血家〈終〉
猛が帰った。いつまでも世話になってられないし、何より橘家を離れ過ぎてもいけないからと。
「父さんはまあ大丈夫として⋯⋯老人達は、何人正気なのやら。刀弥さん、手加減はしても容赦はしないからな⋯⋯」
そんな不穏な言葉を残して。
流星も帰りたかったが、迎えにきてくれた悠を置いていくわけにはいかない。かといってひとりでうろつけるほど、この屋敷の居心地はよくなかった。
「つちみかどっと」
流星は畳にごろりと横になって、スマホで"つちみかど"を検索した。どこかで名前を聞いたことがある気がしたので、もしや有名なのかと思ったのだ。もっとも、つちみかどが土御門と書くのを知ったのは今なのだが。
「ふうん⋯⋯安倍晴明の子孫なのか」
ゲームか漫画で聞いたことあったかな、と首を傾げつつ読み進めていくと、現存はしているものの、どうやら退魔師のような仕事はしていないようだった。特殊性は保っているものの、椿家や橘家のような血に濡れた雰囲気は無い。
ただこれは、あくまでネット上で知り得た情報だ。ここに訪れた土御門は、いわば裏の土御門という存在なのかもしれない。
「⋯⋯いや、さすがに中二過ぎか」
流星はスマホをしまった。
実際はどうあれ、流星には関係の無い話だ。平凡だろうが特異だろうが、流星は彼らに関わる理由が無い。顔ぐらいは合わせるかもしれないが、そう深く付き合うことはないだろう。
そう思っていたのだが。
「っ⋯⋯!」
流星は跳ね上がるように上体を起こし、前方に側転の要領で移動した。
遅れてふすまが吹き飛び、先ほどまで流星が寝ていた畳に赤い杭が突き刺さった。杭は畳だけでなくその下の床まで貫通し、周囲が爆音と共に砕け散る。
「あれ、避けれるんだ。ふーん、全く動けないんじゃないんだ」
否──杭ではない。それは、赤いブーツだった。
ブーツと言っても布や革のそれではない。金属のような、水晶のような──とにかく硬質なものでできた、グリーブのようなブーツである。
そしてブーツをはいているのは、能面のように冷たくも整った顔立ちの少女だった。茶色がかった黒髪を夜会巻きに整えた様は上品だが、身にまとった服はパンクなシャツとホットパンツである。顔立ちが古典的な日本人で化粧もしてないため、全てがちぐはぐに見えた。
「誰⋯⋯だ?」
流星は懐の短刀に手を伸ばすか迷った。攻撃されたのは事実だが、相手が人間なのは間違いなさそうである。それに椿家の関係者である可能性がある以上、下手に敵対もできなかった。
少女はく、と唇を歪めた。
「怪異に名乗る名前なんて無いね。まかり間違って呼ばれたら、耳が腐るじゃない」
脚を床から引き抜いた少女は、腰を沈める。流星はとっさに庭に転がり出た。
流星が立っていた場所に、紅い一閃が走る。少女が鋭い蹴りを放ったのだ。
硬質なそれはただ振るうだけで攻撃力がありそうなものだが、よくよく見れば爪先から足の半分辺りまで刃のように鋭い。使い方によっては剣のように相手を斬り裂けるだろう。
更にいつの間に着けたのか、右手に同じ素材の篭手がはめられている。それで貫手を放ち、流星の顔面を貫こうとした。
それをぎりぎりもぎりぎりで回避して、流星は思わず喚く。
「っぶねえな! 殺す気か!?」
「殺すぅ? 変なこと言わないで」
少女は不可解そうな顔をした。
「怪異は狩る、あるいは祓うでしょ。殺すなんて、そんな命があるみたいに言わないでよ」
「⋯⋯は?」
流星は、それこそ不可解な言葉を聞いた気分だった。
怪異には命が無い。人々の想念によって生まれた怪異は、なるほど確かにそう言えるだろう。
だが流星は、生まれた時は人間で、今も血肉を備えた一個の生命である。
