人類史上最高の発明
人類史上最高の発明は何か。この問いに、あなたは何と答えるだろうか。
一昔前ならば飛行機や原子力発電、相対性理論の発見等が有力な候補であったが、今日ではほとんどの人が、物質複製機の名を挙げることだろう。
物質複製機とはご存じの通り、世界中至る所に存在するエネルギーの波から、物質の複製を作り出す装置である。原理としては、機械の中でごく小規模のビッグバンを起こす、という説明がわかりやすいだろうか。その物質複製機の歴史を振り返ることにしよう。
物質複製機が発表されたのは二○八八年十月六日。インターネットの動画投稿サイトに投稿された、十五分の動画が始まりだった。投稿された当初、何もない空間にじわじわとピンポン球が現れる動画は誰にも注目されなかった。ただのCG映像にしか見えなかった上、動画の説明を見ても「物質を複製する機械を用いて一ヶ月かけて複製した物です」という胡散臭い言葉しか載っていなかったからだ。
しかしとある放送局が、投稿者のIDが過去に宇宙の起源に関する論文を発表した研究者の物であることに気づき、取材を行った。動画を投稿したのは市内にある、チャグナー研究室だった。ごく小規模の研究室で、室長のA・F・チャグナー博士は快く取材班を中へ迎え入れた。
チャグナー博士は事の経緯を語ってくれた。チャグナー研究室では宇宙の起源、無から有が創り出された事象について研究をしていた。もちろんその現象は理論でしか語られておらず、実際に何が起こったのかはわかっていない。
宇宙生誕の謎を解明するアプローチとして、チャグナー博士は原子を分解する装置を考案することにした。原子を分解できれば、原子を創り出す方法の糸口がつかめるかもしれない、というわけだ。研究室では原子分解装置の研究・実験が続いたが、何年も成果は出ないままだった。
ところがある日、内部の構造を大きく調整した装置を使って実験したところ炭素は分解されず、ごくわずかな量だが逆に増殖した。助手に報告されたチャグナー博士も機材の誤差だろうと思ったが、何度繰り返しても同じ結果が出る。物質が複製されていると決定的になったのは、星のマークが書かれた小さな紙片が、寸分違わず複製されたことだった。研究室内は世紀の発見に沸いた。
研究成果を論文にまとめたチャグナー博士は学会に発表しようとしたが、実験結果を確認するのに一ヶ月かかることもあり、真偽のほどが定かでないとされて学会からはねつけられた。もう少し複製のスピードを上げられれば学会にも出せるが、その開発のための資金が足りない。スポンサーについてもらうにはどうすればいいのか考え、外部へのPR方法として思いついたのが動画投稿サイトへ投稿することだった。
以上の話を聞いた放送局は、物質複製機の実験を一ヶ月間つきっきりで撮影することを決定した。ガラス張りのホールに物質複製機を設置し、事前に厳正な機器のチェックを行い、全方面に配置された監視員達が六時間交代で二十四時間の監視を行った。その様子はインターネットでも配信された。最初は足を止める人も少なかったが、ピンポン球の姿がぼんやりと現れだし、四分の一、半分と増えるにしたがって、見物人の数も増えた。
そして一ヶ月後、何一つ手が加えられていないにも関わらず物質が複製されたことが確認されると、世界中にそのビッグニュースが伝わった。チャグナー博士にはノーベル物理学賞が授与され、研究員は五倍に増え、物質複製機の改良が進められることとなった。
公開実験で使われた物はエネルギーの過剰な放出を抑えるため、非常にゆっくりとしか反応を進められなかった。だが技術の躍進はすさまじく、複製をする量も、スピードも、日ごとに増していった。改良型は一月でテニスボールが複製できるようになり、物質複製機二.○一はバスケットボールを二週間で、物質複製機二.○二ではタンスを一週間で複製できるようになった。
