第三法章 凍れる時
今日は天曜日。
午後は初めての魔法実技の授業がある。
魔法学や魔法譜の授業も楽しいけど、やっぱり座ってるより、実際に魔法を奏でるほうがだんぜん楽しい。
「セア、やっぱり気になるわ」
青い体操着から顔を出した途端、アズリは思いつめた感じでわたしに詰め寄ってきた。
わたし、またなにかしたかなぁ?
あれから、いちおう、落ち着いて生活をしてるつもりなんだけど。
「体育の時も思ったけれど、あなたの髪、危ないと思うわ」
アズリに言われて、わたしは自分の髪をなでてみる。
夜の海をたたえたような、とみんなからほめられる自慢の髪は、今日もさらさらと指がすき通る。
「まとめましょう」
アズリは決意とくしを手にして、わたしは問答無用でイスに座らされた。
くしはなめらかにわたしの髪を束ねていって。
アズリの手にゆだねられた髪はそのまま上へと持ち上げられて。
一分もたたないうちに、わたしの髪型はサイドアップに変わっていた。
アズリが手にした鏡の中で、わたしが目をまるくしてる。
「すごい、はやい……」
「毎日自分の髪を結っているのだもの、当然でしょう」
アズリもなんだかほこらしげで。
首を揺らすたびに、ふわふわと浮かぶ髪に、わたしもうれしくなる。
「セアの髪、思っていた以上に、触り心地がいいのね」
アズリはわたしの髪を軽く指ですいて。
ほめられると、心がくすぐったくなって、自然と笑顔になれる。
「さぁ、行きましょう。遅刻なんてしたら大変よ」
「あ、うん。まってよ、アズリ」
校庭に出ると、他のみんなはもう集まっていて。
わたしたちがその列に加わるのと同時に、チャイムがなってライル先生とオルド先生がやってきた。
「ふむ、全員集まっているか?」
オルド先生の枯れた声に、アズリが人数を確認する。
ちゃんと全員いることを伝えると、オルド先生は岩のようにゆっくりと、そしてしっかりとうなずいて。
ライル先生に目配せをして、場所を開ける。
「あー、みんな、今日は始めての魔法実技の授業だな。この授業は先生と、それからオルド先生の二人で担当する。質問あれば、どっちの先生に聞いてもいいからな」
魔法実技は、魔法に必要な技術を実践しながら勉強していく授業。
だけど、一年生ではまだ、魔法を奏でたりはしないらしくて、ちょっと残念。一年生の内は、魔力の使い方を覚えたり、魔法譜の高さをマナの振動で実際に感じ取ったり、という基本的なことしかしないらしいの。
ライル先生はそこまでの説明で三十分くらいを使って。
それでも、二時間集中授業だから、まだまだ時間はたっぷりある。
「それじゃ、これからやることを説明するぞ。オルド先生、お願いします」
またオルド先生が前に出てきて。
なんだか、この二人が並んでると、不思議な気持ちになる。
だって、正反対な雰囲気を持った二人なんだもの。
親しみやすいけど、どこか頼りない感じのするライル先生に、見るからに厳しくて、近寄りがたい感じのするオルド先生。
とても相性がいいとは思えない。
「では、今日は魔力を自分の外に放出する練習をする。私とライル先生でやってみせるので、よく見ておくように」
ライル先生とオルド先生が対面して。
次の瞬間には、空気が変わった。
うすい膜が二人をそれぞれ包むように現れて。
ライル先生は、放電をしながら空気を弾けさせてる金色の膜。
オルド先生は、全てを飲み込むような深さを感じる漆黒の膜。
それぞれの魔力を具現化した障壁が、せまってく。
それらは音もなく、ぶつかって。
ライル先生の雷は、闇に飲まれることなく、大気を走って。
オルド先生の闇は、雷に追われることなく、そこにあって。
お互いに自己を主張しながら、けれど相手を受け入れて。
数秒間の拮抗の後、息をぴったり合わせて、二人は障壁を消した。
そしてオルド先生はわたしたちに向き直り、口を開く。
「魔力を純粋に解放すると、このように障壁となる。今日の課題は、この障壁を発生させられるようにすること、そして、今から伝えるパートナーと障壁を重ねて、一分間安定させることだ」
魔力をそのまま表に出すのはむずかしくないけど、だれと障壁を重ねるのは注意しなくちゃ。
すこしでも魔力の濃さが違えば、あの障壁は弾けて、わたしたちは吹き飛んでしまうだろう。
「じゃ、パートナーを発表していくな。今回は魔力が調整しやすいように、先週の健康診断で魔力値が近い者同士をパートナーにしている」
そういって、ライル先生がパートナーを発表していく。
もちろん、わたしのパートナーはアズリだった。
「こんなお遊びみたいなこと、早く終わらせましょう、セア」
アズリは自信に満ちた顔でそう言って。
確かに、これくらいはアズリにとっても、わたしにとっても、もう当たり前にできることだ。
