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顔無〈三〉

 学校に着いて早々、悠と流星はふたりの警官に行く手を阻まれた。

 校内立ち入り禁止――は、同じなのだが、立ち入り許可されていた校舎さえも入ることが許されず、校門から一歩も踏み出せない有り様だ。

 理由を訊いても話せないの一点張りで、頑としてはねのけられる。

 流星は困ればいいのかほっとすればいいのか解らず、悠を見た。

 悠は、特に焦っている様子は無かった。ただじっと、警官を見つめている。唇には微かな笑みさえあり、進行を邪魔されているとは思えないほど落ち着いていた。

 むしろ困惑したのは警官達の方である。

 ただでさえ、彼らからすれば素性のよく解らない子供ふたりが、事件のあった校舎に入りたいと言い出しているのだ。その上、片や平均をはるかに越す大男、片や背筋が凍り付くほど浮世離れした美貌の少女である。ひとりだけでも気後れしそうなのに、同時に来られては警官の動揺はいかほどであろうか。

 更に美少女の方はこちらを黙って眺めてくるのだから、居心地は悪くなるばかりである。

 秒単位で顔色を無くしていく警官達を気の毒に思い、悠に戻ろうと声をかけようとした時。

「何をしてるんだ」

 あきれを含んだ、かすれた声。聞き覚えのある声に、流星は顔を上げた。

「おじさん」

 ほっと息をついた流星の視線の先には、壮年過ぎの刑事――高野がいた。

 高野はまず、流星によお、と手を上げ、次いで警官達を見やった。

「そのふたりは俺の知り合いだ。通せ」

「し、しかし警部、子供を現場に入れるわけには」

「そっちのでっかいのはここの生徒で、最初の事件の発見者だ。そっちの娘は……まあ専門家みたいなもんだな」

「はあ……?」

 警官達は顔を見合わせた。

 この場で言う専門家となると、こういった事件のそれとなるが、それこそ専門集団の一員である高野が言うのはいささか奇妙だった。そもそも悠は大人びてはいても見た目も実年齢も十代の少女で、事件、それも殺人事件に精通してるとは到底思えなかった。

 むしろ疑念が強くなったらしい警官ふたりを置いて、高野は悠に声をかけた。

「久しぶりだな。1ヶ月振りか、椿」

「そうだね。彼の一件以来だから」

 悠は流星を横目に頷いた。口調こそ敬語も何も無い不遜なものだが、穏やかな声音である。少なくとも流星に対する時より明らかにとげが少なく、また丁寧な対応だった。

 一方の高野の態度も年下の友人に対するようなそれであり、見た目の差異とは裏腹に、ふたりはなごやかな様子だった。

 しかし、それは次に悠が口を開いた時には霧散してしまう。

「……ところで、私を通すってことは」

「……ああ」

 高野は重々しく頷いた。

「まだ断定はできないが、おまえの専門分野かもしれん。現場を見てもらえるか?」

「いいよ。行こう」

 悠はくすりと笑った。

 ふたりは未だ置いてきぼりの警官をほったらかして、どんどん校舎へ歩いていく。流星は慌ててその後を追った。

 校舎に入ったところで、悠は高野を見上げた。

「それで、今日は何があったの? 昨日遺体が発見されたっていうのは聞いたけど……まさかふたり目?」

「そのまさかだ。遺体はもう運び出されているがな」

 高野は頷いた。

「損壊が酷くてな、昨日の遺体同様まだ身元は解らない。女性であることと、服装からしてこの高校の生徒である可能性が高いとしか言えん。まあ昨日のに関しては目星はついてるから、後は確認だけだがな」

「身元不明ね――荷物は何も無かったの?」

「ひとり目はスマホが落ちてたが、何しろSDカードも含めてこなごなに砕けていてな、データが残るもへったくれも無い。今回にいたっては何も見付かっていない。本当に何もだ」

 つまり、身元どころか犯人に繋がるものも何も無いということである。勿論それだけで捜査が行き詰まるほど警察は無能ではないし、いちいち悠に任せようとするほど高野も頼りない刑事ではない。

