カインとノア 前編(2/3)
そうして、意を決して始めた手合わせは、最初の数手は確かにまともなものだった。気がする。
ほぼ独学の剣でどこまで通用するかと構えていたが、騎士に混じって訓練経験を積んだのが功を奏したのか、対人においてもそれなりに成果は出ていたらしい。
カンカン、と心地良い木剣のぶつかる音が真昼の庭に響く。
「結構やるじゃん」
「それはどうも」
最初はそんな、雑談も交えた打ち合いだった。
なのに。
ガンッ
大きな音を立てて、躱した木剣が固い地面を打ち据える。
僕では受け止めきれない強さで振るわれたそれは、手合わせで稽古をつける側が出していい強さではなかった。
何がきっかけだったのか。
数度打ち合ったあたりから、少しずつノアの様子がおかしくなっていった。
ノアの振る剣の軌道がどんどん鋭くなっていく。
まともに打ち合っていたはずが、急所を狙うような危険な攻撃に変わりつつある。
ひとつの物事に集中し過ぎると、人は一種のトランス状態に入るらしいが、それにしたってこれは限度がある。はっきり言って怖い。
足元を狙った斬撃を辛うじて受け流すと、続けざまに腕に向けられた剣をギリギリで躱す。
緊張から来る汗が顎を伝って落ちた。
受けて、躱して、飛び退いて。
途中からはもう防戦一方だ。
むしろ防戦できていることを褒めてほしい。
と、ノアの剣が妙な軌道を描いて足に向かう。
「……っ!?」
ガギンッ
木剣とは思えない盛大な音を立てながらも、膝への攻撃をなんとか受けきった。
(本気か? 今思い切り関節を砕きに来てたぞ)
続けざまの一撃も辛うじて躱し体勢を整えようと下がるのに合わせて、今度は頭部を狙って薙ぐような斬撃が飛んできた。
(いや待て待て待て。こんなの当たったら脳震盪じゃ済まない。まともに直撃すれば確実に眼球が潰れる!)
ガン、ガン、と重い連撃の音が耳元でギリギリで防いだ木剣越しに響く。
と同時に視界がぐるりと回った。
何が起きているかも判断できないまま咄嗟に転がるように受け身を取りながら飛び退くと、つい一瞬前まで転がっていた場所に勢いよく木剣が振り下ろされていた。
それを見てようやく足払いをかけられ追撃されそうになっていたと気付く。
顔を上げればノアは既に次の攻撃体勢に入っていた。全てにおいて速すぎる。
「ちょ、ノア待った!」
半ば悲鳴のような声で呼びかけるが、ノアには聞こえている様子もない。
(冗談じゃない。何が手合わせだ、こんなの完全に殺しに来ているじゃないか)
一撃でも当たれば、たとえ死ななくても僕の人生に確実に支障が出るだろう。
どのタイミングでスイッチが入ったのか、今のノアは仕事モードに近い状態なのかもしれない。
普段とは気配も表情も仕草も何もかもが違う。
寸止めしてくれるだろうなんて甘く考えていたら五体満足ではいられない。そう確信してしまう程度には、今のノアは本気の目をしていた。
もしかしたら手合わせ中という事実すら頭から抜けているかもしれない。
まずい。
このままでは受け流し回避するだけのスタミナが保たない。
勝ちに行くにしろ無傷のまま上手く負けるにしろ、短期決戦しか道はなさそうだった。
二度、三度と慎重に間合いを取りつつノアの剣を捌く。それだって一撃の重さに手が痺れてくる。
単純に筋力量の差を感じる。成人した現役の実戦要員の戦闘術と、十一歳の未成熟な独学剣術。そこに差がないわけがない。
(でも、何もしなかったらジリ貧だ)
覚悟を決めて剣を下段に構え直すと、グッと屈んでから一気に踏み込む。
今の僕がノアに対して何かできるとしたら、体の小ささを生かして死角をつく戦法だ。
それも一度きりの、博打に近いやり方だったが。
「……っ!」
こちらの動きに反応してノアの殺気が膨れ上がる。
対応が早い。
僕の動きに合わせるように彼の剣先が揺れ動く。
瞬間。
全身に怖気が走った。
気が付けば、僕は何を判断する間もなく半ば本能的に自分から転倒していた。
受け身を取る余裕もなく肩から落ちた衝撃で関節が悲鳴を上げる。
