カインとノア 前編(3/3)
「やっぱ怒ってる、よな……?」
申し訳なさそうに頭を下げるノアに小さく息を吐く。
僕としては怒るとか以前にとにかく怖かった、何度も死ぬかと思った。
ノアからは打ち合うごとに殺気が漏れ出してたし、途中からは完全に本職の顔になっていた。
やりすぎて関節を壊されるだけならまだいい。
死ぬほど痛いだろうけど死にはしないし、極端な話、それくらいなら高位の回復魔法を取得すれば治せる。
でもあの時の彼なら、きっと動きを止めた僕を勢いのまま殺してしまっただろう。
転んだ時の声で正気に戻ったのだって、単に運が良かっただけだ。
子供相手なのだから手合わせくらいもっと気楽に構えて手加減してほしい、切実に。
ここまで急所に当たらず無傷でいられたのも、日頃のステータス上げの成果だ。
もし、ボーナスポイントを技量や運に多めに振っていなかったら、と思うと今でも背筋が凍る。
やっぱり地味でも運は大事だ。
「はぁ……僕も言いたいことは言ったし、もう怒ってないよ。結果的に肩以外は無傷だし。でも今後ノアとは絶対に手合わせなんてしないから」
「それは本当悪かったって。お前怒ると詰問口調になるよな、おっかねえ……ほらほら差し入れも持ってきてるし、とりあえず休憩しようぜ」
話題をそらすように袋に入ったパンを掲げてからノアは休憩用に備え付けられたベンチに座る。
促されるまま隣に座ってから、そういえばまだ昼食をとっていなかった事を思い出す。
仕方がない、ノアも一応反省しているようだし、ここは昼食代わりのパンで全部水に流そう。
差し出された袋の中からサンドイッチを手に取る。
そのまましばらく無言でパンを頬張っていたが、やがてノアが大きなため息をついて空を仰いだ。
「あー……やっと頭冷えてきた。お前の説教は怖いけど言い分は正しいんだよな、俺本当に馬鹿じゃん。ごめん」
「それはもういいって。ノアがちゃんと反省してるのはわかったしパンも美味しいから許したよ」
それでも気にするなら後で買ってきたお店も教えてよ、と付け加えると、ノアも困ったような笑顔で頷いた。
「ありがとな。俺さ、人に剣を向ける時は自己暗示っていうのか? 躊躇しないように戦闘だけに集中する癖があるんだよ。で、やり過ぎるとさっきみたいになる」
「……そうなんだ」
「普段は意識してセーブしてるんだけどな、まさか手合わせでやらかすとは思わなかったよ。それくらい本気になりかけてたって事だ、かなり強いよお前」
弱々しくノアが笑う。
躊躇しないように、か。
ノアがそうなってしまった理由は知っている。
まだハーヴェで暮らしていた頃、僕の部屋で酔い潰れた彼に、親しい人に手を下す事になったら躊躇するかと聞かれた事がある。
その時のノアは割り切れない感情と後悔で揺れていた。
明言こそしなかったが、その時着ていた上着から漂う血の臭いが、当時のノアの後悔の理由を物語っていた。
きっと今回のことも、彼なりに躊躇や後悔をしないために編み出した戦い方なのだろう。
僕からすればはた迷惑だけど、そのやり方を咎める気はない。
「君の癖はよくわかったけど、僕以外には絶対やるなよ。これが他の貴族の子相手だったら大事件になるからね」
「そうだな、こんな事やらかしたら相手次第じゃ物理的に首が飛ぶ。お説教とパンで済ませてくれるような心の広い貴族なんて冗談抜きでお前くらいだ」
「本当に洒落にならないし、その若さで首が飛んだらご両親も悲しむよ。家族仲が悪くないなら、ちゃんと五体満足で親孝行しなよ」
「してるしてる。いや、でも俺の年齢の半分しか生きてない奴にそれ言われるの、なんか変な感じだな」
苦笑しながらノアは二つ目のパンに食らいつく。
どうやら精神的にも落ち着いてきたみたいだ。大分いつもの調子が戻ってきている。
「まぁ、ノアなら心配ないだろうけどさ。まず本気を出すような手合わせなんて、僕くらいにしかやりそうにないし」
