カインとノア 後編(1/4)
庭から本邸へ帰り、両親へのノアの紹介もそこそこに戻って来た自室。程良い弾力が心地良いソファの上で、先程負傷した肩をノアに診てもらっていた。
あの時は受け身こそ取れなかったが、少し休憩している間に感じた印象ではそこまで酷い怪我ではないだろう。
「倒れ方が良かったんだろうな。関節に変な痛みも出て無さそうだし、軽い打ち身程度で済んだみたいだ」
「それなら良かった。医者に罹ると両親が心配するから」
「だからお前はまず自分の心配をだな……」
呆れ交じりのため息と共にそう言われたが、もうこれは性分みたいなものだと思う。
僕自身、それを意識して言っているつもりはない。
「今塗った薬、多めに渡しておくから数日はそれで様子を見ろよ」
「ありがとう。じゃあ僕はお茶を持ってくるね」
「俺も手伝うよ」
「いや、一応ノアはお客様だから部屋で待ってて。お茶を淹れるくらいなら肩にも負担はないからさ」
言ってひとり部屋を出る。
アンダーソン邸は貴族の屋敷としてはかなり小規模で、あまり使用人も多くない。
もう少し上流の階級ともなれば使用人に仕事をさせないのは無作法だろうが、この家は全員マイペースなのもあり、特に誰も気にしていなかった。
何よりお茶くらいなら自分で淹れた方が早い。
「……よし。誰も見てないな」
ティーポットを用意してから周囲に誰も居ないことを確認して、そっとポットに手をかざす。
やがて、ふつふつとポットの底から熱湯が湧き出すのを確認してから、そこに茶葉を投入する。
現在、僕が魔法を使える事は誰にも教えていない。
この世界では魔法が使える人間自体が比較的少なく、また使えるのが僕くらいの年齢となると悪目立ちしてしまうからだ。
とはいえ生活は可能な限り豊かなものにしたい。
電気ケトルも給湯器もない世界でも僕は楽がしたかった。
……そのためにわざわざ水魔法へステ振りするくらいには。
厨房に保管していた茶請けと紅茶をワゴンに乗せて部屋へ戻ると、僕の手にしたティーセットをノアが二度見する。
「お待たせ。お茶持ってきたよ」
「ありがとなー……ってそれ、随分本格的だな。茶菓子まで用意したのか」
「一応ホスト側の貴族なんだしこれくらいは用意するさ。あり合わせだけど味は悪くないと思うよ」
「お前の『あり合わせ』が本当にあり合わせだった記憶がないんだけどな。これもまさかお前の手作りだったりするのか?」
ノアがテーブルに並べた皿の上にちょこん、と乗せられたシフォンケーキを凝視する。
実際、これは複数焼いた試作品の余りだからあり合わせで間違ってはいない。むしろ残り物なのだが。
「そう、手作りだよ。良くわかってるじゃないか。でもお菓子作りに関しては素人だからそのつもりで食べてね」
「いやあ。当時まだ八歳だったのに、簡単な家庭料理だよ、とか言ってコース料理を振る舞ってきた奴に言われてもな。説得力ないだろ……」
それは得意な家庭料理を並べたらコース形式になってしまっただけだ。とノアには以前から何度も言っているのに一向に理解してもらえない。何故なのか。
セッティングしたカップに紅茶を注ぐと、ふわりと甘い香りが広がる。前世で言うところのアッサムといったところか。
「事前に連絡してくれれば君の期待通り、本格的なものを作ってあげるよ。まぁ、このケーキも添えたクリームも甘さを抑えてあるから、甘ったるいのが嫌いなノアでも食べやすいはずだし、紅茶の濃い風味にも合うと思うよ」
「うん。さてはお前馬鹿なんだな? 素人って言葉の意味がわかってないな? 相手の味覚に合わせて菓子と紅茶を組み合わせる素人がどこにいるんだよ」
「ここにいるよ」
何年も付き合いがあるのに、ノアには毎度のように似たことを言われる。でも実際にいるのだから仕方がない。
もっとも、十一歳としては異常だ、という意味で言われたのならそれは僕もその通りだと思う。
「お前って変だよな」
「あれ、ストレートに喧嘩売ってる?」
「いやそうじゃなくてさ」
ぱくりとケーキを頬張ると、その味が気に入ったのかノアは緩んだ表情で紅茶に口をつける。
「実際、お前って何なの」
喧嘩を売られてはいなかったがストレートな言葉には変わりなかった。
つまり僕の異常性の理由を知りたい、という事か。それにしたって変人みたいに言われるのは心外だ。
「急に何。質問の意図が分からないよ」
そう返してはみたがノアの意図くらいわかる。
得体が知れない子供だと、初対面から彼に思われていたのは知っている。それに、裏で素性や出自を探られていたのも。どちらも今更だ。
隣国にいた頃からノアが絡んでると思しき身辺調査や尾行の気配はあった。
にも関わらずこうして直接聞いてくるということは、興味本位もあるのだろうが、これはある意味で諜報員としてのノアの白旗宣言でもある。
