8「魔王が一人とは言っていない」
アージスト大陸の街並みはとても綺麗で落ち着いていて、賑やかで派手なものが多かったエメラードとはまた違った良さを受けた。
「アージスト全域を統べるゲーデルーツ国王は温厚な方ですから、あまり装飾の激しいものなどは好まないのでしょう」
港の宿から町並みを見て浮かんだ俺の素朴な疑問にレティが答えてくれた。
この大陸は魔族への偏見も少ないと言うのもあって、かなり過ごしやすそうなところに思える。
何十年先になるかはわからないけれど、そのうちこの大陸に住み着くのもいいかもしれない。
「うーん……いいところだなぁ……」
宿の一室の窓辺で大きく伸びをする。
なんというかこのまま寝たいという欲求が湧き上がってきた。
雰囲気が良すぎるというのも考えものかな。
とりあえずはやることを済ませなければ……。
「えっと……まず上陸したら冒険者ギルドに行こうって言ってたよね?」
「はい。大きな目的はギルドカードを手に入れることですね、あれはどの国でも共通の身分証明になりますので」
「持ってれば面倒事も少ない……と」
ファンタジー世界でお馴染みの冒険者ギルド、そこに登録した者にはよろずの依頼が舞い込み、依頼を達成すれば見合った報酬がもらえるという、冒険者の職業を持つ者たちには必須の施設だ。
というかギルド登録していなければ冒険者とは呼べないくらいに重要。
そこで発行されるギルドカードは、日本で言う免許証のようなものであり、同時にパスポートでもある。
国と国を行き来する際、関所などを通らなければいけない場合が多々あるけど、ギルドカードさえあれば面倒な手続きなどがなくて済む。
作る際に少量のお金が必要だけれど、作っておいて絶対に損はない。
「じゃ行こうか。レティ場所分かる?」
「はい、この街の構造は大体頭に入っておりますので」
「さ、流石……」
◆◆◆
「こちらが冒険者ギルドになります」
「わぁ……」
シエルの案内のもとたどり着いた場所に建っていたのは、やや修繕の跡が目立つものの頑丈な作りで建てられた、年季を感じる二階建ての建物だった。
入口である無骨な両開きのドアの上に、こっちの世界の文字で大きく冒険者ギルドと書かれている。
「中に入りましょう」
「あ、うん」
見とれている場合じゃなかった、俺はシエルのあとに続きギルドの中に足を踏み入れる。
「うっ……」
踏み入れた瞬間俺を襲ったのは強烈な酒と、日本のものとそっくりなタバコの臭い。
日本でも未成年でこっちの世界でも未成年な俺には相当刺激が強く、思わず鼻を押さえる。
涙目になった。
「申し訳ありませんハル様、少し配慮が足りず……」
「い、いや……だいじょぶ……」
涙目だったから説得力がなかったかもしれない。
この世界ではおそらくこれが普通なのだろう。
魔王城にいた時も、宴が開かれる広間は酒の匂いが漂ってるのが毎度のことだった。
住む人たちは誰も気にしていなかったし、俺も酒だけだったからそんなに気にならなかったけど(魔族はあまりタバコを吸わない)、二つの匂いが混ざるとそうとうなインパクトがあるということが今日わかった。
ほんとだったら魔法で匂いをシャットダウンすることくらいなんでもないけど、一々こんなことで魔法を使ってはいられない。
ここはもう俺が慣れるしかない。
改めて内部を見渡すと、そこらかしこに筋肉隆々の大男たちが大量の酒を流し込んでいた。
冒険帰りのようで、出会った魔物の話で場は盛り上がっている。
いくつもある木のテーブルがすべて埋まっており、その全てで大量の酒とタバコが消費されている。
こんな強烈な匂いもこれが毎日ならうなずけるな。
「うぐっ……でも慣れなきゃだめだよね……どのギルドでもこうなら」
「そうですね、ある程度の覚悟が必要かと」
まさかこんなところに落とし穴があるとはなぁ……。
「……よし、もう大丈夫だよ。それで……登録申請するのはあのカウンターでいいのかな?」
「はい、それでは行きましょう」
大丈夫と言えばすぐに切り替えてくれるのもレティのいいところだ。
その時は心配しても、引きずらない。
俺は再びレティのあとに引っ付いてギルドカウンターへと向かった。
「ようこそギルドへ! ご要件はなんでしょう?」
「えっと……ギルドカードを作ってもらいたいんだけど……」