でも、もしわたしがすこしでも魔力の量を間違えたら、アズリがケガをしてしまうかもしれない。
そんなのは、やだ。
「セア?」
わたしはうつむいていて。
だから、アズリに顔をのぞかれているのにも、気づけなかった。
ハッとして、顔を上げたら。
アズリは形のいい眉を寄せていて。
わたしは、手を取られた。
「セア、私たちは魔力が強いから、みんなから離れましょう?」
わたしは返事する間もなく、アズリに手を引かれて校庭のはしまで連れて行かれた。
そこに辿り着くまでは、二人とも無言で。
なにか、アズリの背中からピリピリとした雰囲気がただよっている。
「セア、私に何か隠し事しているでしょう?」
わたしは、どきり、とした。
どうして、わかったんだろう。
「大方、魔力のことかしら? あなた、本当は私よりも魔力が遥かに高いんじゃない」
「な、なんでわかったの!?」
思わず声を上げてしまったわたしは、慌てて手で口をおおう。
そんなわたしを見て、アズリはため息をついた。
「簡単なことよ。本来百人オーケストラで奏でられるオセアンの大洋交響曲を一人だけで完璧に奏でたりする人間が、私と同程度の魔力だなんて信じられる訳ないでしょう」
そういえば、命の海ってそんな大勢でやる魔法だったっけ。
いつもお家の庭で一人で奏でていたから、すっかり忘れてたよ。
「その反応は図星ね。そうなると、健康診断の時の魔力エラーも、機械の誤作動じゃなくて、機械の測定範囲を越えていただけなのね」
まさにアズリの言う通りで。
わたしは下手な測定器だったら、壊してしまうくらいに魔力が高い。本当の魔力の値は、どんなものでも測れないから、わたしも知らない。
「それで、私を怪我させるとか思っているのかしら?」
わたしが驚いて顔を上げると、アズリはもう一度、息をはき出した。
それから、わたしのほっぺが思いっきりつねられた。
「あのね、あなたが優しいのは分かるわよ。それでもね、あなたの態度って、私のこと見下しているのに気づいている?」
見下す?
なんのこと?
わたしはアズリが言ってることがわからなくて、痛みも忘れて戸惑ってしまう。
「なんにも分かっていない顔ね。あなたは傲慢だわ。自分は出来るから、レベルが高いからって、本気を出さない。わざと出来ないように見せかけて、相手の機嫌を取る。だけどね、そんな『施し』をされたって、私は嬉しくないのよ」
アズリの手がわたしのほっぺを離して。
『施し』だなんて、わたしはそんなこと思っていなかったけれど。
アズリはそれをわかっていないわたしに、怒ってるんだ。
わたしの手がアズリの手に取られて。
人より高いわたしの体温が、そっとアズリに冷やされる。
「ねぇ、セア。あなたが持っていて、いらないって言っているものを、必死に追いかけている私はなんなの? あなたが私のために手を抜く度に、私がどれだけ惨めな気持ちになるか、考えたことはある? 手を伸ばしても届かなかったものを、持っている人が笑って捨てるのよ」
わたしは身勝手なことを言ってたんだと、始めて気づいた。
だから、ライル先生はわたしに間違ってるって言ってくれて。
アズリにこんなに怒られてしまうんだ。
『優秀な人間は自分の価値が分からず、愚鈍な奴は他人の価値が分からないっていうことだ』
耳の奥で、エアルスの言葉がよみがえる。
その意味がやっと分かった気がして。
涙がこぼれてきた。
「泣き虫」
そんな姿をアズリに笑われて。
もう、なにを言えばいいのか、わからない。
「セアなら、私の魔力に合わせるなんて簡単でしょう? 私は、あなたを信じているわ」
アズリが信じてくれるなら、わたしはそれに応えたい。
泣き虫なわたしに、勇気をくれるのは、大切な人の想いだから。
わたしは、涙をぬぐって。
「わかった。ぜったいにアズリは傷つけない」
強い意志を抱いてわたしは応えて。
すると、わたしはアズリに抱きしめられた。
ちょうどほっぺにこすれるポニーテールがくすぐったい。
「ええ、ありがとう、セア。大好きよ」
アズリと二人、すぐに先生たちのところに向かう。
ライル先生はちょうど、他の生徒について様子を見ていて。
わたしたちは、オルド先生に試験を頼んだ。
「おや、練習はしなくていいのか」
「はい」
「私達には、必要ありません」
「ふむ、大した自信だ。最も、当然といえば当然だが」
オルド先生は評価を書き込むために紙とペンを取り出して。
それから、黙ってわたしたちにうなずいてみせた。
わたしとアズリは、お互いに一歩分の距離を置いて向かいあい。
「いくよ、アズリ」
「ええ、いつでも大丈夫よ」
短く声をかけあって。
でも、それで十分。
心はもうつながってる。
わたしは、瞳を閉じて。
すこし湿気った風を感じる。
