沈罠〈三〉
お久しぶりです。かなり間が空いてしまいました…
片手で刀を構えながら、悠は改めて女を眺めた。そして鼻で笑う。
「貴女の格好、何それ。花魁でも気取ってるの? だっさ」
「雅も介さないなんて、可哀想なおつむね。顔だけ美しくたって、意味は無いのよ」
「どっちが。あまりの似非っぷりが下品だよ」
ああだからか、と悠は嘲笑う。
「やたら化粧が濃いのって、その下品な顔を隠すため? どの道下品だから大して変わらないよ、おば様♪」
「っ……小娘が!」
「沸点ひっく……っと」
突如目前に迫った黒い帷を斬り払い、悠は後ろに跳んだ。
帷は女の頭部から伸びており、斬られると同時にするすると戻っていく。どうやら帷と思っていたものは、女の髪だったようだ。
髪を自在に操る術。そういう効果を持つ呪具か──あるいは怪異か。
「……ねえ、貴女人間?」
「はあ? 何そのくだらない質問」
今度は女が悠を嘲笑する番だった。
「そんなわけないでしょ。私は人間を超越した存在。人間を踏みつけ、踏み潰す側。すなわち──妖魔よ」
人間から怪異に変じた存在は、半妖と呼ばれている。彼、彼女らは基本、意図せず成ってしまったがゆえに危険な存在でない限りは監視される程度で済む。
流星の鬼童子は狂暴な本能を持つゆえに大抵狩られるが、暴走したり人を襲ったりしなければ命を狙われることも無い。もっとも、性質上難しいが。
だが、半妖の中には自らの怪異を悪意を持って使う者がいる。それどころか、外法を用いて怪異と成り果てる者達もいるのだ。
そういった者達は、妖魔と呼ばれている。
「やっぱり下品だよ、貴女。見た目も、中身も」
「うっさいわよ、下等生物!」
女は叫ぶと、黒髪を鞭のようにしならせた。複数の束になってうごめく髪を回避し、斬り伏せながら、悠は何とか距離を詰めようとする。
だが、間断無く放たれる髪の鞭をいなすのが精一杯で、近付くことができない。
普段であればもっとうまく立ち回っている。だが今の悠は、右肩をかばっている状態である。いつもの動きができるわけがなかった。
このままでも負けない自信はある。だが時間がかかることも否定できない。そしてこの場合、時間をかけることは悪手以外の何物でもなかった。
周囲の人間を遠ざけ、近付けさせない結界。もともと人気の少ない場所ならともかく、街中で長時間続くものではない。そして時間切れになって一般人が気付いて集まってきたとしたら──犠牲が出るのは、火を見るより明らかである。
悠はひとつ決意すると、これまでと違い、あえて更に距離を取った。
「なあに? やっと現実を思い知ったの!?」
勝ち誇る女を無視して、悠は右腕を無理矢理動かして柏手を打った。
「宇迦之御魂神にかしこみかしこみ申す──」
そして今まで片手で持っていた刀を両手で持ち直す。
「剣に座します荒御魂、その封印を緩したまへ──」
「……!?」
女はその時になってようやく、悠が何かをしようとしているのに気が付いたのだろう。一転して表情をひきつらせ、髪の鞭を大量に振るった。
「させるか!」
「──風刃」
だが、それらは全て手遅れだった。
悠が刀を振るった瞬間、帳どころか大波となった髪が真っ二つになり、その勢いのまま女の胸を斬り裂いたのだ。
女は何が起きたのか解らなかっただろう。振るった刀から衝撃波が出て、髪ごと自分を斬り裂いたなど、思いもしていないに違いない。
女が倒れると同時に、斬り離された髪はみるみるしなびて灰となった。女の方は血だまりの中でぴくりともしない。
無理に動かしたせいで痛む右肩を押さえながら、悠は女に近付いた。そして、眉をひそめる。
「貴女、偽物だね」
「……ふは。そうよ。これはただの身代わり」
血を吐きながら、女は凄惨な笑みを浮かべた。
「これで勝ったと思わないことね。私はいずれ、おまえを殺すわ。いえ、はたして私が手を下す必要があるかしらね。おまえ達はいずれ、私達のえっ」
「うるさ」
女の言葉を最後まで聞かず、悠はその首を斬り飛ばした。首無しの身体はしだいにミイラのようにしなびて砕け散り、頭の方は髪の束となって地面に散らばった。そして僅かな風で散らばり、行方が解らなくなる。
後に残るのは、黒い液体でぐっしょり濡れた派手な着物と色褪せたかんざしだけだ。
同時に、周囲に街の喧騒が戻ってきた。いずれは人の姿も見えてくるだろう。それに気抜けしたのか、ずきずきと頭痛が訪れて悠は顔をしかめる。
「朱崋、後始末頼んだ」
「はい」
背後に現れた朱崋に指示を出し、悠はその手から鞘を受け取って店に戻った。
──流星と猛はどうしているだろうか。おそらく私と同じく襲撃を受けてるはず。
どう転ぶにしろ、今後面倒なことになるのは確実で、悠は深々とため息をついた。