「うぐ……ぁっ!」
思わず漏れた声にピクリとノアが反応した。
その手も僅かな時間止まったように見える。
「ノア、ちょっとストップ。止まって!」
倒れたままの体勢で声を上げると、少し間をおいてノアは物騒な構えを解いた。
その顔からは先程までの殺気はなく、いつもの彼そのものだ。
ああ。やっぱりこれは途中から手合わせとか全部忘れて殺しに来てたのだろう。
「はぁ……やっと、正気に戻った……?」
「え? あっ」
息切れしながら視線を向けた先にいるノアは、一瞬だけ困惑気味な様子だったが、すぐに青褪めた顔で手にしていた木剣を地面に落とした。
「ぇ……や、その。えーと。大丈夫か?」
「大丈夫か、じゃないよ……っ」
転倒する直前、ノアは踏み込んだ僕の喉めがけて真っ直ぐに木剣を突いてきていた。
当たれば確実に貫かれていただろうそれを躱せたのは、ほとんど奇跡だった。
踏み込んだ相手の勢いに自分の突き技を合わせた殺人カウンター。子供相手になんて技を使うのか。
激しすぎる動きと緊張の連続だったからか、なかなか息が整わない。
地面に座り込んで呼吸を落ち着けていると無言でノアが背中をさすってくる。一応、悪いことをしたという自覚はあるらしい。
しばらく経ってようやく落ち着いてくると、ノアが気まずそうに立ち上がった。
「肩、後で診てやるから今日は無理するなよ」
「わかってるよ。それにしても、これが実戦なら死んでたかも。もう少し手加減してよ」
「……それは、お前が土壇場で無茶するからだ。手合わせだからって強引に踏み込む奴があるか。危うく殺すかと思っただろ、もう少し考えろよ」
一応苦言のつもりだったのに、気付かれないどころか何故か僕が文句を言われた。
ほう。
つまりノアは最後の一撃以外は自分の行動に正当性があるとでも言いたいのだろうか。しかも、しれっと危なかったのまで僕のせいにしてきた。
今の発言にはさすがにちょっと看過し難い。
「そっちがその気なら僕からも言わせてもらうよ。まず不可抗力なら危険な技でも使っていい、なんて思考は非常識にも程がある。これは喉を狙ったカウンターを入れるなんて選択をしたノアが全面的に悪いと思うね。何で人を殺すような技を使うんだよ、それは普段使いするような戦法じゃないだろう。そもそも前提として他の技もえげつないものばかりだったよ。そういう技を使うならもっと時と場所を選んでくれないかな」
「うっ、いや……最初は軽い気持ちだったんだよ。でもそっちが思ったより鬼気迫る感じだからつい本気になったんだぞ……って、あ」
言ってからノアはしまった、と言う表情になったがもう遅い。
そこまで言われてしまえば僕としても徹底抗戦の意思を見せざるを得ない。
「……。へえ、あぁそう。そこも僕のせいにするつもりなの? 途中からずっと急所ばかり狙ってきておいて? 致命傷じゃなくても相手の関節が砕けたら日常生活に支障が出るし、眼球が潰れたら視力を失うくらいはわかるよね? 僕との体格差や実力差を考えたら、自分の行動が大人げなかったのは自覚してる? 君の技量なら木剣でも人は簡単に死ぬよね? ノアくんは、これが殺し合いじゃなくて成長期も終わってない子供相手の手合わせだと、ちゃんと理解できてたのかな? そもそも、今ノアくんは子爵家の敷地に勝手に入り込んでる状況なんだよ? 不法侵入先の子供に取り返しのつかない怪我をさせたら困るのはそっちなのを忘れてる? 君はまず責任転嫁する前にしっかり反省して」
「め、めちゃくちゃ言ってくるじゃん。笑顔が怖……」
「当たり前だろ? 自分の行動をノアくんはよく思い返してみるといいんじゃないか? 危ないことをしたら小さな子供だって謝るくらいはできるけど、君はそれ以下なの? これ、僕に言われなきゃわからないのかな?」
「あー。それは、その……ごめんなさい。途中から全部ぶっとんで戦闘ハイになってました」
「せ、戦闘ハイ……」
何それ怖い。ランナーズハイとか執筆ハイのようなものだろうが物騒すぎる。