かたむいた太陽の陽射しは柔らかくて。
堅い地面は口数も少ない。
それから、みんながんばって、心を開こうとしていて。夜空のお星様みたいに、それぞれの強さで灯ってる。
その中に、ひときわ強く、そしてしっかりと煌めいている人がいる。
それは、アズリの強い意志に支えられた海のように大きな魔力。
わたしは瞳を開いて。
まっすぐに、アズリとお互い見つめ合う。
アズリの黒い瞳は、夜のように深くて。
それでいて、黒曜石のように強い意志が光を放ってる。
だいすき。
気持ちがあふれてくる。
そのまま、心を解き放って。
魔力を解放する。
わたしがまとうのは、海。
波に揺れて、その彩りを変えていく。
アズリも魔力を解放して。
彼女がまとうのも、海。
遠浅のように、小さな波に純粋な青が透き通る。
同じ海の魔法。
けれど、違う海のありかた。
二つの海は、重なって。
どくん、とわたしの中のなにかが跳ね上がる。
わたしの心がざわめいてる。
いやだ。
のぞかれたくない。
なんにもできない自分がはずかしい。
そんなふうに、わたしが怯えてる。
認めたくない。
あんな感情に振り回されている娘に負けるなんて。
きっと、見下しているに違いないわ。
そんな、アズリからの拒絶がせまってくる。
わたしたちは、心のままに、二つの海も反発しあって。
でも、そんなぐちゃぐちゃな気持ちの奥に、ちゃんとあるんだ。
繋がった気持ち。
同じ気持ち。
信じている。
わたしは、怯えるわたしをなだめて。
アズリは、かたくななアズリをしかって。
心を開いていく。
碧と青。
次第に混じり合っていって。
マーブル模様が移り変わる。
海と海。
飲みこんで、飲みこまれて。
融け合いながら、けれど自分を保ちながら。
わたしとアズリ。
信じあって。
心を寄せ合うの。
海の膜の向こう。
アズリがそこにいる。
わたしを見てくれてる。
なんだか、うきうきしてきた。
右手を揺らして。
わたしの波がゆらめいて。
海がオーロラのようにざわめきながら、表情を変える。
アズリが微笑んで。
しょうのない子ね。
そんなふうに、慈愛に満ちた言葉をもらして。
アズリの握られた手から、指が弾かれて。
その先にあったアズリの海が青い波紋を揺らす。
いくつもの丸が、折り重なって。
わたしの波に重なると、彩りを揺らして。
楽しい。
その気持ちのままに、両手を広げてくるりと回れば。
大きな波が、二人の海を揺らす。
アズリもさすがに驚いた表情になって。
それから、すぐに顔を引き締めて、指を鳴らす。
それに応えて、大きな岩を投げ入れたみたいに、滴を跳ねさせながら大きな波紋が広がる。
それでわたしの波が消されたのが、なんだかくやしくって。
もっとたくさん波を起こしてみる。
けれどアズリだって負けず嫌いだから。
それよりたくさん波紋を広げようとしてくる。
碧が砂を巻き上げて、地面に波模様を描けば。
青が空気を飲みこんで、白く泡だって。
碧の波は木の葉を踊らせて。
青の波は鳥の羽を舞い散らす。
波がぶつかって、はじけたしぶきが、おたがいの肌をぬらしてく。
わたしたちが、何度も何度も波を起こし合っていたら。
合成された電子音がわたしたちの海に伝わってきた。
「アズリ、セア、授業終わったから、そろそろ止めろな。ていうか、よく魔力持つな、お前ら」
あきれ切ったライル先生の言葉で、わたしたちはわれに帰り。
解放してた魔力を秋の空気に溶かした。
校舎に付いてる時計を見れば、残り時間の全部を使っていたみたいで。
それでも、ほんとうに楽しかったから、わたしとアズリは顔を見合わせた後に、思いっきり笑い合った。
***
その後、帰りのホームルーム前には、わたしとアズリ以外のみんながぐったりとしてた。
魔力を解放するだけでも、なれていないとすごい疲れるんだよね。わたしも、魔法が使えるようになったばかりの頃は、次の日は一日中寝てたりもしてた。
ライル先生は、教室に来るなり、みんなの様子を見て苦笑いしてる。
「お前ら、だらしがないぞ。アズリとセアを見てみろ。あんなに魔力を解放してたのに、元気じゃないか」
「先生ぇ、この二人は異常だと思います……」
なんとか、男子の一人がみんなの気持ちを代弁するけど、やっぱりその声にも力がない。
ていうか、異常ってなによ。
「まぁ、それもそうだが、これくらいでへばってたら、これからやっていけないぞ」
あれ、ライル先生、なんで普通にうなずいてるの?
わたしは、きっと同じ心境だと思うアズリに視線を送ると。
アズリはわたしにちらり、と振り返って、あきらめたように肩をすくめるだけだった。
「さて、ホームルームを始めるぞ。それでだ、疲れているところに悪いが、お前達に朗報だぞ」
わるい朗報ってなんだろう?
