沈罠〈一〉
「最初に言っておくと、君が狙われたのは君が鬼童子だからだ」
だから家族は殺されたのだと、悠は改めて突きつけた。
その時はもう心が麻痺していて、その時点で身を引き裂かれるような痛みは無かった。
ただ血を流し続けていた。だくだくと血が流れて、鈍くて大きい痛みがあった。
身体の傷はとっくに塞がっていたのに。
「怪異を生まれつき宿していて、なおかつ目覚める人間は希少だが、中でも鬼童子はウルトラレアだからね。君の家系を調べた何者かが、君が鬼童子である可能性を考えてってことでしょ」
それが不幸だとは、不思議と思わなかった。いつか起こる災厄が、俺の代で起こったのだとすとんと納得した。
「相手を追うにしろ、追わないにしろ、君はその力を操れるようにならなきゃね。全ては、それからだよ」
にやりと笑った悠の顔は、本当に心の底から憎たらしいほど不敵で、だけど痛みを一時忘れるほど美しかった。
───
「今から向かうのは山梨県の山間にあるダムです。かつては複数の小さな村があったそうですが、今は全て廃村、一部がダムに沈んでいます。それから三十年間は特に問題が起こることは無かったんですが、ここ一ヶ月の間にゾンビのような化物の目撃情報が多発。被害者も多数出たため、鎮魂の儀を──って、流星さん、大丈夫ですか」
「大丈夫に見えるなら、おまえは悠と同類だ」
説明を中断した猛に、流星はふてくされた返事をした。
ふたりは現在、猛が説明したダムに向かう最中だった。
移動手段は猛の家の車で、運転してるのは同家の運転手である。
車に乗っているのはこの三人だけで、悠も、猛の同行者もいなかった。
「悠と同類って……具体的にはどういう人間ですか」
「人を人とも思わない冷血人間」
「ああ……」
「ああって、納得すんのかよ。おまえ、悠の友達だろ」
「友達ですよ。友達ですけど、否定できないので」
それこそ冷たい発言に、流星は若干面食らった。
猛は肩をすくめた。
「そもそも俺も悠も、生まれた時からこっち側ですから。多少なりとも非人間的な要素はあるでしょ」
「……この間も思ったけど、ふたりってそういう家系なのか?」
「えっ」
猛は意外そうな顔で流星を見た。
「流星さん、知らなかったんですか?」
「あ、ああ。そういう話は全然しなくて」
「はあ……まあ、あいつはそうか」
猛は顔をしかめた。
「前にちらっと言ったと思いますけど、悠も怪異の因子を持った一族なんです。ただ、正確には怪異というより、神の使いなんですけど」
「神の使いぃ?」
流星は胡乱げな眼差しを向けた。
幼少期から人ならざるものを視ることができ、現在自身が怪異となった流星だが、神という存在を信じてはいなかった。一般人が霊を胡散臭く思うように、流星は神仏を胡散臭く感じているのである。
だから猛の言葉は眉唾物だったのだが、彼は終始真面目だった。
「椿家は稲荷の神使、白狐を祖としていて、その力が強い者ほど美しい容姿を持つことで有名なんです。悠もそうですけど、あいつの兄貴達も相当の美男子ですよ」
「兄貴いんのか」
「ええ、ふたり」
そんなことも知らなかった。わざわざ訊くことも、知る必要も無かったことだが、知らなかったことがもやもやする。
しかし、もし今の話が本当だとして、悠のあの常人離れした美しさに理由があるのは納得できるものがあった。
「俺の家──橘家は、怪異を調伏するために、仏の力を借りて、あえて鬼の力を自身に宿す秘術を伝える一族なんです。今は完全に使える人はいませんが、そういうわけで流星さんのような人の受け入れは容易なんです」
「あー、俺が鬼だから」
「はい。でも、これは悠にも言われたと思いますけど、怪異であるという事実のみだけでも、殺すに値すると考える退魔師はいます」
そうだな、と流星は頷く。悠との初対面からして、彼女に殺されるところだった。
「最近の退魔師だと、怪異というだけで土地神として信仰されていた善良な存在を消そうとして、地元の人と大揉めしたって話があるぐらいですから。なおさら気を付けた方がいいでしょう」
「……正直俺、神様信じてないんだけどさ。土地神狩ろうとするって相当やばいんじゃ」
「やばいですよ。一番やばいのが、そういうのが一定数いて、一定数以上の支持を得ていることです」
どこの世界にも過激派はいるということである。流星はうへえ、と呻いた。
「そろそろ仕事の話を再開していいですか」
「あ、はい」
「鎮魂の儀式は、当初は悠が神楽を舞って、俺がゾンビの相手をする予定でした。それができなくなったので、俺が経を読み、流星さんがゾンビの相手をお願いします」
「……そのゾンビって、本物じゃねーよな」
「違いますよ。身も蓋も無い言い方すると、幻覚っすね」
本当に身も蓋も無かった。幻覚によって実害が出るなど嫌な話である。