そして二十年の後には車ほどの質量の物も七秒八二という短時間で複製できるようになった。この時間は限界値であり、これより速く複製することはできない。また複製できるのは、七秒八二の間静止していられる物質だけである。そのため人間の複製――クローンが簡単に作れてしまうのではないかという問題は杞憂に終わった。どんな人間も、八秒近く血液を止めていることはできないからだ。
ほとんどの物質が一分とかからず複製できるようになり、物質複製機は実用化された。それまでの家電製品とは違い、物質複製機は二台あればいくらでも数を増やすことができたため、あっという間に一般家庭にまで広がった。
その結果、世界中で物の価値は大きく変わった。どんな物も原本さえあれば複製できるため、希少価値のある物はほとんどなくなった。今まで世界を支配していた資本主義経済は崩壊した。紙幣も簡単に複製できるので、通し番号が同じ紙幣が大量に流通するようになり、金の価値がなくなったのだ。
また、世界中の飢餓を解消したことも、物質複製機の功績の一つである。物質複製機があればコップ一杯の水が井戸いっぱいの水に、一握りのパンが村中に行き渡るパンになるのだ。先進国は物質複製機を発展途上国に送り、食料の複製ができることを伝えた。物質的不足の解消は、世界的な争いの減少に繋がった。現在、地球は文明史始まって以来の恒常的平和状態にある。
十年の歳月をかけて、かつては夢物語でしかなかった火星のテラフォーミングも実現された。火星は酸素と窒素の大気で覆われ、緑が広がりつつある。近い将来、宇宙旅行も可能になるだろう。物質複製機は、世界を変えたのだ。
「……これはいつの時代の雑誌だ?」
一通り読み終わったR・グレイは呟くと、雑誌の製造年月日を確認した。大昔、物質複製機が実用化されてから五十年後の日付が書かれている。物質複製機により製造コストを一切考えなくて済むようになった時代に、大量複製されたものだった。どおりで、夢のようなことばかり書いてある。R・グレイはその場に座り込み、宇宙の歴史を振り返った。
雑誌に書いてある通り、宇宙旅行もできるようになった。光速には届かなかったが、燃料の心配をする必要はなくなったのでどこへでも最高速度で向かえるし、宇宙で酸素や食料が不足することもない。
宇宙のあちらこちらにある惑星はテラフォーミングされ人類が暮らすようになったし、それどころか新たな惑星を作ることまでできるようになった。
人類の行動域は全宇宙にまで広がり、飢えで死ぬ者もまずいない――それほどまでに恵まれた生活になったというのに、かつては人類史上最高の発明と言われた物質複製機は、今では人類史上最悪の発明と呼ばれていた。原因は、その「複製する」という能力にあった。
雑誌の記事が書かれた頃にも、既にその問題はあったはずだ。物質複製機によりどんな物も自由に複製できるようになると、どの町でも同じ問題が起きるようになった。ゴミの廃棄場が足りなくなったのだ。
簡単に複製ができるため、例えば出先で傘を持っていない場合も、複製した傘を使って家に帰り、家に傘が溜まっていく。溜まった傘はもう要らなくなり、ゴミとなる。漫画や本も不必要に多く複製されたが、読み終わったそれはただゴミになるだけだった。
そしてゴミ処理場、廃棄場ともに限界が近づき、人類は考えた。地球上にはもう捨てる場所がない。しかし、広大な宇宙空間には捨てる場所がいくらでもあるじゃないか、と。ゴミは宇宙の果てまで流れていくだろうし、仮に宇宙に捨てたゴミが地球に戻ってきたとしてもほとんどは大気圏で焼失する。宇宙に飛ばすロケットも、複製すればいいだけの話――各国の首脳陣は、ゴミを宇宙へ捨てることを決定した。
宇宙空間にゴミを投棄する行為は、宇宙に移民するようになっても続いた。まだ見ぬ、遥かな宇宙空間へと飛ばされる、ゴミを載せたロケットの群れ。相当量のゴミが飛ばされたが、誰も心配する者はいなかった。宇宙は膨張を続けているのだから大丈夫だと、当時の学者達は言っていた。