わたしが不思議な言葉の並びに首をかしげている間に、ライル先生は内容を話していく。
「来月、魔法実技は試験をするからな。上位者は順位も公開されるぞ」
「はぁああ!?」
まぁ、みんなが声をそろえて、すぐにライル先生の話を中断させちゃったけど。
ライル先生はみんなに、落ち着けとジェスチャーをしてなんとかなだめようとするけど、教室のざわめきは収まらない。
みんな、疲れていたんじゃなかったの?
ざわめきはぜんぜん収拾がつかなくて。
むしろ、すこしずつ大きくなっていってる気もする。
そんな状況にじれたのか、アズリが立ちあがって。
「静かにしなさい!」
そのアズリの一言で、教室は波をうったように静まり返る。
アズリは鋭い視線を教室全体にめぐらせて。
みんなが喋る気がなくなったのを確認すると、前に向き直る。
「先生、続きをお願いします」
「お、おお。ありがとう、アズリ」
アズリの声に衝撃を受けていたのは、ライル先生も同じで、放心しかけていた。
ほんとに、威厳とか権威とかと、かけ離れた先生だなぁ。
ライル先生はそんなすこしも見えない威厳を取り戻そうと、せき払いをひとつして、話を再開する。
「あー、試験と言ってもそんな難しく考えなくていい。魔力を解放する程度でかまわない。まぁ、あれだ、魔法を使えるようになりましたよ、って先生達に見せる場だと思ってくれ。もちろん、魔法を奏でられるなら、奏でてもいいし、成績にも加味される。というか、結構な配点だから、がんばるように」
なんか、軽いんだか、重いんだか、よく分からない試験だなぁ。
がんばったほうがいいのだけは、間違いないんだろうけど。
ほかには特になにもないみたいで。
ライル先生はすぐにホームルームを終わらせてくれた。
帰りのあいさつをしてすぐに、わたしはアズリのとこに行ってみる。
「試験だって、アズリ」
「ええ。負けないから、覚悟しておきなさいな」
アズリはいたずらっぽく笑ってて。
わたしは思わず、ほっぺたを両手で守った。
「あら、セア、そんなに頬をいじってほしいの? いけない子ね」
逆にそれがアズリのいじわる心を刺激してしまったのか、わたしの手を払いのけて、ほっぺをむにゅむにゅされる。
「ひがうよ、アズリ、ごめんなさい~」
「うふふ、本当にかわいい」
アズリは最後に、ふにぃ、とわたしのほっぺを限界までのばして。
満足そうな顔をして、やっと手を離してくれた。
「さて、帰りましょうか」
「うんっ」
アズリはそういってカバンを手に取って。
わたしもカバンを抱え直す。
帰り道は茜色にそまって。
日はだんだんと短くなっていって。
木の葉もこの一週間でずいぶんと色づいてきた。
「来月には、もうすっかり紅葉してるんだろうね」
「そうね。それから、綺麗な落ち葉がこの道に敷き詰められるんじゃないかしら」
「わぁ、落ち葉のじゅうたんだね♪」
今はまだ、山道をおおってるのは去年の葉っぱで、一面が黒と暗い茶色だけど。
新しい落ち葉の紅や黄色、それから紅茶色に変わるんだ。
想像しただけでも、ステキでわくわくしてくる。
「そうやって、移り変わる季節をあなたと見ているのかしら?」
アズリは、どこか遠くを眺めてるみたいで。
その先に、アズリの言う通りに、ちゃんとわたしもいられたらいいな。
だから、わたしはアズリの腕に抱きついて。
「どうしたの、甘えんぼさん」
アズリのほほえみは優しくて。
それから、細い指がわたしの髪をとかしてくれる。
「えへへ」
そんなことが、どうしようもなくうれしくて、幸せで。
とても穏やかで、愛おしい。
きっと、わたしたちは、ずっと一緒にいられる。
そんなことを、信じられたんだ。
***
それから、毎日は楽しくて。
クラスのみんなとも仲良くなれて、アズリ以外の子ともお友だちになれた。
みんな、お菓子をくれたり、なでてくれたり、とっても優しくしてくれる。
授業も、数学をアズリが教えてくれるから、だいじょうぶ。
エアルスの携帯から電話がかかってきたのは、そんな魔法実技の試験を一週間後にひかえた帰り道だった。
そういえば、最近、アズリは用事があるからって、一緒に帰ってくれないな。すこし、さみしいかも。
「もしもし、エアルス? どうしたの?」
『よ。あれから連絡がないから、どうしたかと思ってな。上手くやってるのか?』
「うん、だいじょうぶだよ。エアルスのおかげ。ありがとね」
『オレは何もしてねぇよ』
あいかわらずだなぁ、エアルスは。
そっけない言葉に、思わず苦笑しちゃう。
「そんなことないよ。エアルスがいなかったら、わたし、もっとみんなに迷惑かけてたよ。エアルスの言ったこと、やっとわかったんだよ」
わたしは、落ち葉のじゅうたんを踏みしめながら、歩いてて。
想像した以上に、そのじゅうたんの柄はキレイだった。
一枚一枚折り重なった色合いが、だれの手も加えられていないのに、運命のように調和してる。
『オレはただ思ったことを言っただけだ。それを意味あるものに感じたのは、お前だろ、セア』
エアルスにほめられると、なんだかくすぐったい。
