだろうか。
いないだろう。迫ってくる恐怖におびえながら、したたかに自分の有利になるよう悲劇のヒロインのように振る舞おうとする彼女なのだから。
──ま、命は助けてあげるよ。それが契約だ。
さて、と、悠は思考を巡らせる。
必要なものを取りに行った後、金居楽の部屋に戻る。問題はその後で、どう動けば依頼を達成できるのかを考えねばならない。
もっとも、やるべきことはすでに決まってるのだ。悠の頭を悩ませているのは、予想される金居楽の反応の方である。
確実に邪魔をしてくる。それが自分の破滅を招く行為だと解っているから。
身の安全と人生の転落の阻止。両方を取ることができる段階では、すでに無いというのに。
「やっぱり、置いていくか」
どうせいてもいなくてもやることは変わらないのだから──悠は気負い無い足取りで店へと向かっていった。
───
「………………」
「そんな恨みがましい目で見られてもね」
一時間ほどで戻ってきた悠を、流星はひたすらどんよりした目で見つめた。
たかが一時間。されど一時間。
流星はその間に、楽から自分は悪くないという主張を延々と聞かされた。
最初こそ相槌を売っていた流星だったが、だんだんうんざりしてしまい、返事がおざなりになっていった。しかし適当な返事をしたら楽からヒステリックな叱責が飛んでくるから、そうそう気が抜けない。
結局、流星は楽の自己弁護を一時間肯定する行為に努めることになった。面倒な彼女を持った男の気分である。
その楽を打ち合わせがあるからと部屋にとどまらせ、ふたりは階下の廊下で小声で話をしていた。
「気が滅入ってるのは解るけどさ、あんなに繰り返し言わなくてもよくないか? 耳たこだぜ」
「相当色々言われたみたいだね。……それより、これからのことだけど」
悠は更に声をひそませた。
「金居楽の言うあの娘とやらの死体を掘り起こそうと思う」
「掘り起こす?」
流星は思わず声を張り上げた。悠が睨み付けたので、慌てて口をつぐむ。
悠は続けた。
「死体の状況が見たい。まだ学校にあるのか、あるならどういう状態なのか──それさえ解れば、この件は片付く」
「片付くのか」
「ああ。死体を供養すれば、おそらくことは全部収まるよ。これ以上犠牲が出ることもなく、依頼人の命が脅かされることも無くなるだろう」
悠は自身の推測を話した。
「多分、あの娘とやらは無念の内に死んだ。恨みを募らせて、金居楽達を憎みながら死んだ。だから彼女達を殺しているんだろう。けれど、なぜ今になってそんなことをすると思う? それほど憎いなら、死んだ直後に動き出すものじゃない?」
「それは、確かに」
「おそらく、彼女達を殺している理由は憎しみでも、殺し始めた──動き出した原因は別なんじゃないかな。死体が生前の感情で動く理由のひとつは、死体が適切な処理をされなかったことだ」
「適切な、処理?」
「ようはちゃんと供養されているかだよ。形式は宗教、宗派によって様々だけど、一番馴染みがあるのは、やっぱり葬式をして、念仏を唱えてもらって、そして火葬する。略式かつ乱暴な形を取るなら、死体を燃やしてその灰と骨をきちんと手順を踏んで処理すれば、人死にには二度と発展しないだろう」
「そういう、もんか?」
「そういうものだよ。あくまで推測だし、解決方法のひとつでしかないけど、これが一番確実性が高い」
首を傾げる流星に、悠は肩をすくめた。
「準備と手順を間違えなければ、怪異の解決というのは、大抵簡単なんだよ。まあその準備と手順を間違える人間が多い上に、簡単じゃない事柄があるから私達みたいなのが存在するんだけどね。例えば、君の時とか」
「…………」
「まあ、いざとなったら強硬手段もある。とりあえず穏便に済むものから始めよう」
そう言って悠は手に持ったものに目線を落とした。
紫色の竹刀袋に入った、細長い何か。長さは少なくとも一メートルはあり、袋越しでも反り返っているのが解る。
流星は竹刀袋を複雑な気持ちで見下ろした後、悠に尋ねた。
「それで、いつ掘り起こすんだ? 夜か?」
「いや、今から」
悠は言った。
「むしろ夜になるまでに片付けたい。今日中にことを終わらせるためにもね。高野刑事にも事情を説明して、許可はもらってる」
「そうか」
「じゃ、行こうか」
悠はさっさと玄関へと向かっていった。
流星は一瞬、続くことをためらう。彼女と共に行けば、絶対に嫌なものを見るはめになる。気分は最悪最低になるだろうし、後味もいいものでは無いだろう。
何しろ、この件を片付ければ、否、片付かなくとも金居楽は──
「……今更か」
そう、今更だ。
すでにことは始まっていたし、同時に終わってもいるのだ。今からするのは、解決というより後始末なのだから。
金居楽の末路は、流星達がどうしようととっくに決まっていたのだ。
流星は鉛を飲み込んだ気持ちで歩き出した。