命を否定されたら、今の自分は一体何なのか。
息をして、考えて、心臓を動かしている自分は──彼女にとって何なのか。
戸惑いが一瞬身体を硬くする。その一瞬を少女は見逃さない。
再び畳を破壊する勢いで床を蹴り、脳天を紅い一閃が狙う──
激しい金属音が耳をつんざいた。我に返った流星の視界に、艶やかな黒髪が舞う。
紅い破片を散らしながら、少女が吹き飛んだ。空中で身体をひねり、無様に墜落するのはまぬがれたものの、体勢を崩して膝を着く。
一方流星を守るように立ち塞がったのは、刀を構えた悠だった。
悠はちらりと流星を見た後、少女に視線を戻す。そして忌々しげに言った。
「何のつもり?」
「何がよ。あ、おひさ」
少女は不思議そうな顔をして立ち上がった。ばらばらと紅水晶が剥がれ落ち、その下のレザーブーツが姿を現す。
「ていうか、急に攻撃してこないでよ。危ないじゃないの」
「危ないのはそっちだっての。華乃、私言ったよね。私や、私の周りを攻撃するなら容赦しないって」
「はあ? その怪異もそうなわけ?」
少女──華乃は、立ち上がった流星をじろりと睨み付ける。汚物を見るかのような眼差しに、流星の背が震えた。
「そうだよ。あと、怪異じゃなくて流星ね」
悠はそう言って、流星の襟元をぐいっと引っ張った。前のめりに倒れかける流星に顔を寄せ、微笑む。挑発的な笑みだった。
「流星は私のなんだよ。だから、彼を殺したければ私を倒してからにしな」
一瞬、流星は何を言われたのか解らなかった。間抜けな顔で悠を見、髪の香りが解るほど近いことに気付き。
「──⋯⋯っ!?」
顔に爆発するかと思うほど血が集中した。
鉄のように硬直し、されるがままの流星を見、華乃は苦々しい表情になった。瞳には燃え上がるような憎悪を浮かべ、ふたりを睨み付ける。
「ああ、そう。なら好きにするといいわ。でも、いずれ自分でそれを狩ることになるわよ。それでもいいの?」
「今更だね」
悠の言葉にますます顔を歪め、華乃は挨拶も無く出ていってしまった。後に残ったのは紅色の破片だが、何とそれは液体になって地面に染み込んでしまう。
「な、な、何⋯⋯?」
「ああ、あれは華乃の血だよ。彼女は自分の血を結晶化して、武装化することができるんだ」
「何、何⋯⋯え、血? 結晶?」
流星の混乱は悠の発言によるものだったが、彼女はそれに気付いていなかったらしい。ぱっと手を離しながらの説明に、しかしおかげで流星は落ち着きを取り戻した。
「血って⋯⋯自分の血って。うぇー」
「まあそういう反応するよね。ていうか、あの大量の血、どうまかなっているんだか⋯⋯ま、それはともかく」
悠は肩をすくめ、流星を見上げた。
「帰ろうか。色々訊きたいし、そっちも訊きたいでしょ」
「まあ⋯⋯うん」
「とりあえず事務所に⋯⋯の前に、君、シャワーして着替えてね。何か臭い」
「え゛」
そんな地味に傷付くことを言われつつ。
流星は、ようやく帰路へ付いたのである。
───
屋敷の中に戻った華乃は、憮然とした表情の熾紋に行き合った。
「兄さん、何その顔」
「⋯⋯椿刀弥にしてやられました」
その発言に、華乃は呆れ果ててしまう。
「あの男に喧嘩売ったわけ? 馬鹿じゃないの。兄さんでどうこうできる相手じゃないのは解りきってるでしょ」
「っ⋯⋯」
熾紋は悔しそうな顔をしたが、そんな表情をしたいのは華乃の方だった。
悠が珍しいだけの怪異を懐に入れている事実は、華乃にとって衝撃的だった。そんな奴に構う暇があるなら、自分と遊んでくれたらいいのに──そう言ったところで、悠は鼻で笑うだけだろう。
──まあいい。そっちがその気なら、私だって好きにするもの。
悠の警告も無視して、華乃は不敵に笑った。