「確かにな、今回は純粋に俺がカイン=アンダーソンの本気を見てみたかったってのもあるな」
その意味ではノアの目的は達成している。
剣技において僕にこれ以上できることはない。それなりに強くはあるが、隠れた能力や才能もない。
正面からやり合って僕がノアに勝てるとすれば、それは入念に準備をした上で最高潮の幸運に恵まれた時だけだ。
「実力は出し切ったよ。つまりノアくんはその気ならいつでも僕の頭をかち割れると確認できたわけだ。良かったね?」
「被害者側から満面の笑顔で言われる棘だらけの言葉。結構こたえるわ」
「そう言いつつ僕の力量がこの程度で安心してるよね」
「あー……まぁな、これで戦闘力まで化け物だったらもうお前のこと人間と思えないもん」
それはさすがに失礼ではないだろうか。
能力値や弱点を参考に特殊アイテムでポイントの振り直しをすれば、一応今のノア相手になら一矢報いるくらいはできる。
まぁそれは一種のズルだから人間離れしているのは確かだろうけど。
「僕としては、戦場での本気じゃないとしても殺る気になってるノア相手に生き残れたなら及第点だよ。これ以上は望まないね」
「そこはいつか俺に勝ちたい、とかじゃないのか?」
「勝敗にはこだわらないし、僕はあくまで死ななければそれでいいよ。それに、仮に事故でも僕を殺しちゃったらノアは絶対に後悔するし、きっと泣いちゃうだろ? だからやっぱり死なない事が優先かな」
本人は覚えてないだろうけど、ノアは酔い潰れた夜……おそらく親しい相手を殺してしまった夜に、まだ八歳だった僕相手に縋りついて弱音を吐いてそれはもう酷く号泣している。
心を許した相手の死は、つらいものだ。
赤い血溜まりに沈む、つい先程まで笑っていた人の骸。
自分に向けられる、物言わぬ虚ろな瞳。
許して欲しいと乞うべき相手がどこにもいない苦痛。
目の前で死なれるのは、つらい事だから。ノアにそんな後悔はもうさせたくない。
もし何かの拍子に敵対したら、きっとノアは僕を殺せてしまうだろう。
でもそれまで抱いていた僕への親愛や友愛も捨てられはしない。
彼はそういう男だ。
「お前さ……」
「ん?」
「さっきの説教もだけどさ、お前がしてるのって自分じゃなくて俺の心配なんだよなぁ。変な奴だよ」
「そうだったかな?」
「そうだよ。手合わせの時も、普通は怖かったとか殺す気かとかさ、そういう文句を言うところだろ。あんな剣を向けられてたんだから」
言われてみれば確かにそうだ。
僕は内心では間違いなく怖かったし、殺意を向けられた事に対する不満だってあった。
でもノア本人がそれをちゃんと自覚しているから、僕が言う必要はないとも思っている。
それに、きっと僕はまだどこか今生の自分の命を軽く扱っている。
二度目なら死んでもそれは仕方がない事だと、冷めた視点から自分を見ている部分もあると思う。
だから自分よりも、大切な相手の心配を優先してしまうのだろう。
「お前もしかして俺の事大好きだろ」
「友人として、ならね」
「おや素直」
「別に捻くれる理由がないだろ。僕にとっては唯一無二だよ、君は」
「……そんな熱烈に口説かれたら照れるな。キスのひとつも返した方が良いか?」
「いらないし口説いてない。ところで僕の友人のノアくんは、この後時間はあるのかな?」
食べ終えたパンの袋をくしゃりと丸めてから立ち上がる。
この肩ではもう今日の訓練はできないだろう。
首を傾げるノアを尻目に、地面に落ちたままの木剣を片付けてから屋敷を指す。
「肩、診てくれるんだろ? せっかくだから寄って行ってよ、家まで来ておいて庭だけじゃ勿体ないだろ?」
食後のお茶も付けるよ、と言うとノアは心底おかしそうに笑った。
「俺、怪我をさせた子供にもてなされるのは二回目だ」
つられて僕も小さく吹き出す。
「僕も、怪我させてきた奴をもてなすのは二回目だよ」




