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顔無〈一〉

 あらすじにも書いてますが、前に投稿した同名の小説を改定したものです。

「それが君の意思なのかな?」

 彼女の言葉に、俺は頷く。固い決意を示すために、深く、しっかりと。

 だが、彼女にはあまり意味の無い行動だったらしい。心底不思議そうな顔で首を傾げられた。

「生きたいと思うならまだ解る。助けてほしいと、仇を討ちたいと願うのなら理解できる。けど、それとはほど遠い想いから来るものだろう?」

 彼女の言う通りだ。俺が選んだ理由は生きるためでも、助けてもらうためでも、仇を討つためでもない。

 勿論、思っていないわけじゃない。俺は生きたいし、助けてほしいし、仇を討ちたい。本音はどうあがいても打ち消せない。どれもこれも、全く付随していないなんてことは言えない。言ったら俺の意思さえ嘘になる。

 だけど、それよりも強く思うことがある。

 格好つけたいわけでもヒーローとかになりたいわけでもない。そもそもこれは格好つけるには裏側過ぎるし、ヒーローと呼ぶにはブラック過ぎる。へたすれば自滅が待っている。いや、自滅だけならいい。よくて死亡、悪くても死亡だ。しかもどちらも誰かに、あるいは何か(・・)に殺される結末であり、前者は肉片が一つでも残ったというレベルの“いい“という、ブラックというよりブラッドな結末しか待っていない。

 しかし、それでも、俺は選ぶ。

 自分の意思で。

 自分の意志で。

 望む道を選ぶ。

「……ふむ」

 彼女はようやくこちらの本気を察したのか、傾げた首を元に戻し、頷いた。

「なら、改めて問おう。あえて訊こう。必要だから言おう。――契約するか否か、全ては、君次第だ」

 彼女が手を差し出す。俺は――


    ―――


 華鳳院(カホウイン)流星(リュウセイ)それ(・・)を発見したのは、気まぐれに早朝から登校した日だった。

 気まぐれとは言っても、全く明確な理由が無かったわけではない。今日の一時間目に提出しなければならない課題を忘れていたため、朝の早いうちにやってしまおうという魂胆があった。

 その日は爽やかな朝とは言いがたく、曇天に似つかわしい湿気た重い空気が漂っていた。だが、特別不快ということもなく、慣れたくはないが慣れ親しんだ、つまりはいつも通りの朝だった。

 まず最初に見たのは、誰もいないだろう教室の前で腰を抜かしている担任の化学教師、土井(ドイ)令士(レイシ)だった。

 いつからそこにいたのかはさだかではない。ただ、彼は神経質であまり血色のよくない顔を、更に悪くさせていた。否、悪くなる、どころではない。顔を巡る全ての血がどこかに行ってしまったかのように、青を通り越して白くなっている。限界まで見開かれた目は開いた扉から教室の中を凝視しており、あってはならないものを見てしまって、しかし目をそらせば命を刈り取られると言いたげな、恐怖に満ち満ちた目だった。

 明らかに常とは違う顔、状況。流星は、背筋から体温が抜けるのを感じた。

 教室に入ってはいけない。それどころか、見るのも駄目だ。脳の奥底で、本能が叫ぶのを聞いた。

 だが、流星はそれに逆らって教室に近付いた。一歩一歩踏み出すごとに駄目だと警鐘が鳴り響き、足は進むことを拒んで硬くなるが、それらを全て無視し、開け放たれた扉から中を覗き込む。

 教室は薄暗かった。ぱっと見では中を詳しく見ることは叶わず、机や椅子が窓からの僅かな光源によって逆光になり、影の群れになっている。

 その机の一つに、奇妙なものが置かれていた。

 椅子でも机でもない。目を凝らしてみれば、人の形をしていた。

 一見すると、それは不気味な人形に見えた。無邪気で残酷な子供に手足を歪に折り曲げられた哀れな人形。しかし、そう言うにはねじれ、引き裂けた肌も、ぼろぼろに破れ、ほつれたセーラー服も、ざんばらに乱れ、赤黒く固まった頭髪も、あまりにも生々し過ぎた。