だから、わたしはすこし意識をそらせて。
すこし、左のほうを見てみる。
すると、そっちから、淡く力を感じる。
凛とした雰囲気に、透き通るような青の印象。
途切れ途切れの波紋を、わたしは感じた。
「アズリ?」
『ん? どうしたんだ?』
「あ、うん。ルームメイトの魔力を感じて」
自然と、わたしの足はアズリの魔力がするほうへ向いてて。
落ち葉を散らして、薄手になってる木々の間を抜ければ。
《何にも逆らわぬ海雲の在り様 浮かびあがるは月影の神秘》
凛と響く声は、わたしに水晶のハンドベルの音色を思い出させて。
《契約の元、この海候に幻想に見せたまえ ジュエルジェリー》
呼びかけとともに現れた宝石色のクラゲたちは、エメラルドにサファイア、ルビーにパールと、それぞれに幻想的な輝きを放って。
ゆらゆらと、アズリの周りにただよっているのは、とても数えられるような多さじゃなかった。
その中心でアズリは黒いポニーテールを揺らして。
宝石クラゲを波に踊らせている。
『前に言ってた奴か?』
その光景に心を奪われていたわたしを、エアルスの声が引き戻す。
「う、うん、そうだよ……」
自分の声まで、遠くに聞こえて。
わたしの視線も意識も、アズリに向いたままだった。
『セア、陰でやってる努力ってな、見られたくないものなんだ。必死になってる姿を見られるより、堂々とした本番を見られたいだろう?』
エアルスの言葉に、わたしはなんとか自分を引き戻して。
「そう、だね。のぞきはよくないね」
はり付いた足をなんとかはがして、その場を離れていく。
でもやっぱり気になってしまって。
何度も振り返っては、足を止めてしまう。
アズリにとって、一番っていうのは、必死になって練習を重ねるくらいに大切で。
じゃあ、わたしにとって、一番っていうのは、なんなんだろう。
まだ、わたしはわからないままだった。
どうすればいいのか。
もやもやしたままで。
ただ、気持ちだけがそこにあって。
アズリのことが、大好きで大切で。
でも、エアルスやライル先生がわたしにくれた言葉も、大事にしたい。
アズリは、わたしに本気でやってほしいと言ってた。
でも、わたしには確信があるんだ。
本気になんてなれない。
アズリと競い合いたいだなんて、思えないから。
けっきょく、答えは見つからなくて。
ううん、見つけられなかったの。
***
気がつけば、もう試験当日になっていた。
会場は、屋外の魔法場。森林の中にある天然の空白を整備した、秋風の心地いい場所だ。
ライル先生やオルド先生を始め、魔法科の先生たちが見守る中、一年生全員が自分の魔法を披露する。
わたしの出番は、最後。アズリはその前。
始めのほうの子は、みんな障壁をやっと展開できるくらいで。
それから、すこしずつ、水を浮かせたり炎を踊らせたり、風に乗ったり土を跳ねさせたりできる子が出てきて。
それでも、魔法を一曲奏でられるような子は、両手の指にも余るくらいで、それも短い法目だった。
これなら、アズリはだいじょうぶ。かならず一番になれる。
わたしは、もう決めてるから。
日がかたむいて、今日の終わりを告げて世界を染める頃、アズリの出番が回ってきた。
穏やかさに空高いその広場の真ん中に、アズリは背すじをのばして立っていて。
自信に満ちた表情で、先生たちに向かっている。
「アズリ、準備はいいか?」
「ええ、もちろんです」
ライル先生の問いかけに、返すのはいつも通り凛とした声。
それから、ミュート。
自然の中で、そして今までの生徒の魔力でふるえていたマナが、アズリの意識を感じ取り、黙っていく。
静かな世界。
けれど、それは音がないという意味じゃなくて。
すべてが、アズリの意志に従っているような感覚。
ひとつの波紋。
雨滴のように落ちて。
世界に広がる。
ひとつ、ひとつ。
始めは途切れ途切れに。
次第に、絶え間なく。
落ちる度に、透き通った青が波となって。
《大海泳ぐ精霊の末裔よ 唄に踊り 想いに響き 魂に寄り添え》
アズリの鐘のように響く呼びかけに応えて、無数の波紋の中から、ピスセスがヒレをひるがえす。
天女の衣を思わせるその美しい調べに、みんな声も失って。
ピスセスはアズリを中心に、優雅に泳ぎ回る。まるでここが、彼女たちの故郷である海そのものだと言うように。
折り重なるピスセスの透明な水色の衣になでられて、波は緩やかにふるえている。
それは観客席にいるわたしのところまで寄せてきて。
触れれば、切なく冷たく。
透き通るその海は、淡く煌めき。
太陽の色を世界から奪っていく。
ピスセスたちはアーチを描いて。
また波紋の中へ、自分たちの海へと帰っていった。
《何にも逆らわぬ海雲の在り様 浮かびあがるは月影の神秘》
そしてピスセスが飛び込んだ波紋から、代わりに浮かんでくるのは、宝石クラゲたち。
かまどの火のように、優しい緋色のルビー。
アズリの海よりなお青いサファイア。
春風にそよぐ新緑を思わせるエメラルド。
夜を引き裂く雷の黄色を宿したトパーズ。
無限の煌めきを抱いたダイヤモンド。
それぞれの光沢は、アズリの海に重なって。