「遺体の方に、何かあった?」

「あった――というか、あぁ、うん」

 高野は言いにくそうに言いよどんだ後、こめかみをもんだ。

「遺体の死因は窒息死なんだが……死ぬ前に、手足を折られ、おまけに顔を剥がされていてな。窒息も、首の骨を折られたことにより気道が確保できなかったかららしい」

「ふうん。それで身元確認が遅れているのか」

 言葉だけでも十分に凄惨な様子を、悠はそれがどうしたと言わんばかりの物言いですませてしまった。

 流星は憮然として悠を見下ろす。

 悠のこんな態度を見ることは初めてではない。実際に向けられたこともある。

 だがそれでも、あまりに冷酷な言動にどう反応すればいいのか解らなくなってしまう。

 慣れてしまっているのか、それとも興味が無いのか。どちらにせよ、十代少女の反応ではないのは確かである。

 一方の高野はそんな反応には慣れきっているのか、まあな、と同意しつつ、言葉を続けた。

 内容は、更におぞましいものだった。

「問題はそのやり方でな……どうも、道具やそのたぐいは使っていないらしい」

「それってつまり」

「ああ。素手で(、、、)ことをなした(、、、、、、)ことになる」

 高野の口調はやや固いものの、淡々としていた。だから流星は一瞬、何が異常なのか解らなかった。

 しかし徐々に意味を理解し、絶句する。

「それって」

 言葉は続かない。思わず想像してしまった。

 顔にかかる手の感触。それが輪郭に食い込む瞬間。

 思わず顔に手をやる。当然そこに他人の手など無い。

 生きている自分の顔をその手で剥がす何か(、、)。彼女はその顔を見たのだろうか。

 ざっと血の気を引かせた流星に気付いているのかいないのか、悠は調子を変えず言った。

「それで私を頼ったの? 普通の人間が素手で顔を剥がせるわけないって」

「それもあるが……とりあえず見てもらえるか? もっとも鑑識も調べ終わって証拠はあらかた持ってっちまってるがな」

 高野はずんずん先へと進んでいく。悠と流星はそれに着いていく形だ。

 ただ流星は、着いていく内に目的地がどこなのかおぼろげに察し始めていた。

 見慣れた道程を経て、たどり着いたのは。

「……俺の教室」

 目の前の扉とその上に掲げられた「2-A」という文字に、流星はぽつりと呟く。

 ちらりとだけ彼を見上げた悠は、そのまま高野を振り返った。

「ここで発見されたの?」

「ああ。ちなみに前の被害者も同じくだ」

「二件続けて死体が発見された教室、ねぇ」

 悠は小首を傾げた後、躊躇無く扉を開けた。中に死体やその他の事件性を匂わせるものが無いとはいえ、迷いが無さ過ぎる。

 開かれた扉の先は、流星の記憶よりいささか汚れて見えた。血痕でも残っているのかと見渡してみても、そんなものは無い。それに肉が腐ったような臭いと香水のような甘ったるい臭いが混ざってかすかに漂っており、思わず顔をしかめた。