「ノアくん、ちゃんとわかるように説明して。できればまだ子供の僕の頭でも理解できる話が聞きたいね」
「はは、さっきまで俺を言い負かしてた奴が何言ってんだか」
「聞くならもっと具体的に言ってよ。そうしたらティータイムの雑談程度になら答えてもいいかもね?」
ポットから二杯目の紅茶を注ぎながら言葉を返す。
紅茶とケーキが不味くならない範囲でなら答えるつもりはある。
ノアは僕の言葉に少し考える素振りを見せてから、思いのほかド直球で疑問を投げてきた。
「お前さ、まず出会った当初から知識量が異常。あと手合わせで確信したけど鍛え方もやたら効率的だし、実戦慣れしすぎ。そんでもって落ち着きすぎ。ソツがない。隙だらけに見えるのに全然ない。油断もならない。それなのに出自は孤児院出身って以外は何も出てこない。どこでそんな生き方を身に着けたのか知らないけど正直怖い。でも受け答えは面白いし、料理も美味いからやっぱり嫁に欲しい」
「……最後のは疑問なの?」
「いや、愛の告白」
「反応に困るから質問に混ぜてくるのはやめて欲しいな」
ノアの場合、冗談と思いきや本気で言ってるのがあまりにもたちが悪い。まず子供にプロポーズをするな。
それにしても、全然オブラートに包まない質問で面食らってしまう。
逆にこれだけ軽いノリならうっかり口を滑らせるかもしれない、なんて打算も多少は含んでいるのだろう。
油断ならないのはお互い様だ。
「聞いてる限りノアは随分僕を買ってくれてるよね。その割には警戒はしてないみたいだけど」
「まあな。俺の剣を受け流せる技量もあるし、もし物騒な奴らと繋がってたら問題だったけどさ。見てる限りお前の生活はド健全だよ……で、その謎の実力ってどんな秘密があるわけ?」
「秘密とか言われてもなあ、この眼も多少は影響してるのかもね」
言って左眼に軽く魔力を通す。それに応じて鈍く紫を帯びた黒の瞳を覗いたノアが感嘆のため息を漏らした。
「黒色の魔眼なぁ。今まであえて聞かなかったけど『叡智の魔眼』だよな、それ」
「そう、これは『魔眼』だよ。練度の低い叡智にできる事なんてちょっとした調べものくらいだろうけどね。食べられる野草とかキノコとか探せるから便利かな」
『叡智の魔眼』をはじめとする魔眼は基本的に『リリスの匣庭』の続編で初出となる要素だ。
現在、この世界に魔眼は七種類あり、低レベルの叡智の能力は簡易的なアナライズやマッピング。
高レベルなら広範囲の索敵や千里眼的な運用も可能になる。
そういったサーチ特化の為『叡智の魔眼』はファンからウィキ魔眼だとかアナライズ眼などと呼ばれていた。
ただ、これはあくまでゲーム知識であって、この世界では一部の人間しか存在を知らない希少な能力だ。
貴族ですら、王族に近い少数にしか周知されていない。
だから僕のように魔眼を知った上で使いこなす一般人なんて普通は存在しない。もちろん『叡智』なんて区分も知るわけがない。
その点でも『叡智』の区分を共通認識として僕に語るノアは、僕をあらゆる意味で例外とみなしているのだろう。
もっとも僕の魔眼は『叡智』ではないのだが、そう思わせた方がこちらも都合が良い。
既にアナライズなら魔法として習得済みだ、真似事くらい容易にできる。
「いやキノコって……希少な魔眼を何に使ってんだよ」
「鍛えれば他人の恥ずかしい個人情報を見たり、プライベート空間の覗きもできるよ」
「やめろやめろ犯罪だそりゃ」
「やってないよ、今のは単にできることを言っただけ。僕の眼なんだし魔眼は常識の範囲内で好きに使うよ、戦闘向きでもないし。それとさっきの質問の答え、まず日々の鍛錬は鍛える場所を明確に決めて効率化してるんだよ。落ち着いてるのはただの性格だし、それ以外の疑念はノアが勝手にそう思ってるだけだろ? 言っておくけど僕にだって得手不得手はあるし、読み書きに関しては人並みだからね」
あえて嘘と真実をまぜこぜにして答える。
正直に話せるところは話してもいいが、手の内を全て開示する気はない。何より『隷属』の魔眼をはじめ、僕には明かせば致命的なボロが出る偽装も多い。
「いやお前そういうところだからな、台本読むみたいにスラスラ答えやがって。自分の年齢言ってみろっての」
「もう少しで十二歳だね」
事実だ。肉体年齢に限った話ではあるが。
しれっと返すと嘘だぁ、と大きくため息をつかれた。
疑わしい気持ちはわかるけどそこは受け入れてもらわなければ困る。
素知らぬ顔で紅茶を煽ると、じとりと睨まれた。
どうやら本気で手の内が気になるようだけど、態度からして仕事というよりは単に興味本位のようだった。
仕事なら多分、こんなにあからさまな態度にはならない。はず。




