レッドキャップ
最初に断っておきます。
かなり後味の悪い結末になりました。それでも良いという方だけどうぞ。
「なぜ…わしは泣いているのだろう……」
僅かに歪んだ形の真新しい墓の前で、その老人は泣いていた。
世に出でて後、ただの一度も泣いたことなどなかった。
いや、泣くのはおろか涙を流したことさえも、長い記憶の中には無い。
「…おぬしは純粋すぎたのじゃ」
真新しい墓に、呼びかける。盛り土はまだ僅かに湿っている。
老人は自分の帽子を手に取った。
真っ赤に濡れた帽子。血に染まった帽子を…。
話は、数日前に遡る…。
その日は、朝から騒がしい日だった。
祭りでもあるのだろうか。人々は色めき立ち、何がおかしいのか笑いさざめいている者もいる。
老人は、溜め息混じりに呟いた。「なんと、愚かな時代よ…処刑が、民衆の娯楽とはな」
老人は、拷問人であった。罪人に苦痛を与え、自白させ、いわゆる『法』のもとへ引き渡す。それが、彼の仕事だった。最も、いまは老齢の為に仕事を退いている。
群集の声が、一際高くなる。罪人が連れ出されたのだ。
老人の呟き通り、罪人の処刑が始まるのである。
罪人は二人。まだ、うら若い男女だった。
司教が、芝居がかった厳かな声で罪状を言い渡す。罪人たちは、身動ぎもせず聞いている。
男の方はうなだれて。
女の方は前を見据えて。
遠くであることと、野次る群集の為に、声はよく聞こえない。
『恥知らず!』
『この、魔女め!』
『穢らわしい!阿婆擦れが』
群集の罵声から察するに、おそらく罪状は姦通か、異教徒同士の色恋沙汰か。大方、そんなところだろうか。
いずれにせよ、愚にもつかない乱痴気騒ぎになることは間違い無い。そんなのは御免だと帽子を目深にかぶり、踵を返したそのときだった。
騒ぐ群集のなか、ひとりの少年を見た。
老人は思う。まるで鴉のような少年だと。
長い艶やかな黒髪に、周りの者を射抜くような鋭く光る眼差し。端正な顔を歪ませ、片方の口角が上がっているのは怒りをかみ殺しているのか、それとも罵声を喚き立てる群集の愚かさを嘲笑っているのか。どちらともとれる顔だった。群集が狂気に、興奮に熱せられているなか、その少年だけが驚くほど冷たい目をしていた。
その冷たい眼差しは罪人たちにではなく、群集に、司教に、処刑人に向けられていた。
老人の耳に、少年の幽かな呟きが響く。
「ソフィーア…」
処刑があった数日後…。老人は、あの少年の姿を見つけた。
彼は寝転び、空を見ていた。
ただ一心に、澄み切った空を見ていた。
視線に気付いたのか、不意にチラリと老人を見やり、笑う。
片頬を上げた、皮肉な笑みを、老人に投げかける。
「あんた、こないだの『祭り』…見たかい?」
老人は返す。
「あんなものは祭りではない」
と。
「娯楽の少ねえ、このご時世だ。それに、」
少年は言葉を切り、起き上がる。
「足引っ張り合って、他人蹴落として貶めて…。それが愉しいって思える奴らばっかりだ。この町はよ…!」
老人は、ただ黙っていた。
稍あって、口を開く。
「…人というものは、知らぬものに対しては…いくらでも残酷になれる。非道なことも出来る」
「へえ…解ったような口きくじゃねえか、じいさん」
少年はせせら笑い、言葉を吐き出す。無理をして笑っているようだった。
「『わかったような』ではない。『わかる』のだ。…わしは拷問人じゃったからな」
少年の顔色が変わる。憎悪と侮蔑の眼差しで、老人を鋭く射抜く。
が、眼差しはすぐに憐憫のそれに変わった。哀しい色の、眼差しに…。
「そうかい…じいさん、拷問人だったのか」
「わしを憎むか」
「いや、見当違いのもん憎んだら…ソフィーアが悲しむ」
あの、処刑された娘の名だ。
「ソフィーアは…妹は、優しい…奴だった。…じいさん、『魔女』ってやつは、火炙りにされた後…埋葬されることが許されてんだろ?」
老人は、ゆっくりと頷く。
「水と、火と風によって魂が清められたからというのが理由らしいがな…それより、おぬし…」 言いかけた老人を遮り、噛み付くように、少年は叫ぶ。
「ソフィーアは…それすら許されなかった!ただ、異教徒の男を愛したってだけで!……処刑のやり方だって酷いもんだった。でかい牛の置物みたいなもんの中に押し込められて…火を……つけられた…」
「『ファラリスの雄牛』か…。あれは酷いもんだ」
「今でも、ソフィーアの声が耳について離れねぇ。あの中でじわじわ灼かれていく、くぐもったあいつの断末魔の呻き声が!」
少年の端正な顔が歪み、血の色をした叫びを放つ。
「火炙りのほうが、まだマシだ。煙で息が出来なくなって燃えちまう前に御陀仏だからな…。なまじ、息が出来る分残酷だ……!」
少年は、血がにじむほどに固く拳を握り締めた。
「たいした…祭りじゃねえか……!何が、神だ。異教徒を愛しちゃ人間扱い出来ねえなんてケチくせえ事言う神なら、こっちからケツ捲ってやらあ」
捻れた嗤いを浮かべる少年に、老人は言う。
「わしと話しておるのを見つかると、おぬしが次の『祭り』の主役になるぞ」
と。
少年は、手負いの鴉のようなけたたましい声で笑った。
「笑い事でないぞ。拷問人と町人が話すとどうなるか知らぬ訳ではあるまい」
そう、拷問人はひととして扱われることはない。
利用するときだけ有り難がる、道具のような存在だ。
人と話す事も、共にテーブルにつくことも許されない、人と異なる存在…。
「…じいさん」
少年が口を開く。どこか投げやりな口調で。
「レッドキャップ、って…知ってるか」
「墓場や、古城に出る妖精か。人を襲い、その血で己の帽子を染める残忍な、あれか」
「ああ、そうさ。残忍か…。俺は、そうは思わねえ」
「?」
投げやりな口調のまま、世間話でもするように話し続ける。
「そいつらがそうするのは、それがそいつらにとって存在してる『意味』だからだ。…気に入らねえから、やるんじゃねえ。人が残酷なやり方で殺されるの、鼻歌混じりで笑って見てる方が…そのほうがよっぽど残忍だ!」
艶やかな長髪をうるさそうに払う。
普段、括っているのだろう。わずかに癖がついていた。
「墓に入れられなかったら…天国にも、地獄にも行けねえ…」
どこに隠し持っていたのか、少年の手には短刀が光る。
「命をすてても、天国には行けねえ!」
「おぬし…!」
「俺の死に場所は、ここしか無え。ここは…あの二人の灰をばらまいた場所だ」
言うなり、少年は喉を突く。
空気が、気道から漏れ出る音が聞こえ、返り血が老人を深紅に染める。
静寂が流れる。
返り血を浴びた老人は幽鬼のように、ただ虚ろに立っている。
「…おぬしは純粋すぎたのじゃ」
歪な墓の前、老人は泣く。
町でただ一人、壊れきれなかった少年の為に。
やがて夕日が赤々と、辺りを染め上げる……。
不快な思いをされた方、本当に申し訳ありませんでした。