「これは、なるほど」

 悠が納得した、と頷いた。果たして何に納得したのだろうか。

「流星、君この教室をどう思う?」

「どうって……」

 突然悠に問われ、流星は戸惑った。しかし視線で促されたのでしぶしぶ口を開く。

「何か、汚い――ように見える。あと臭いっていうか、変な臭いする。換気した方がいいんじゃないかってぐらい」

「へえ」

 悠はにやり、と笑った後、高野を見た。

「だそうだけど、高野刑事にはどう見える?」

「……臭いはするな。だが汚いようには見えん」

「え?」

 流星は思わず高野を見下ろす。百七十ほどしか無い高野と向き合うと、どうしても見下ろさずにはいられない。

「私にも臭いと汚れは認識できるけど、普通はどっちも解らないだろうね」

「え? え、ってことは」

「何て言えばいいのかな。空気が淀んでるっていうのが一番適切かもね。勿論物理的な意味ではなくて、雰囲気とかそういうのだけど」

 悠は目を細めて教室を見回した。

 流星も改めて教室を見る。最初の印象は変わらない。変わらず汚く、臭く感じる。

「まあこの程度、差異の範囲じゃない? 現場でしょ」

「ああ、発見現場だ」

「……うん?」

 悠は首を傾げた。

「ここで殺されたわけじゃないの?」

「ああ。おそらく別のところで殺され、ここに運び込まれたんだろう。何でわざわざ学校なんぞに運び込んだのか、その遺体を椅子に座らせたのかは解らんがな」

「わざわざ椅子に……」

 高野の言葉を繰り返す悠は、何やら考え込んでいるようだった。しばらく黙り込んで、顔を上げる。

「二件とも、全く同じ状況だったの?」

「ああ。だから、同一犯ってのが濃厚だ。俺もそう考えている」

「なるほど……ねえ、流星」

「……あ? 俺?」

「君以外ここに流星って名前はいないでしょう」

 悠はあきれ返った。

「一回目の発見者は君だそうだけど、その時何か気付いたことある?」

「そう言われても……結構驚いてたし、先生に邪魔とかされて全然状況確認できなかったからなあ」

「先生?」

「ああ。俺、第一発見者ってわけじゃねぇんだよ。本当の第一発見者は担任の土井先生」

 そういえば土井はどうなったのだろうか。流星は高野を見た。

 こちらの言いたいことを読み取ってくれたのだろう、高野は肩をすくめた。

「未だに会話にならん。何をおびえているのか、自分は知らない関係無いの一点張りでな。へたに突っ込もうものなら絶叫して暴れるんだから始末に終えん」

「完全に病んじゃってるじゃん」

 流星は頬をひきつらせた。特に仲がいいわけではない、むしろ悪印象しかない担任だが、その様子にはいささか同情してしまう。

 おそらくは初めて見た死体が、あんなにも凄惨な代物だったのだ。事件のことを話すには、まだ時間を置かねばならないのだろう。

 しかし、悠と高野は違った印象を持ったようだった。

「ちょっと過剰に反応し過ぎだね。死体を見ただけって言うには、無理がある」

「同感だ。何か隠してるとしか思えんな」

 ふたりの言葉に、流星は目を見開いた。

「ふ、ふたり共、先生が犯人だって言うのか?」

「そこまで言ってないし、そうとも思っていないよ」

 悠は肩をすくめた。

「ただ、何か今回のことを知ってるんじゃないかとは思ってる。第一発見者ってことは何かしら見てしまったか……あるいは似たようなことを知ってるか」

「似たようなこと?」

「今回の被害者と同じような遺体を見たことがあるんじゃないかってこと。勿論確証は無いし、もしかしたら本当に錯乱してるだけかもしれない」

「だがまあ、こうも証拠らしい証拠が無いんでな。疑わしいところは突き詰めにゃいかん」

 高野は面倒そうに唸った。

「ほとんど藁にすがる思いで椿を頼ったんだが……どうだ?」

「どうだと言われても、現場だけじゃ何とも」

 悠は首を振った。

「殺人現場じゃないにしては濃過ぎるな(、、、、、)と思うぐらい。遺体を見たらまた違う印象になるんだろうけど、ここにないんじゃね」

「遺体を検分できるよう便宜しようか?」

「いや、いいよ。もう色々調べて簡易的なもろもろは終わってるんでしょ。その後のもの見ても解るものも解らないよ」

 ところで、と、悠は高野に尋ねた。

「昨日の方は身元の目星が付いてるって言ってたけど、どういうこと?」

「ああ、それか」

 高野は頷いた。

「この学校の女生徒の所在を調べたんだがな、連絡が取れない、居場所が解らない生徒がふたり(、、、)いたんだ。うちひとりと身体的特徴が共通しててな、今調べているところなんだ」

「そんなに違うの?顔が無い以上、目立った特徴が無い限り区別は付きにくいと思うけど」

「髪と身長がかなり違ったな。だが何より、行方不明になった時期が違う」

 高野は答えた。

「その生徒は茶髪に染めてて、もうひとりと比べて際立って小柄だった。もうひとりの身長が高いってのもあるが、おそらくは間違い無いだろうと。それに小柄な方と連絡が取れなくなったのは一昨日からだが、もうひとりは三月の頭から行方不明になっていてな。あくまでまだ可能性だが、おそらく違うだろうと。どちらも三年の生徒だ」

 まあ三月の娘は進級できてればの話だが、と高野は付け加える。

「このクラスの生徒じゃなくて?」

「ああ」

 なぜそんなことを訊くのか、流星は首を傾げて悠を見る。彼女の表情を見ても、その思考は読み取れない。

「……ま、いいや」

 悠はあっさりと切り捨て、身を翻した。

「おい、椿」

「悪いけど高野刑事、この現場だけじゃ判断は下せない。可能性がある、としか言えないよ。私が今口にできるのはこれだけ。これ以上は正式に依頼してちょうだい」

「正式な依頼、な」

「そっちも確証も無く私と契約できないでしょう?ひとまず帰らせてもらうよ。どうやら目的の人物もいないみたいだし」

 悠は視線を下ろした。その先には、ひとりの少女。

 肩の上で髪を切り揃えた、人形染みた白ワンピースに無表情の少女ーー朱崋である。

 流星と高野は目を剥いた。

 先ほどまで、朱崋は確実にこの場にいなかった。流星に至っては、悠と自分を見送る彼女の姿を確かに見たのである。

 追いかけてきたにしろ、その登場はあまりにも唐突かつ不自然で、そもそも校門を警官が陣取っているのにどうやって入ったのか。見た目もあいまって不気味極まりなかった。

「土井礼士様はここではなく自宅にいらっしゃいます。報告が遅れてしまい申し訳ございません」

「いや、いいよ。それだけ?」

 男ふたりが固まっているのをよそに、悠は平静そのものだった。まるで最初から朱崋がいたような振る舞いである。

「いいえ」

 朱崋は首を振った。

「もう一つ、ご報告が。先ほど高野様は行方不明者はふたりとおっしゃいましたが、もうひとり、所在が解らない生徒がいらっしゃいます」

「うん?」

「おそらく、その方が今回の被害者かと」

 流星のスマホが鳴り始めたのは、朱崋が続けようとした時だった。

 鳴った、と言ってもバイブにしていたために音はしない。ただ振動がポケットから伝わり、流星は思わず飛び上がった。

 慌てて取り出して画面を確認すれば、『金居楽』の名前が書かれている。別れ際に半ば無理矢理登録制させられたのだ。

 ざわり、と首の後ろを撫でられた気がした。肩をすくませながら、流星は電話を取った。

「もしも」

『助けて!』

 遮ったのは、悲痛以上に逼迫した、絶叫のような声だった。あまりに大きな声は、周囲にも届いたらしい。悠と高野が目を丸くして流星を――彼のスマホを見た。朱崋だけが微動だにしなかったが。

 流星もまた固まってしまうが、電話の相手、すなわち楽は気にも留めていなかった。あるいは気にする余裕が無いのか。

『わた、私っ、あの娘(、、、)に殺されちゃう!』

 彼女はただ電話越しに訴えた。

 自身に迫る危機を、あまりに端的に。

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