 何より、その顔。剥き出しの眼球、用を成さなくなった唇、隠れることのなくなった口腔。それら全てが、こちらを向いている。

 顔が無い、と流星は呟いた。

 その一言だけで、彼女(・・)の姿を表すのにはこと足りた。

 折れた手足も、無惨なセーラー服も、乱れた髪も、ただの付属に過ぎない。

 顔が無い。ただそれだけが、もの言わぬ物体と成り果てた彼女を表現するのに、最もふさわしかった。


    ―――


 普段入らない教室で、流星は規格外に大きい身体を縮こまらせて椅子に座っていた。

 流星の体躯は、日本人の平均身長を大きく逸脱している。新学期が始まってすぐに行った身体検査では、もう少しで百九十センチに届くだろうというぐらいだった。来年には本当に越しているかもしれない。

 それに比例して長い手足は、窮屈そうに身体の傍に引き込まれている。身長だけでなく体格自体も巨体と言っていいほどがっしりしているため、なるべく身を小さく見せようと言わんばかりの姿は、端から見れば滑稽であった。

 しかし、流星は別に狭い部屋に押し込まれているわけではない。広さでいえば、むしろ充分過ぎるぐらいである。四十人近い人数を収容する室内の中で、いくら流星のがたいが大きかろうと狭くなることはない。ましてや、この教室にいる生徒は流星ひとりである。机や椅子を含めたところで、流星が身体を小さくする必要はない。

 ではなぜ、彼は居心地の悪い座り方をしているのか。

 それには、彼の置かれた状況が起因していた。

 自分の教室で死体を発見するという体験をした流星がまずしたのは、警察に電話することだった。それは当然の行動である。しかしその電話で警察に状況を説明するのには、短くない時間を要した。

 別にどう説明すればいいのか解らなかったわけではない。流星は特別弁の立つ方ではないが、しかし、極端に口下手というわけでもないのだから。

 原因は、担任の土井である。

 ただただ震えてへたりこんでいたはずの土井は、警察に電話した途端、邪魔をするように喚き、暴れだしたのである。あまつさえ流星の携帯を奪おうとしたため、騒ぎを聞きつけたほかの教師や後からやってきた生徒達に取り抑えられることになった。

 その土井は、現在保健室で寝かされている。意識を失うようなことは無かったものの、とてもまともな受け答え、ましてや警察の事情聴取など応えられる状態ではなかったのである。結果、扱いは第一発見者として、流星は警察が話を聞きにくるまで待機することになってしまった。

 教室の前には、制服を着た警官が立っている。何のために立っているのかは知らないが、おかげで窮屈な思いをすることになってしまったと、流星は警官を睨みたい気持ちだった。

 流星には警察の世話にならなければならない後ろ暗い事情など一切無い。が、それでも警察官が傍にいるというのは精神的負担になった。

 そうして三十分ほどリラッスからほど遠い状態だったが、見知った姿が教室に入ってくるのを見て、ようやく身体から力を抜いた。

 とはいえ、それは友人ではない。クラスメイトでもないし、教師でもない。

 その人物もまた、警官――刑事だった。

「よお、流星」

 刑事は中年男性だった。背は流星より小さいが――もっとも、彼より背の高い人間などなかなかいないのだが――それでも広い背中や肩などがっしりしていて、厳めしい顔立ちであるのも相まって、年齢を感じさせない容貌だった。

 高野(タカノ)次郎(ジロウ)。それが刑事の名前である。

「おじさん」

 流星は次郎のことをおじさんと呼ぶ。彼にとって次郎は幼い頃から知っている大人だった。

「大丈夫――じゃあなさそうだな。顔色、悪いぞ」

 次郎がまず口にしたのは、気遣いの言葉だった。その言葉に、流星は顔を歪める。取り乱すようなみっともない真似こそ見せなかったものの、あんなものを目撃してしまったことに参っていないわけでは無かった。

 あんなもの――顔の無い死体。

 人であったはずの、人でなくなったもの。

 あれは――

「おじさん、あれは誰だったんだ?」

 流星は座ったまま、次郎に尋ねた。

 顔が無い――顔が剥がされているということは、確かに恐ろしい事実であり、おぞましい事態だが、冷静になって考えてまず疑問として浮かび上がるのは、あれが誰なのかということである。

 顔が解らない以上、見た目で判断することはできない。姿形で解ることは、彼女がこの高校の女子生徒であることぐらいだ。それさえ、確実にそうとは言えない。何しろ判断材料は身にまとったセーラー服ぐらいなのだから。

