英雄の部屋
塔の入り口に立った武蔵は、普通に木製の扉を押した。キィと、古い扉を開けるときに出る独特の音とともに、ゆっくりと開いた。
「マジで開いた……」
後ろでダンがつぶやいた。彼がここに努めて間もないころ、腕試しにこの扉を開けようとしたことがあった。びくともしなかったその扉がいとも簡単に開いたのだから、仕方がないことだった。
単純な作りとなっているため、武蔵はダンに簡単に説明したが、ダンはキョロキョロと辺りを見渡し、聞いていないようだった。
塔の一階部分――扉を開けてすぐの場所には、最初は気付かなかったが、馬具や木の箱が置かれていた。
「そういえば、三百年前の過去の英雄が使っていたってことは、それからずっと開かなかったのか?」
「おそらく。英雄の最後がどうだったかは、吟遊詩人の唄にも、ガキのころに読んだ物語にも出てこないから、はっきりとは言えんがな」
三百年ほど経っているにしては、内部は異常に綺麗だった。蜘蛛の巣もなく、埃もほとんどなかった。使われていた当時から、時が止まったような雰囲気だった。
武蔵とダンは螺旋階段を上り、最上階の部屋に行った。
武蔵が最初に来た時と同様に、質素な作りの机とベッドがあるだけだった。そういえば、一冊の本があったなと、武蔵が机に近づいたとき、ダンが話しかけた。
「コレはなんだ?」
ダンが床に落ちていた紙の束を拾った。
「あ、それは俺のだ。一緒にこっちに来て、ここに落としてたのか……」
それは雪が武蔵に渡した企画書だった。高校の七不思議――もし、武蔵が元の世界に戻れなければ、消えた学生として八つ目にカウントされるかもしれない。事の発端となった不吉な雪の企画書だが、ここに置いておくわけにもいかないため、武蔵はダンから受け取った。
「表紙に書かれているのは文字か?オレにはさっぱり読めないが」
言葉は通じるのに、文字は異なっているのか。武蔵がいた世界とここの世界は異なっているようだ。言葉が通じて、文字が読めないっていうのはおかしい。ならば、机の本は読めるだろうか。武蔵は机の上にある本を開いた。
「これは日本語……!?」
羊皮紙に書かれた文字は日本語だった。
「ダン、この文字は読めるか?」
武蔵はダンを机のそばに呼び、本を見せた。
「なんだ、この文字は?この国の文字ではないぞ」
やはり日本語だ。英雄の部屋から日本語で書かれた本が出たということは、三百年前に日本人がここに現れたということか。この本に結界と元の世界へ戻る方法が記されていればと思い、急いでページをめくった。
武蔵が本を読んでいる間、ダンはベッドに腰掛け、じっと待っていた。
「なぁ、何が書かれているんだ……?」
一言も発せず、黙々と本を読み続ける武蔵に、飽きてきたダンは声をかけた。
「……“二月二十三日、曇り。居酒屋で酒を頼んだが、ガキはダメだと断られた。夜、アキラが宿を一人で出て行った。二月二十四日、晴れ。昨日の居酒屋で火事があったが、死傷者は出なかった。アキラの機嫌がとてもいい……”書いたのは“イズミ”という人で、“アキラ”と二人で行動していた時の日記のようだ。この二人の名前に聞き覚えか何かないか?」
「英雄イズミ、子供でも知っている名前だ。ということは、その本は英雄が書いた本なのかっ!?」
興奮し、鼻息を荒くしたダンが椅子に座っていた武蔵に詰め寄った。
「近い!近いから!!落ち着けぇーーー…」
――その瞬間、部屋の中心が青く光り輝いた
あふれる光が部屋を包み込んだ。武蔵は目をつぶり、腕で目をガードした。だが、とっさのことだったため、目は強い光を浴びてしまった。光が収まっても目の前は一面の白だった。徐々にぼやけた視界が焦点を結ぼうとしたとき、声が聞こえた。
「武蔵くん!!」
視界が戻らなくてもわかる。声の主は開かずの扉で別れた雪だった。