青の幻想で、波に抱かれてるままに浮かんでる。
アズリが指を鳴らせば。
波を宝石クラゲたちをさらって、広がり。
また指を鳴らせば。
海の中へ返っていき。
ふわふわ。
ゆらゆら。
アズリの想いのままに、踊らされてる。
先生たちも、その光景には目を見張ってる。
ライル先生なんか、目の前のトパーズの宝石クラゲをつついてて。
それにもかまわず、アズリは波で宝石クラゲたちを操って。
何体か、ひときわ輝きの強い宝石クラゲの輝きが、軌跡を残していく。それは次第に線を重ね、円を重ね、意味を成していく。
気づけば、アズリを中心に、巨大な魔法陣が展開されていて。
そこに描かれているのは、普通の魔法言語ではなくて、角ばった不思議な文字。それは龍たちが使う独特の魔法言語で、東方の島国では公用語にもなっている。龍言語と呼ばれてるこの文字は、ひとつひとつに意味が宿ってて、魔法の触媒となるんだ。
それができあがるのと同時に、宝石クラゲはみんな光の泡になって、消えていく。
《西海守護せし偉大なる者よ。汝は白波よりも疾く駆けり。我が想い波打つよりなお速く、その神威を以て世界を渡れ》
朗々と紡がれる詠唱。
深い想いは波となり。
龍がつちかってきた言葉をなぞってく。
立体的に組み上がった魔法陣は深い藍を灯して。
アズリの心が世界の壁を打ち破る。
空の彼方、開かれた異界への門より、純白の龍が、その巨体を引きずり出した。
《西海白龍王敖潤よ、契約の元、この海候にその力を示せ》
アズリの言霊がとじられると同時に、白龍は大きくいなないて。
その衝撃が、アズリの海に白波を立てる。
その姿は、威厳と力強さと意志に満ちあふれていて。
アズリそのものに、わたしには見えた。
白いうろこは、夕日に染まる世界にも融け合わず、その白さを見せつけていて。ただそこにあるだけでも、意識をわしづかみにされて、目が離せない。
この世界から切り離された、神とも言われる白の龍王の存在感は、その場にいるみんなを圧倒してる。
白龍はもう一度おたけびを上げて。
わたしたちの鼓膜と世界をたたきつけて、消えていく。
その声にしびれた耳が回復するまで、だれも動けもしなくて。
アズリは優雅に一礼をして、その舞台を閉じた。
一拍の沈黙の後。
会場は拍手の嵐が巻き起こり。
先生たちも顔を付け合わせて、相談を始めている。
拍手が終わらない間に、アズリは戻ってきて。
わたしはアズリに駆け寄った。
「すごかったよ、アズリ!」
昂奮するままのわたしに、アズリは力ないけど、ほほえみを返してくれて。
「ええ、ありがとう。これが、私の本気なのよ」
いつもと違って、息も絶え絶えに話すアズリが、全身汗まみれになってるのに、わたしはそこで気づいた。
顔色も青くて、気力だけで、いつも通りをよそおってる。
「アズリ、だいじょうぶ!?」
急いでハンカチを取り出して。
顔の汗だけでも、拭いてあげる。
「さすがに、龍族の召喚は、辛いわね。あの一瞬呼び出すのが、限界」
「お水、飲む?」
「うん、ちょうだい」
わたしはペットボトルを取り出して。
辛そうに息してるアズリの背中を抱えて、口にそれを運んであげる。
アズリのほっそりとしたのどが、ゆっくりと、一回、二回と水を飲んでいき。
それから、アズリは細くて長い息をついた。
「さぁ、次はセアの番ね。私、楽しみにしているから」
そう言って、アズリはわたしをうながして。
わたしは、アズリが心配でしかたなかったけれど、言われた通りに会場に降りていった。
秋風にそよがれながら、わたしは瞳を閉じて、深く息を吸う。
まぶたには、さっきのアズリの姿がまだ残ってる。
ほんとうにすごくて、びっくりした。
アズリの魔力がまだ残っていて、心地いい。
海に抱かれて、浮かんでいる気持ち。
わたしは、ここに立てただけでもう、じゅうぶんなんだ。
「では、セア・アウロラ。始めなさい」
先生たちも相談を終えて。
オルド先生の声がわたしまで届く。
けれど、わたしは瞳を閉じたまま。
アズリの魔力を感じながら、立ちつくしている。
一秒、二秒と、秋風と一緒に時間は通りすぎていって。
太陽もその姿を山の向こうへ隠していく。
わたしが指一本動かさないのを見て、周りがざわめきだす。
瞳を開けば、やっぱりアズリが心配そうな顔でわたしを見ていた。
ごめんさない。
けっきょく、わたしには、こうすることが一番正しいと思えるんだよ。
わたしは、アズリが大好きだから、アズリのために、ごう慢でもなんでも、できることはしたいんだよ。
「セア、どうした? 早くしなさい」
ライル先生の気を使った声にも、わたしは応えない。
応えられない。
ずっと黙っていれば、すぐに終わって。
わたしが望んでいる結果が手に入るはずだから。
今はただ、アズリの残してくれた温もりにひたっていたい。
なにも考えず、この心地いい魔力と雰囲気に、体も心も魂もすべて、投げ出してしまいたいの。
一人の先生が、ライル先生に視線を向けて。
ライル先生が向き直ると、首を横に振った。
よかった、これで、アズリは一番だよね?