 この三十分で何か解っただろうかと期待して尋ねてみたが、答えは否だった。

「解らん。何しろ仏さんの顔があれだし、身許の解るものは何も持っていない。……解るのは彼女が死んだのが昨夜の十時から十二時頃だろうということだけだ」

 次郎は眉根を寄せて流星を見下ろした。

「流星、お前彼女に覚えは無いか?」

「……解んねぇ」

 流星は首を横に振った。

 重ねて記述するが、彼女には顔が無かった。例え流星が彼女と知り合いだったとしても、よほどじっくり検分せねば誰かなど解らないだろう。

 だよなあ、と次郎は短い髪をかき回した。

「まあ、他にも色々聞きたいことがあるからな。話は俺が聞くから、気楽にしてくれや」

 次郎は手近の椅子に腰を下ろした。

「質問に答えるのはいいけどさ、うちの担任はどうしたんだ?」

 そもそもの第一発見者は土井である。まず土井に話を聞くのが順当だろう。

「あー……あの先生はな、正直人間の言葉を喋れる精神状態じゃないんだよ。様子見はしているが……まあ一日休んだ方がいいだろうな」

 次郎は苦々しい顔をした。

「それよりも、だ。まずおまえが遺体を発見した時の話を頼む」

 次郎に促され、流星は早朝のことを話し始めた。

 とはいえ、それは次郎にとって目新しい情報ではなかっただろう。おそらくは、ただの確認行為でしかない。

 次郎は一通り聞き終わった後、ふむ、と頷いた。

「じゃあ次に、おまえは彼女は誰だと思う?」

「だから……」

「別にどこの誰々かってことを言いたいんじゃない。感じたことをそのまま言ってくれ」

「感じたこと……」

 流星は首をひねってしばし思考を働かせる。

 うちのクラスで死んでいた少女。誰ともしれない誰か。

 この学校の生徒であることはほぼ確実である。わざわざほかの誰かの制服を着せる理由でもない限り、それは確定だろう。その女子生徒がうちのクラスで殺されていた、あるいは運ばれていた――

 そこまで考えて、流星の思考は止まってしまった。

 それ以上の推測をするには、流星の脳は少々足りなかった。別に彼が鈍いというわけではないが、それでも流星にはそれ以上を考えることができない。

 次第に苦くなる流星の表情を見て、次郎も限界を悟ったらしい。あー、と呻いた。

「すまん、無茶言ったかもしれん」

「う゛ー……」

「少し聞きたかっただけだ。あまり深く考えるな。そもそもこれは刑事(おれ)の領分だしな」

 次郎は流星の頭を掻き混ぜた。

 ぐらぐらと軽く頭を揺さぶられながら、流星は一時停止していた思考を再開させる。しかし考えることは少女の身許ではなく、次郎の質問に答えられそうな人物のことである。

 彼女(・・)ならば、先の質問に難無く答えられるのではないか。悩むことなく、口元に笑みすら浮かべて。


   ―――


 結局流星が解放されたのは夕方になってからだった。

 特別何か訊かれたわけではなく、捜査に協力したわけでもなく、ただ教室に拘束され、時間を消費しただけだった。

 何もせずじっとしているというのは体力を消費しない代わりに精神をごりごり削っていく。結果流星は疲れた表情で帰宅することになった。

 帰宅と言っても、流星の足が向かうのは自宅のマンションではない。目的地は別にある。

 雑踏の中、流星の背は周りに比べて飛び抜けて高い。ただいるだけで目立ちそうなものだが、流星自身が持つ雰囲気ゆえか、その場に自然と溶け込んでいる。ゆえに誰に注目されることなく道を歩いていたのだが――