危険性に気付いたきっかけは、地球に住む少年から天文学者に宛てた手紙だった。その少年は星図を片手に望遠鏡で、夜空を眺めていた。そして夜空のある方角を見ていて気付いた。星図に載っている星が、見えなかったのだ。
少年は星がいつか死んで光が伝わらなくなることがあると知っていたから、天文学者にその星はもう死んでしまったのですか、と質問をした。手紙を読んだ天文学者は少年と同じく望遠鏡を覗いて不思議に思った。その星の寿命はまだ何万年も残っているはずなのに、確かに見えない。どういうことなのか、他の惑星に住む天文学者と協力して調査を進めた結果、原因が判明した。
宇宙に漂うゴミの塊が、光を遮っていたのだ。それも、宇宙のあちこちで同じ現象が、次々と起こっていると、報告された。更に調査は進み、人間が物質複製機でゴミを増やすスピードは、宇宙が膨張するスピードに追いついているという事実が明らかになった。
その現象が意味することに世界の学者達は気づき、危険性を説いたが、既に遅かった。全宇宙に広がった人間に情報が伝わるには時間がかかったし、情報を聞いても、何百兆――いや、それ以上に膨れあがった一般市民は学者達の警告を真剣に受け止めず、そのまま廃棄を続けた。今まで捨て続けて何も起こらなかったのだからこれからも大丈夫、というわけだ。そして、今の状況がある。
R・グレイは眼前にそびえ立つ巨大な山を見あげた。全く同じ雑誌の山、山、山。これもかつて宇宙に投棄され、この小惑星にたどり着いたゴミの塊だ。ここだけではない。少し視線を横に向けるだけでも、使われなくなった玩具や、古い型の家電製品の山が次々と出てくるし、見たことはないが遠い宇宙の果ても似たような状況になっているはずだ。今の宇宙はどこもかしこもゴミだらけ。宇宙? どこにも空間などありはしない。
宇宙を飛んだら車や家具、時には家までもが漂っているし、かろうじて真空の状態が残っている地域もあるが、それもごく少なく、大半の宇宙は二酸化炭素や排気ガスの塊が星の明かりを遮ってしまっている。
もちろん、宇宙がゴミに汚染されていると判明してから、汚染を減らそうという努力もなされた。資源の再利用、放射性物質を燃料とする機械の開発。R・グレイもゴミ処理のために作られたロボットで、主に資源の再利用を担当している。
しかし、だ。R・グレイは以前読んだことのある、新聞の記事を思い出した。記事で、ジェフリー・リー博士はゴミの除去作業についてこう説明していた。
「世界が一つのゴミ箱だとしましょう。ゴミ箱には、ふちギリギリまでゴミが入っています。私たちはもっとゴミをいれるために、上から押さえつけてゴミの嵩を減らします。
空いたスペースにはさらにゴミを入れる。押さえつける、ゴミを入れる。押さえつける、ゴミを入れる。
すると段々、押さえつけてもゴミが潰れなくなってきて、ゴミが入らなくなりますね? それが今の宇宙の状況です。普通のゴミ箱なら、中のゴミをゴミ捨て場に持って行けば問題解決です。しかし宇宙はそうも行かない。ゴミ自体をどうにか処理する方法を考えないと、宇宙はゴミで埋もれてしまうでしょう。
今考えるべき事は、ゴミそのものを消し去る方法です」
彼の話は的確な未来の予言だった。ロボット達がゴミを片づけていっても、それはその場しのぎでしかなかった。人類は宇宙のあちこちにいるが、ゴミにどんどん生活スペースを圧迫され、生きているのはごく少数の人数のみである。
人類は無から有を創り出す方法を確立したが、有を無に還すことはとうとう出来ずじまいだった。さすがの物質複製機も、「何もない空間」という物は作り出せなかったのだ。
もしも空間を作り出せたなら。
それこそが、人類史上最高の発明になっただろう。
SFだけど、科学的に正しいかどうかはそこまで気にして書いてないので、深くはつっこまないでくださいね!