血家〈三〉
飛び出していった悠を見送った刀弥は、熾紋を見た。
「──で? そちらさんの訪問理由は?」
「何だい。妹が心配じゃないのかい? 薄情だねぇ」
「あ、答えないならいいや。さようなら」
ひらひらと手を振る刀弥に、熾紋は一瞬笑みの仮面が崩れた。だがすぐに取り繕い、改めて口を開く。
「貴方の妹と、橘家の直系が妖魔に襲われたと聞きました。なので、土御門家も事態の把握と援助をしようと」
「耳が早いのは結構だが、別にいらないから帰っていいぞ」
刀弥はすっかり興味を失った顔で、くあ、とあくびを漏らした。だらしのない仕種だが、ここまで顔が整っているとそれすら絵になるものである。
熾紋はさすがに唖然とした。丸くなった瞳で秋月を見ると、彼はため息をつく。が、それだけだった。刀弥のことを咎めようとはしない。
熾紋は気色ばんだ。
「っ、僕を拒むということは、土御門家の協力も拒むということだ。それを解ってるのか?」
「そっちこそ、それは本気で言ってるのか?」
刀弥は立ち上がった。
「椿家や橘家がおまえらを正当な土御門だと認めてないこと、まさか忘れてないよな?」
「僕達がただ歴史を繋いだだけの連中より劣るというのか」
「そんなことを言ってる時点で、おまえ達の器は知れたもんだよな」
刀弥のせせら笑いに、熾紋はとうとう耐えきれなくなった。
「言わせておけば⋯⋯!」
ぐ、と右の拳を突き出す。何も無かったはずの腕の上に突如、白い狐が現れた。
長い尾を手首から肩までぐるりと巻き付けた白狐は、鈍く光る牙を剥き、刀弥に飛びかかる。
「噛み付け!」
熾紋の指示通り、白狐は刀弥に向かって口を開けた。人の頭を飲み込めるほどの大口と、剣のように鋭い牙を前に、刀弥は──
「ぬるい」
蠅でも払いのけるかのような気安さで、殴り飛ばした。
ぎゃん、と一声鳴いた白狐は、床に叩きつけられ、溶けるように消えた。それらを見届け、熾紋は今度こそ言葉を失う。
白狐は、熾紋の式神である。咄嗟とはいえ、常人は勿論、非武装の並の退魔師なら対応は困難だった。
それを、武器どころか何の特殊能力も無く片手で払い飛ばしてしまったのである。
その時の、熾紋の驚愕と恐怖は言いようのないものだった。
間抜けにも右手を突き出したまま立ち尽くし、ややあってようやく声を絞り出す。
「化け物め⋯⋯!」
「化け物ね。そりゃ褒め言葉だ」
刀弥はにやりと笑った。
「俺達は神使の末裔だ。人外扱いは大歓迎だぜ。ところで、だ」
「っ!」
「うちの敷地内で俺に攻撃するってことは、どういうことか解っているよな」
刀弥が一歩踏み出すと、熾紋はじりじりと後ろに下がった。
張り詰めた空気が支配する中、それを止めたのは秋月だった。
「やり過ぎだ、刀弥」
厳しくたしなめる秋月に、刀弥は肩をすくめるだけだった。
秋月はため息をつき、熾紋を見た。
「土御門の、息子が失礼した」
「は、はあ」
「しかし、土御門の手をわずらわせるつもりが無いのも事実だ。今回は帰っていただこう。そうすれば、先ほどのことは不問に付す」
「⋯⋯解りました」
さすがに冷静になったらしい熾紋は、消沈した様子で踵を返した。途中、睨むというには苛烈過ぎる眼差しを刀弥に向けたが、刀弥はそよ風を受けるほどにも感じていない。
秋月は熾紋の背中をじ、と見つめていたが、その姿が襖の向こうに消えると、本日何度目かのため息をついた。
「⋯⋯刀弥」
「信用できない連中に、背中は任せらんねえだろ」
咎める声に、刀弥は肩をすくめて右腕を撫でた。
「連中には一杯喰わされて、片腕持ってかれてるしな」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「悠が出ていったのも⋯⋯直接的でないにしろ、間接的には関わっていた」
刀弥の右腕は、二年前に深い傷を負い、以来ほとんど動かなくなってしまっている。それを補う戦い方を学ぶのにも、一年以上かかった。
その一件の裏には土御門が関わっている可能性が高かったのだが、物的証拠が無く、強く責めることができなかった。
そしてそれが尾を引き、悠が出奔するきっかけとなる事件が起きたのだが──その件のことになると、秋月はとたんに口が重くなる。
今もまた、むっつり黙り込む父の姿に、刀弥は失望の目を向けた。
「──ま、何にせよだ。土御門に今回のことには関わらせない。怪し過ぎる。というか、隠しもしてないだろ、あれ。昨日の今日のことを知ってるって、もう白状しているようなもんだ」
「⋯⋯ああ。裏で、連中が糸を引いているのは明白だろう。だが今回もまた、証拠が無い」
様々な疑惑を与えながら、決定的な証拠を残さない。うさん臭い上に不気味な一族。それが土御門を僭称する連中なのである。
刀弥は腹立たしさをごまかすように、舌打ちを漏らした。