「というか、そもそも何でそんな事態になっているのか未だに不明なんですよ。記録上は施工中、もめたことも人死にが出たこともなく、人柱だってした形跡も無い。そもそも今になって突然ですから」
「前々から心霊スポットだったわけじゃないのか?」
「違いますね。近くの道がハイキングコースだったぐらいで」
確かに、それは奇妙である。
悠曰く、怪異には必ず発生する原因があるという。例えば廃墟に幽霊が出るとして、人死にや死体があるのが常だという。勿論そういう要因が無い場合もあるが、その場合は長年放置され、廃墟を怖いものだと思う感情が蓄積された結果なのだそうだ。
ひるがえって今回のダムは、そのような要因も積み重ねも無い。全くの無から現状に至っているように思える。
「そっちの謎は、とりあえず悠が追ってくれてます。俺達は鎮魂の儀、それが終わって現地でしか調べられないものがあれば調べる、という感じですね」
「りょーかい……噛まれたら奴らの仲間入りとか無いよな」
「無いと思いますけど……何でですか?」
「いや……」
どうやらゲームや映画の話は通じないっぽい──流星は肩をすくめた。
───
ダムに着いたとたん、流星はその場に流れる空気の悪さに驚いた。
山間だけあって周囲は自然に覆われ、肌に当たる風は心地よい──だが、空気は淀んでいる。
密閉され、何年も放置された空間のように、空気が動いていないのだ。風は確かに吹いているのに、それが何の助けにもなっていない。
「屋外って、こんなに空気淀むっけ……」
「いえ、これは……予想以上にまずい状況っすね。さっそく始めましょう」
猛はそう言って、車から四つの水盆を出した。細かな細工が施された、銀製のそれを四角形になるように配置して、中に水をなみなみと注ぐ。更に中心に同じく銀製の香炉を置いた。
最後に車から出したのは、布に覆われた長大な物体だった。棒状のそれは猛自身の身長よりなお長く、抱えて歩くのにも苦労しそうだが、猛自身は手慣れた様子で肩に担ぎ、香炉の前に座った。
「今すぐ鎮魂を始めます。鈴木さん、あんたは一旦帰ってくれ」
「はい」
猛の指示を受けた運転手は、顔色を変えることも無く車と共に去ってしまった。若干憮然としてしまった流星に、猛は声をかける。
「流星さん、日中はゾンビは出てこないはずです。問題は夜。今から行えば多少数も勢いも減らせるでしょうけど、油断はしないでください」
「お、おう」
戸惑いつつも頷いたのを見て、猛はさっさと儀式に入ったようだった。両手を合わせ、ぶつぶつと何やら唱えている。いつの間に火を投入したのか、香炉からは煙が上がっていた。
流星はしばし猛の様子をうかがっていたが、問題が無いと判断して自分も地面に座り込んだ。
猛の言う通り、流星のやるべきことは今は無い。なので無駄な体力を消費するわけにはいかないのである。
だがじっとしていると、じわじわと緊張が染み込んできた。
流星は今まで二度、怪異を倒している。だがそのどちらも流星の意識は無かった。鬼童子としての力が流星の意思を上回っていたからだ。
自分自身の意識を保って戦うのは初めてである。
流星は悠から渡された短刀を取り出した。
呪いの家の一件では護身用として渡されたが、今度は積極的に使わなければならない。
ゾンビとはいえ、人の形をしたものに自分の意思で武器を振るわなければならないことに、今更ながらためらいが生じていた。
だが戦わなければ真っ先に死ぬのは自分だし、逃げたとしたら次に襲われるのは猛である。何より、逃げた流星を悠は今度こそ狩るだろう。
退魔師として戦うからこそ、流星は生きることを許されているのだから。
「……そもそも選択肢が無ぇんだよなあ」
すでに怪異として目覚めてしまった流星には、退魔師として生きる以外に道は無い。あとの道は死にしか繋がらないのである。
否、そもそも退魔師としてすら生きる道と言えるのか。
人として死ぬか。
怪異として死ぬか。
退魔師として死ぬか。
ようは、死に様を選んだだけでは──
「……ん?」
物思いにふけっていた流星は、ふと顔を上げて眉をひそめた。
視界の隅に人影が見えた気がしたのだが、やはりそれが人だったのである。
人が入らないようにしてるんじゃなかったのかよ──内心愚痴った流星は、直後、硬直する。
人影は、ひとつではなかった。ふたつ、三つ──瞬きするごとに、増えていく。おまけにその動きがおかしい。首が据わっていない赤ん坊の如く、上体が安定していない。おまけに足元も引きずるようで、全く上がっていなかった。
ざあっと血の気が引いた顔で辺りを見渡せば、同じような人影が自分と猛を取り囲みつつあるのに気が付いた。
人影は朧気だった。輪郭がおぼつかなく、容姿もなぜか認識できない。煙か霧が人の形を取っているかのようだ。
だが直感的に、こいつらが例のゾンビだと理解した。
「夜に出るんじゃなかったのかよ!」
思わず叫んだ流星に、人影──ゾンビ達は一斉に襲いかかった。