わたしが緊張を解いて、肩を降ろした時。
アズリが観客席で立ちあがった。
「セア! あなたなにしているの!」
さっきの先生が、アズリを注意しようとするけど、ライル先生がそれを手で抑えつけた。
アズリはその様子も目に入ってないのか、声を上げ続ける。
「あなたに手を抜かれて一番になっても、嬉しくないって言ったでしょう。そんな惨めな結果はいらないわ!」
うん、ちゃんとわかってる。
だけどね、それでも、わたしはアズリの一番を取っちゃうのは、いやなんだ。
ちゃんと怒られるから。許されたいなんて、思わないから。
ただ、嫌いにはならないでほしいな。
わたしがアズリをずっと見つめていたら。
アズリもわたしが本気だとわかったのか、叫ぶのをやめた。
けれど、口元は悔しそうに噛みしめられていて。
アズリの体がふるえている。
ああ、いやだな。
早く終わってくれないかな。
そしたら、ほっぺでも、なんでも、アズリの気がすむまで好きにさせてあげるのに。
正座だって、今度はちゃんとガマンするし、アズリの雷からも逃げないよ。
わるいのは、ぜんぶ、わたしだから。
そんなことを思いながら、アズリを見ていたら。
アズリが、涙を流したんだ。
大粒の涙を、ひとつ、ふたつと次々に流して。
それは地面に落ちていって。
それから、わたしの心に波紋を作る。
心が苦しくなる。
なんでアズリは泣いてるの?
わたしが泣かせてたの?
「嫌よ……セアが、セアが、わたしなんかのために魔法を奏でないなんて! 私は、あなたの魔法が好きよ! 優しくて、綺麗で、誰かのために、幸せにするために奏でられる魔法が大好きなのよ! それが見られなくなるなんて、絶対に嫌!」
アズリの叫びに、わたしの中でなにかが弾け飛んで。
わたしはアズリに向かって、手を伸ばす。
泣かないで。
その想いは、空気も距離も無関係にアズリまで届き。
その涙を凍らせて、砕く。
「セア?」
戸惑うアズリに、わたしは罪悪感でちくりと胸が痛み。
それでも、アズリが、わたしの魔法を好きだと言ってくれるなら。
わたしは、愛しさを魔法で奏でるの。
あなたのために。
《海が凍る 命も 波も 風も 凍てつき 凍てつき 凍てついていく》
アズリの涙と悲しみと一緒に、全てを凍らせていく。
空も大地も。
風も木々も。
アズリの海も。
凍てついた波が張り出して。
空気が白い息をはく。
そして、凍れる波は砕け。
空気をさらに冷やして。
冷たい煌めきで世界を満たしていく。
《静寂と停止が舞い降りる 時もその役目を忘れ止まりゆく 全てが眠りに就く時を知る》
心臓も止まるような絶対零度まで、気温を持っていく。
静寂と停止が、わたしの舞台を満たして。
わたしのわがままも一緒に眠らせる。
そしたら、残っているのは、想いだけ。
時間も命も忘れて、全てを思う。
大好き。
想いが詠唱をつづって。
詠唱が魔法に奏でる。
《幾つもの凍波が海を侵していき 閉ざされしその先に光が届くことはなく》
凍れる波はきしみ、嘆きを上げて。
お互いにせめぎ合う。
《安穏な闇が眠りを抱く》
凍れる世界に、詠唱を重ねる。
のどを、響かせるではなくて。魂を、響かせる。
《A aquar Darg o nem Coarmy》
その想いは、かつて神々が織りなした言葉へと変わる。
ただ想いをありのまま、そのままに伝えるラグナ語へと。
凍れる海の奥に、抱くのは闇。
波打つこともなく、ただそこに存在する。
その闇は、世界を満たし。
アズリたちのところまで手を伸ばす。
優しく、海のように、子どもを抱きしめて。
《声もなく雪が子守唄を積もらせる 命は自分を忘れ 夢で独りでないことを思い出す》
雪が降り。
穏やかに子守唄を、魂に響かせる。
《A Life o Il Vocy, socie ni yum xi vokinah Wosy》
闇は雪も抱いて。
眠りがみんなを包んでいく。
冬の訪れは、命の旅立ち。