俺はシエルに後ろに付いててもらい、カウンターにいる受付嬢のお姉さんに話しかけた。
受付嬢は健康的な若い女の人で、エプロン風の可愛らしい格好と合わさってとても好印象を受けた。
「ギルドカード発行ですね? 申し訳ございません、年齢を聞かせていただけますか?」
「13歳です」
「13歳でございますね? 申し訳ございません……この年齢ですとB級以上の冒険者の推薦がなければいけないのですが……」
「え、そうなんですか?」
それは知らなかった……。
まあ年齢で冒険者になれないというのじゃなくて助かったけれど、なんとかB級冒険者の知り合いを作らなければならない。
この世界の冒険者ランクは魔法のランクと同じで、E・D・C・B・A・S・SS・SSの七段階、つまり真ん中のBランクはそれなりのベテランってことだ。
そういうレベルまで行くともうこんな子供が簡単に知り合えるものではない気がする。
親子とかじゃないときつくないか?
さて……どうしようか。
それをレティに相談するため振り返ろうとすると、なぜか彼女が俺の横に立っていた。
「私の推薦です」
え? レティどうしたの?
「失礼ながらカードを確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい」
そう言ってレティが取り出したのは一枚のカード、どうやらそれがギルドカードというものらしい。
てかレティさん持ってたんすね……てっきり俺は一緒に登録するものだと思ってましたよ……。
「拝見します…………………………………え?」
ん? どうしたんだろう?
受付嬢さんがレティのギルドカードを受け取って見た瞬間、彼女が素っ頓狂な声を上げた。
気になる点でもあったんだろうか? てかレティはランクいくつなんだろう?
見せたってことはB級以上なんだろうけど、S級とかその辺の基準がわからないからなぁ……。
そんな呑気に構えていたせいで、俺はこの後さらなるショックを受けることとなる。
「あ……あなたは……「SS級冒険者」のレティさん!?」
「「「「なにぃ!?」」」」
受付嬢がそう読み上げた瞬間に、俺を含めて後ろで飲んだくれていた大男どもが一斉に立ち上がって驚愕の声を上げた。
もっとも俺が驚いたのはレティのランクであるSS級の部分だけれど、男たちの驚きポイントはそこではなかったらしい。
「おいおい……レティっつったら……」
「あのラピスラージの魔王ルシファーの配下で六柱の一人だろ……?」
「なんだってこんな港町のギルドへ来てんだァ……?」
へぇ……こっちじゃ魔王の名前はかなり知れ渡ってるんだね。
六柱もかなり有名なようだ。
誰もが興味津々の顔をレティに向けている。
それに対して当事者の彼女は黙々と受付嬢との会話を続けていた。
「私の推薦ならば問題はないですよね?」
「はぇ? ……あ、ええ。あなたほどの方の推薦でしたら、彼には年齢にそぐわない実力があるということでしょうし、問題はありません。」
あーなるほど。
逆に俺の歳でも冒険者になれるってのは、優秀な人材を若いうちから使っていこうって魂胆なわけだ。
B級以上が推すってことはそれなりに実力もあるはずだし、推薦した人には責任がつく。
その子が死亡したりすれば、推薦した人の責任。
責任を取りたくないならば、その子を守るしかない。
B級の冒険者がサポートすれば、そう簡単には死なないしね。
年齢制限でガッチガチに縛られてなくて助かったけれど、変なところで緩いなこの世界。
「推薦が通りました。これで登録できますよ」
「あ、ありがとう……」
割と放心状態だったのが回復してきて、俺は再び受付嬢さんの前に立った。
なんというかレティ様様だよほんとに……。
受付嬢が差し出してきた書類の必要な項目に記入していると、今度は俺のことについて後ろの男たちが話しだした。
まあ有名な人の推薦を受けたガキだもん、注目はされるよね。
「おいあいつレティの推薦を受けてんだろ……? ガキのくせに何もんだ?」
「わかんねぇけど身なりは普通だな……ほんとに実力あんのか……?」
「まあ顔はいいじゃなぁい……食べちゃおうかしら…?」
一つ背筋を凍らせる声が混ざっていたが無視だ無視! 完璧に男の声じゃねぇか!!