 不意に、その脚が止まった。びたりと、凍り付いてしまったように。


 流星は背筋を撫でた氷の悪寒に表情を強張らせる。

 流星が歩いているのは雑貨店やセレクトショップが建ち並ぶ大通りだ。そろそろ日が沈むというのに人通りは多い。

 しかし流星が感じたのは、大勢の人が織りなすものとはほど遠いものだ。

 異質で異形の、あるだけで死を招く――

「っ、こっちか……?」

 流星は方向転換して道を逆走し始めた。来た道をたどり、途中で脇に逸れる。店の間を通り、路地裏を駆け抜けていく。

 路地裏は生臭く、その臭いは進むごとに濃くなっていく。店裏に捨てられた生ごみのものかと思われたが、それとは別種の、明らかに違う臭いが混ざっていることに気が付いた。

 肉の腐った臭いだ。血が腐った臭いだ。

 ――非日常の、臭いだ。

 流星はぐんぐん足を速めていく。その速度はさながら陸上選手のようである。大柄に比例して長い脚もあいまって、一分とたたずに路地裏を抜けた。

 しかし、抜けた先に待っていたのは、暗闇だった。

 建物がある。足元はコンクリートで、電信柱も建っている。それらを認識することはできる。

 だが、見えない。僅かに残っていたはずの夕日はここに届いておらず、電灯はどれ一つとしてついていない。ただ影だけが乱立している。

 その中でうごめく影が二つ。

 流星はそその内の一目見た時、とっさに蜘蛛を連想した。四つ脚で地を這い、胴を前へ前へと進ませる、巨大な化け蜘蛛。

 しかし、蜘蛛にしては脚の形が奇妙でもあった。細く毛むくじゃらな異形のそれではなく、どちらかというと人間の手足に近い。それらを動かし、何かに覆いかぶさろうと――

「っ……!」

 流星が動いたのは無意識だった。脚に力を入れ、走る速度を上げる。影との距離は、一息で詰められた。ここまで近付ければその全容が確認できただろうが、流星にその余裕は無い。

 流星は走る勢いそのままに、影を蹴り飛ばした。存外軽いその身体が、ボールのように跳ね飛ばされる。

 物理的な攻撃が効いたことにほっと息を吐いた流星だが、地面に転がったそれはなおもうごめき、身体をひきずりながらなおも向かってこようとしていた。

 流星は一瞬ひるむが、足元の悲鳴で我に返る。もう一つの影、襲われていた側の声である。流星はその姿を確認した後、その腕を掴んだ。

「来い!」

 流星は彼女(・・)を引っ張り上げると元来た道を戻り始めた。

 そこからのことはいまいち覚えていない。ただがむしゃらにたどった道を逆戻りし、気付けば表通りに出ていた。

 全身を汗が伝っている。粘ついた液体が背筋を撫でるごとに、流星の頭は現実に近付いていく。

 そうしてどれくらいそこで立っていただろうか、不意に、掴んでいた腕が悲鳴を上げた。

「痛いっ……いい加減離してっ」

 弱々しい、甲高い声だった。流星は掴んでいた腕を見、それをたどってその持ち主を見る。

 髪を茶色に染めた少女だ。着ているセーラー服は見覚えのあるデザインである。やや派手な化粧をしているため、制服を着ていなければ大学生ぐらいに見えたかもしれない。

 流星は青ざめたその顔を確認した後、素直に手を離した。

「すんません。えっと……大丈夫すか?」

 どうにも同い年には思えず、口調は自然敬語めいたものになっていた。それをどう受け取ったのか、少女は応えを返さず、憮然とした顔で腕をさする。

 しばらく道の端で顔を見合わせていたふたりだったが、次第に先ほどのことが実感として頭に舞い戻ってきたらしい少女が真っ青になってうずくまったことにより、その均衡も崩れた。