静寂に切り取られた一瞬が、芸術的な季節が冬だから。
その一瞬を凍らせて、永遠にしていく。
時間がその役目を忘れたように、永遠の一瞬が、繰り返される。
「ど、同時詠唱だと!? しかも、海と闇の属性で!?」
「静かにしたまえ。生徒が魔法を奏でているのだから」
わたしの魔法を目の前にして、驚く先生を、オルド先生がたしなめてくれた。
やっぱり、そういう反応になるよね。
同時詠唱――それは、異なる魔法を同時に発動させること。そのためには、とてつもない魔力が必要で、人間では、歴史上でも数人しかいないって聞いてる。
しかも、ラグナ語はかつて神様が使っていた言語で、物語や伝承でもごくわずかな単語しか伝わっていない。今はもう、学者さんでも意味のわかる人が少なくなっているんだ。
そんなものを、わたしみたいな一年生が使えるのだから、驚くのも当然なんだ。
でも、オルド先生、ありがとうございます。
わたしは、わたしの魔法をそのまま受け取ってほしい。
よけいな知識とか、すごさとか、そんなのはどうでもいいから。ただ、このあふれる想いを受け止めてほしいの。
闇に抱かれたみんなの魂を、わたしの海に集めていく。
穏やかな眠りの中で、自分を失って、一つになる命。
その全てがわたしには愛おしい。
《凍波は軋み 無知を嘆く 哀しみと悲しみは木霊して 旅は終わり 命は海に還る》
凍れる静寂の中。
凍れる波が嘆きを重ねる。
きしんで。
こすれ合い。
崩れて。
砕け散り。
煌めき。
消える。
《穏やかな夢に抱かれて 命は無限に融け合って》
融け合う魂は、生まれる前のカタチ。
体がないから、なにも見えなくて、聞こえなくて、触れられない。
心がないから、なにもわからなくて、覚えられなくて、考えられない。
けれど、魂が大切な人の息吹きと鼓動を感じてる。
《全てを忘れて眠りに墜ちる 全てを想い出し眠りに墜ちる》
それは眠りのように。
優しいまどろみの中での、だれも覚えてない記憶で。
けれど、だれもがどこかで、その時に愛した人たちを探してる。自分と魂を分かち合った人たちを、運命の中で求めてる。
《凍波の軋みも何処か遠く 感覚の向こうで木霊して 声もなく雪が子守唄を降り積もらせる》
凍りついた波は、折り重なって砕けて。
そのカケラは白くあたりを凍結させて、白くもやの中にまねく。
それは細かな雪となって、降りしきり。
悲しみや苦しみの上に積もってく。
それを闇が抱いて。
深い奥底に、しまっていてくれるんだ。
幼い心が傷ついてしまわないように。
《深い闇に包まれたその中を 光は侵せるはずもなく》
まぶしい光は、春まで待ってて。
胸にしまった思い出が、自分から光り出してくれるまで。
よわむしなわたしが、悲しみを受け入れられるようになるまで。
ケンカしちゃった相手と、笑い合えるようになるまで。
《命の永遠が刻まれる》
深い闇も凍りついて。
《命の無限が想われる》
すべてをその中で抱いて。
《命の夢幻が抱かれる》
《A Yum l life qi Coarmy》
すべては闇の中で眠り。
すべては海の中で融け合い。
ただただ、お互いを想う。
―― ――
音もなく、声が響いて。
伝わり、感じ。
届き、わかる。
共鳴。
共感。
共生。
そして、わたしたちは、わたしたちを取り戻して。
夢から覚めて。
闇が晴れていく。
凍れる波は融けだして。
止まっていた時間が、その役目を思い出す。
わたしは、遠くて近いアズリを見つめて。
アズリは、また泣いている。
けど、それが悲しみの涙じゃないことくらい、わたしにはわかってる。
だから、両手を広げて。
アズリをすぐ抱きしめられるようにして。
もうあふれる想いは、おさえられないから。
はっきりと声に出して、自分の気持ちを伝えるんだ。
「アズリ! 大好き! 愛してる!」
自信いっぱいのわたしの告白。
けれど、アズリは顔を真赤にして。
「何言っているのよ、このバカ!」
そんな冷たい返事をされてしまったんだ。