森の魔獣と奇妙な魔女(2/2)
顔を上げた先。虚空から、布が生えていた。
その紐状の布はキマイラの四肢と口を拘束し、完全に動きを封じている。魔法なのか、魔道具なのか、それすらも不明だ。
『グレイプニール』
その言葉は知っていた。北欧神話に出てくるフェンリル狼を封じたとされる足枷、あるいは紐。
そんなもの『エディン・プリクエル』には存在しない。僕が把握していないアイテムがある事は稀に確認されていたが、それがシリーズの設定にはほとんど採用されていない北欧神話由来という事が妙に気になった。
「やっと捕まえたあ。襲われてたみたいだけど大丈夫かな少年……って、あれ。カイン君じゃない」
「えっ……えーと、どちら様でしょう?」
決してすっとぼけたわけではなく、本当に知らない人だった。
長い漆黒の髪を後ろでくくり、石のようなグレーの瞳でじっとこちらを見てくる女性。年齢は二十代前半くらいだろうか。美人だが、アルカイックスマイル的な表情のせいかどこか底知れない印象がある。
「あ、そっか。私達は初対面だっけ。それにしても君、ちょっとキャラ違くない?」
「キャラ……?」
不思議ちゃんなのかな、というくらい意味の分からない事を言って彼女は首を傾げる。初対面なのにキャラが違うとは一体なんなのか。
女性はグレイプニールに拘束されながらもがいているキマイラの毛並みを撫でると、キマイラから視線を外さないまま口を開く。
「まあいっか。ごめんね、こいつ、うちの研究棟から脱走した実験個体なんだ。ちゃんと回収するから許して?」
「あ……研究棟の方でしたか。いえ、僕も別に怪我とかしてませんから気にしないでください」
「ほんと? カイン君やっさしー。私の知ってるカイン君なら呆れつつ軽く罵倒してきそうなのに」
ケラケラと笑う女性。
『呆れつつ軽く罵倒してきそう』
僕にもそんな人物像には心当たりがある。それは僕ではなく『エディン・プリクエル』における本来の『カイン』の事だ。確かに育ちのあまり良くない彼ならそれくらいしそうだ。だけど何故、目の前にいる女性がそんな事を知っているのだろう。
聞き出す、べきなのだろうか。幸い魔力はほんの少しだが回復していた。
「『貴女は』……」
「あ、ごめんね。私、精神干渉とか効かない体質だから。確か魔眼の中でも隷属は消費魔力多い方でしょ、魔力の無駄遣いはやめときなよ」
「……貴女は、どうしてそんなに僕、というか『カイン』の事を知っているのですか」
緊張で握った手が汗ばんでいるのがわかる。
『隷属の魔眼』はリリスシリーズでもこの作品にしか存在しない、僕しか名前や効果を知らない能力だ。それにキャラとしての『カイン』を知る人間もいるわけがない。
前世でリリスシリーズのファンだったマリアですら、本来の『カイン』の性格なんて知らない。仮に、僕のように時任タイキが同人時代に出した設定を知っていたとしても、ここまでの情報は知っているはずがないのに。
彼女は一体何者なのか。
「ん。んん、ん?」
それまで軽いノリで話していた女性が、ふと僕の目をじっと凝視する。そして少し唸るように考えてから、やがて何かに納得したように大きく頷いた。
「あ、なるほど。君、カイン君だけどいつもとは中身が違うんだね。性格違うのもそういう事なら納得」
「……!」
「君も色々聞きたい事とかありそうだけど。とりあえず今日はキマイラを回収しちゃいたいからさ、今度改めてうちにおいでよ。話ならその時に聞くからさ」
すい、と女性が指を動かすと、それに同調するようにキマイラを拘束する紐も空中を移動する。檻に入れたり複数人で担ぐのではなく、そのまま浮かせて研究棟まで連れて帰るらしい。抵抗を諦めたらしいキマイラも、されるがままだ。
「話、ですか?」
「そ。私もゆっくり話がしたいし、思わせぶりな発言の答え合わせもしてあげられる。研究棟のユーディに呼ばれたって連絡してくれれば、いつでも対応するからね!」
「思わせぶりな自覚はあったんですね」
脱力しながらの僕の発言ににっこりと笑って、彼女……ユーディはぽいっと小さな紙片を宙へ放る。それは風もないのにふわりと優雅に舞って僕の手のひらの上に収まった。
『王立魔道研究所 所長補佐 ユーディ』
名刺と思しきその紙の所長補佐という表記には、しかし二重線が引かれていて、その下部には。
『ふたりのぺっと』
という、非常に反応に困る手書きの訂正がされていた。前世を含めてすら、僕史上トップレベルのキャラの濃さを感じる。僕に自称ペットの名刺を受け取れと?
そんな僕の困惑をよそに、ユーディはさっさと森の奥へと消えてしまった。
「あっ、ついて行けば一緒に出られたのに!」
そのことに気が付いて声を上げた頃には、もうユーディの影も形もなくなっていた。
「まぁ、いいか。しばらくは僕も動けそうにないし」
魔法の補助込みとは言え随分無茶な走りをしたからか、足に全く力が入らなかった。森のど真ん中で無防備ではあるが、しばらく休むしかないだろう。
「ユーディ、か」
手にした名刺に視線を落とす。
学園内で有名な謎多き女性の名だ、僕も名前と噂だけは知っていた。
美人で、変人で、奇人。
研究棟の黒真珠。
深淵の魔女。
王立魔道研究所所長と学園都市研究棟管理責任者の恋人、あるいはペット。
これが全部ひとりの女性を指す言葉なのだから恐ろしい。
「……変人ではあったな」
しかも、ろくでもない噂だと思っていたペットが、まさかの自称だったとは。
それに。あのテンションも、会話内容も、名刺も、森の中でキマイラに襲われていた子供を放置するその行動も、普通とは到底言えなかった。
すとん、とその場に座り込んで呆然と彼女が消えていった方を眺める。今日は色々ありすぎて、もう体も脳も全然働く気がしない。
脱力感と困惑と疲労で半ば放心状態だった僕が、捜索隊と半泣きのアベルによって保護されたのは、その三時間後の事だった。