「ちょっと、本当に大丈夫すか⁉」

「解んな……気持ち悪い……」

 口元を抑えているが、少女は吐く様子はなかった。ただ顔はどんどん血の気を失い、青を通り越して白っぽくなっている。息も時間を追うごとに浅くなっていった。

 まずい、と直感的に悟る。このままほうっておけば、少女は倒れてしまうだろう。もはや恐怖がぶり返したなどと楽観的には見れない。明らかに、彼女は体調を崩している。

 少女の異変を、周囲も察知したらしい。道行く人の何人かは、立ち止まってこちらをうかがっている。声をかけるかどうか迷っている様子の人もいる。

 流星は携帯を取り出した。救急車を呼ぶという、体調の悪い人間に遭遇した一般人が取るべき行動の一つを取ろうとしたのである。

 しかし、その手は止まる。119と押そうとした指は、直前で停止する。

 目の前には尋常じゃない容体の少女。このまま放置すれば悪化の一途をたどるばかりだろう。そして放置するという選択肢は、流星の中には無い。

 流星は指の動作を再開した。しかし指先が押すのは119ではない。電話帳に登録された、一般の番号だ。

 電話帳からその番号を選択した流星は携帯を耳に当てて繋がるのを待った。

 しばしの沈黙。やがて繋がった電話の向こうから、水晶のように澄んだ、それでいて刃の切っ先のように鋭い声が返ってきた。

『やあ、華鳳院流星。こちらに来ずに電話だけをよこすとはどういう了見だい?』

「相変わらずな言い種だな、おい。けど今はそんなこと言い合ってる暇ねぇんだ」

 流星は隣の少女を一瞥した。

「体調崩した人いるんだ。その……怪異関連で」

『病院に行きなよ』

 即座に返ってきた声は冷たいを通り越して氷点下だった。しかし、次いで聞こえてきたのはため息である。

『――と、言いたいところだけど、そういうわけにもいかないね。連れてきて』

「さん」

『ただし対価はしっかりもらうから』

 礼を言おうとした瞬間のこれである。流星は憮然とするが、すぐにやるべきことを思い出して通話を切った。

「おい、動けるか」

 少女に声をかけてみるが、全く反応が返ってこない。意識はあるが、まともな受け応えができる様子でもない。

 流星はしかたなく、無理矢理少女を背負った。

 周囲の驚きなど気にもせず、流星は全速力で目的地へと走り出す。向かうのは、電話の相手がいる場所である。

 走っている途中で背中の少女への配慮を思い出し、減速したが。


    ―――


 たどり着いたのは白い外壁の、三階建ての建物だった。

 黒く塗られた木製の扉は美しい装飾が施され、その傍らに立てかけられた看板も同様の美麗さを魅せている。窓から垣間見えるのは、外観を裏切らない華美な内装だった。

 普段の流星はここに入ることをためらってしまうのだが、今はそうは言っていられない。少女を背負ったまま、ほとんど体当たりのていで扉を開けた。

 華やかで、なおかつ花に似た甘い匂いがする店内、その奥には少女がひとり、レジの隣にたたずんでいた。

 肩上で切りそろえられた薄茶色の髪に大きな朱色の瞳の、十歳ほどの幼い女児だ。整った愛らしい顔立ちには一切の表情も感情も無く、白いワンピースをまとった身体は直立の姿勢からぴくりともしない。無色のその顔が流星達へと方向修正されなければ、精巧な人形と見誤りそうである。

 しかし少女は確かに動いていたし、そもそも流星は彼女が人形でないことを知っている。

 だから戸惑うこともなく、少女の名前を呼んだ。

朱崋(シュカ)! (ユウ)は!?」

「二階にいらっしゃいます」

 気が急いて乱暴な語調になっている流星に対し、朱崋の口調は平静そのものだった。ともすればそれこそ機械のようである。

 しかし流星はそれに苛立つこともなく、朱崋が指し示した、彼女の背後の階段を荒々しく登っていく。朱崋が恭しく頭を下げたことにも気付く余裕は無い。

 階段を登った先は、一階とは違ってシンプルな内装だった。シンプル過ぎて拍子抜けするほどである。しかしそれらの感覚もまるまる無視して、流星は手前の扉の前に立った。

「悠! 開けてくれ、両手が塞がってるんだ」

「叫ばなくても聞こえてるよ」

 電話の向こうから聞こえていた声が、扉越しに響いた。次いで内開きの扉が開く。

「早く入りなよ」

 澄んだ声と共に現れたのは、背筋が凍り付き、そのまま全身さえも硬直させてしまうのではと思わせるほど美しい少女だった。

 膝まで伸びた絹糸の束を漆で染め上げたような艶やかな黒い髪、初雪のように穢れなく、大理石のように滑らかな肌、小さな唇は血の色にも薔薇にも似た艶やかな紅色だ。眉や鼻などの顔を構成するパーツは完璧な形を保ちつつ完璧な位置に配されており、華奢な手足はすらりと長く、柳のごときたおやかさだ。

 何より印象的なのは切れ長の目に収まった大きな瞳である。夜空を切り取ってそのまま収めたような漆黒はどこまでも清澄で、目を合わせると心の奥底まで見透かされそうだ。あるいは、合わせた瞬間何もかも暴かれているのかもしれない。そんな錯覚を起こすほどに鋭く、それでいて惹き寄せられるものを宿していた。

 周囲のものに気を使わなかった流星は、ここで初めて躊躇する。手足を固まらせ、少女に近付くことに迷いを見せる。幾度となく会っている彼女に、いつものように圧倒されたのである。

 しかし、そのためらいも一瞬だ。喉を鳴らしてから、彼女に導かれるまま部屋の中に入った。

 部屋の中にあるのは、ガラス張りの長机、それを挟むように配置された白いふたりがけのソファ、毛足の長いじゅうたん、そして壁を覆うように置かれた幾つもの本棚である。特に本棚は部屋そのものを囲うように置かれているため、ただあるだけで圧迫されそうだ。しかもどれも隙間無く本が入れられているものだから、もはや息苦しいレベルだった。