絶対に近寄らないようにしよう。
とりあえず書ききった書類を受付嬢に渡すと、それからすぐに白紙のカードを渡された。
Tポ〇ントカードみたいな質感だ。
「書類の内容はすでに情報でカードの中に入っておりますので、あとはあなたの血を一滴垂らしていただいて発行完了になります」
「はい」
「ナイフを貸し出しできますが、ご使用になりますか?」
「あ、いいです」
俺はマントの下からナイフを取り出し、薄皮を軽く切って滲んだ血を一滴カードに垂らす。
すると光とともに文字が浮かび上がってきて、俺の記入した情報が全部そこに書かれていることがわかった。
名前・ハル
年齢・13
性別・男
種族・魔族
ランク・E
ちなみに苗字はなくていいらしい、名前さえ本当ならば。
そもそも苗字はないしね。
「ハル様はEランクスタートになります。依頼を一定以上こなすたびに一段階ずつランクが上がりますので、頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
俺は自分のものになったギルドカードを余すところなく舐め回すように見た。
いや、やっぱりこういうものは憧れでしょう。
男の子ならわかってくれるはずだ。
「それにしても……こんな短期間で魔族の有力者がこんなに集まるとは思ってもみませんでしたよ」
「……?」
俺とレティは受付嬢の言葉に疑問を浮かべた。
有力者? 高ランクの人ってことかな? でも魔王城からアージストに今来てる人は俺たち以外知らない。
「……誰だと思う?」
「……少なくとも城のものではありませんね。受付嬢の言い方からすると私と同じレベルの者がいるというように感じます。ですが六柱は私以外外出の予定がありませんでした」
「まさか……母さん?」
「それもないでしょう。さすがに気配でわかります」
確かに。あの人の威圧感すごいからね。
だとすると?シ エルレベルの人なんてそう簡単に――――――――。
「あ、噂をすれば来ましたよ! 最近このギルドに顔を出してる人です」
そう言われてレティとともに入口の方へ顔を向けると、そこにはフードをかぶった誰かが丁度立っていた。
周りの荒くれたちもその人物に釘付けになっているようで、只ならぬ雰囲気を持っていることが伺える。
そのフードの人は俺たちのいるカウンターに用があるようで、まっすぐこっちへ向かって来た。
……この人背が低いな……それで、女の子か?
この時、俺の頭にある人物が浮かんだ。
背の低い、女の子、魔族……。
「……まさか」
「……」
レティも気づいたようで、俺と一緒にこのフードの人へ訝しげな視線を向けた。
俺たちの前で足を止めたフードの人は、俺たちの存在に気づいたのか顔を上げてフードを取った。
流れるような銀髪、幼い顔立ち、白い透き通るような肌――――――そして即頭部から伸びる控えめな……角。
少女の姿に俺たちは見覚えがあった。
この世界において、トップの実力をほこる魔王ルシファーについで、同等の実力を持つ三人の人物。
その三人と魔王ルシファーを合わせ、この世界でその四人はこう呼ばれている。
「四大魔王」……と。
「あれ、もしかして」
目の前の少女が口を開く。感情が全く込められていないように聞こえるが、なんとも可憐で美しい声色だ。
「ハル坊ちゃん?」
少女、いや、世界最強格である「四大魔王、その中の一人。
「久しぶり、元気してた?」
魔王アスタロト。
そんな強大な力を持つ最強の存在が、今、目の前に立っていた。