「ソファにその娘寝かせて」

 少女――椿(ツバキ)悠は、黒いミニスカートを翻しながらソファの傍に立った。流星は言われた通り、傍らのソファに少女を横たえる。

 少女の意識はすでに無く、浅く荒い息を繰り返しているだけだ。おそらくここに来たことも気付いていないだろう。

 悠は滝のように流れる黒髪を後ろに払い、少女の顔を覗き込んだ。

「……あぁ、これはあてられてるね。狙われてた?」

「ああ。襲われてた」

「それを君が助けた、と。君も無茶するよね」

 悠は呆れたように肩をすくめ、机の上に置かれた青いアンティーク調の瓶を手に取った。

「何それ」

「神酒」

「みき……神酒、って酒じゃねぇか!」

 未成年! と叫ぶ流星の爪先を、悠の靴のヒールがとらえる。十五かそこらの少女が履くにしてはやたら高く細いハイヒールだった。

 声も無く崩れ落ちる流星を後目に、悠は瓶の蓋をあける。とたん漂った強い酒の匂いは、意外にもさわやかな匂いだった。

「身体に瘴気がたまってるんだよ。これはそれを浄化するの。気付けの意味合いもあるけど」

「だからって」

「嫌だったら病院に連れて行きなよ。時間はかかるけど病院でも対処できるから」

 外傷も膝だけだしね、という悠の言葉に、流星は初めて少女の膝に血のにじんだ擦り傷があることに気が付いた。それきり、だんまりを決め込む。

 病院でも対処できる。悠はそう言った。彼女が言うならそうなのだろう。この手のことに関して、悠の知識は流星のはるか上を行く。おそらく月とすっぽんどころか芋虫と太陽ぐらいは違うだろう。

 なにしろ、彼女はそちら(・・・)側のプロフェッショナルだ。流星も文句を口にしたものの、やかましく口出しする気はさらさら無い。

 流星の目の前で、悠は瓶の中身を少女の口に含ませる。手こそ丁寧であるものの、注ぎ込まれる勢いは思った以上にあった。流星は不安になるが、案の定、少女は不意に咳き込んだ。

 かっと目を見開き、瓶の中身を振り払うかのように全身を反転させる。事前に予測していたのか、悠は咳込む前に瓶を引いたため中身が無駄に損なわれることはなかった。

 少女は背中を丸め、ごほごほと酒を吐き出す。返って気分を悪くしたのではと心配になるほどだったが、よくよく見れば顔色は目に見えてよくなっていた。驚くべきことに、本当に効果があったらしい。時間にしてほんの数秒のできごとである。

「っ、な、がふっ、何っ……!?」

 少女は口元を押さえながら周囲をうかがった。真っ先に目に留まったのは、すぐ近くに立つ悠の姿だ。

 目に留めて、同時に咳も止まった。

 見開かれた目は更に大きくなり、口にそえられた手は小刻みに震えている。

 その姿を見て、流星はふと、初めて悠と出会ったことを思い出した。

 あの時、自分はどんな反応をしたのだっただろうか。

「……貴女、何、誰……」

 少女の声はかすれていた。さっきまで咳き込んでいたからだろうか。それとも――

 悠は微笑む。嫣然とした、妖艶ささえ漂わせる不敵な微笑だった。

「椿悠。退魔師だよ」

 初めましての人もそうでない人も、こんにちは、沙伊です。

 この小説は、何度も書いてありますが私が投稿した同名の小説の改訂版です。これを書いている時点ではまだそれは消してないので、私のページを確認してもらったら原型が置いてあると思います。

 改定するに至ったのは、私の文章があまりに当時と違ってきたのと、作品の方向性を変えたいと思ったからです。そのまま連載を凍結してもよかったのですが、この作品には私なりに愛着があったので今回の投稿とあいなりました。

 もし原型を読んだ方がいらっしゃれば解ると思いますが、設定はともかくストーリーは随分違うものになっています。なので原型を読まなくても特に問題無いです。というか読まないでください。ただでさえ駄作なのに輪をかけて駄作なのでorz

 いつまで続けられるか解りませんが、可能な限り続けていこうと思っています。

 最後に、ここまでいただきありがとうございます。頑張りますので応援していただけたら嬉しいです。


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