森の魔獣と奇妙な魔女(1/2)
「わ、香ばしくておいしく焼けましたね!」
「うん、美味しい。川魚の割に泥臭さがないし、脂の旨味があるからか意外と調味料がなくても何とかなるものなんだな」
のんびりと救援を待つうちに魚も焼けて、思ったよりもしっかりと美味しいそれに二人で笑顔になっていた。この場や状況が美味しく感じさせているのだろうか。
大自然の中で焚き火を挟んで胡坐をかいて。そんな状況は前世でもなかったけれど、案外悪いものではなかった。アベルも当然こんな経験はしたことがないのだろう、まるで初めてキャンプに連れてきてもらった子供のように楽しそうだ。
不謹慎だけど、この状況が楽しい。アベルの顔にはそうハッキリ書いてあったし、僕も多少はそんな表情になっているだろう。
現在進行形でたくさんの人間に心配と迷惑をかけている。マリアやジュードにセト、それに護衛の人達も僕達の生存こそ伝わっているだろうが気が気ではないだろう。それに申し訳なさは感じている。
それなのに。そんな状況なのに。楽しいと感じてしまう。三十六までの人生を記憶している自分が、まるで本当に子供であるかのように。
「先輩」
「ん?」
「こんなに楽しいのは初めてです」
「……そっか。良かった」
事故からこんな大事になってしまったけど、アベルが楽しいのなら結果的には良かったのかもしれない。お金も権力もあるけれど自由はなく寂しい思いをしていた彼が、楽しいと笑った。それは腹違いの兄として、そして……前世の『エディン・プリクエル』に思い入れのある身として、色々な意味で喜ばしかった。
これが僕のエゴだったとしても周りの人間には幸せになってほしい。僕のせいで不幸になる人間は、一人でも少ない方がいい。
その後、簡単な食事も終えて、煙が消えないように焚き火の管理をしていると、不意に遠くで葉のこすれ合う音がした。
川のせせらぎしか聞こえないこの空間で、ガサリ、ガサリと何度も。
次いで、少し遠くで鳥が一斉に飛び立つのが見えた。
「……っ」
「野生動物かな、アベルもなるべく動かないでいて」
それまでの和やかな空気が一変し、緊張感が辺りを包む。
この森にいるのは肉食だとしても魔獣化していない動物のはずだ。凶暴な熊や群れる狼だったら困るけど、猪くらいなら魔法で撃退できる。
じっと木々の隙間や茂みに注視していると、遠くに大きな影が動いているのが見えた。
……あれは。
「ま、魔獣……っ」
アベルが小声で悲鳴を上げる。僕もあまりに予想外の状況に、一瞬思考が止まってしまった。
チラリと見えただけだったが、見間違えようのない独特なシルエット。
獅子頭に山羊の胴と蛇の尾。ファンタジーな世界観のゲームを好んでプレイした人なら一度は目にしたことのあるだろう、ギリシャ神話由来のモンスター。
キマイラ。
それはリリスシリーズの魔獣でも中盤以降のマップにしか現れる事のない高レベルの魔獣だった。
(マリアが主人公の場合、こいつの配置場所は後半の北東マップのはずだ。こんな北区画の森に出るような魔獣じゃないぞ)
仮に僕が主人公でも、キマイラは南部地下遺跡にしか出ない。しかもこの北区画の森は序盤のマップだ。ゲームなら適正レベル差も三十は下らない。
キマイラは中型とは言え強く、レベルを上げていても剣を装備していない今の僕が魔法だけで倒すのは無理だ。逃げるにしても、足を負傷しているアベルを連れて逃げ切れるような相手じゃないだろう。
今はまだ気付かれていないがそれも時間の問題だ。なんせ僕達は今ここで狼煙を上げているし魚も焼いていた、アベルの怪我もあるし獣がそれらの臭いに気付かないはずがない。
「アベル、君は現時点で何の魔法なら使える?」
「防御壁と初級の水、あと解毒です」
「じゃあ君は襲われた時を想定して、自分を守るようにいつでも防御壁を展開できるようにしておいて。僕はなるべくあれを引き付けるように動くから。それで救援が来るまでの時間稼ぎくらいにはなる」
「え、先輩……!?」
「君は足を怪我してるし動けないだろう? ちょっと行ってくるね、ここで大人しくしてれば大丈夫だから」
そう言って返事を待たずに立ち上がってアベルから離れた。そしてなるべく足音を立てないように森の中へと走り出す。
おそらくだが、アベルが通信を行ったタイミングから考えて、救援が来るまでそう時間はかからないだろう。だから彼らが到着するまでの間、負傷したアベルにキマイラの意識を向けさせないようにする。それなら今の僕にもできるはずだ。その後どうするかは、まあその時になってから考えよう。余程の下手を打たなければ死にはしないはずだ。
キマイラから三十メートル程度離れた茂みに身を隠して、じっと息をひそめる。そのまま立ち去るならそれで構わないが、少しでもアベルに気付く素振りをしたら、間近で音を立てて引き付けよう。
キマイラの特徴はその多頭から来る複数回行動だ。炎のブレス、蛇毒、詠唱魔法、咆哮、爪による物理攻撃。そのいずれかがターンごとに一から三回程度繰り出される。現実の戦闘でどう落とし込まれるかは知らないが厄介で僕一人の手に負えない事だけは確かだ。
キマイラは近くに獲物や外敵がいないと判断しているのか、ゆったりとした足取りで森の中を闊歩している。
ゲームではある程度の準備をして挑むから苦戦はしても絶望までは感じない魔獣でも、実際こうして一人で目の当たりにしているとその威圧感に足が竦む。ここが現実で、相手が自分を殺せる熊や獅子よりも遥かに獰猛な存在だと実感する。
(ああ、怖いな)
そんな感情がまだ自分にもあったのかと驚かされる。ゲーム展開に対する緊張感に近い怖さとはまた別種の、間近に迫る本能的な死の恐怖。どうやら一度死んだ経験があるからと言って、簡単に生存本能は麻痺したりしないらしい。
いつ死んでも諦めがつく、だけど死ぬことは怖い。矛盾した思考に苦笑が漏れた。
そろりと慎重に迂回して、キマイラを挟んでアベルのいる川原の反対側に移動したその時、何かを感じたのかキマイラが川の方へと意識を向けようとした。
まだ駄目だ、今アベルの存在に気付かれるわけにはいかない。
「……っ」
石を拾うと半ば反射的にキマイラに向けて投擲し、それと同時にガサガサとわざと音を立てながら立ち上がった。大丈夫、まだギリギリでキマイラの攻撃範囲には入っていないはずだ。
狙い通りに石は尾である蛇に当たり、キマイラは怒りに唸り声を上げながらこちらを振り返った。
完全に狙いを定められた。それを確信した僕は風の魔法を足に纏わせながら、キマイラに背を向けて地面を蹴る。
背後から物凄い咆哮が響き渡った。間近で聞いてしまうと高確率で麻痺が入るという、ソロで対峙した時には特に命取りになる厄介極まりない技だ。そもそもこのゲームにソロ行動なんてほとんどないし、ソロ行動時のエンカウント率や敵の強さはかなり緩めに設定されていたはずだ。こんな魔物狩猟ゲームみたいな対峙はしない。もはや別ゲームだ。
そう頭の中で言葉を並べることでパニックに陥るのを堪えつつ、グッと恐怖に竦みそうになる足を魔法で無理矢理動かして走る。風魔法を使っていて助かった。範囲外で麻痺しなくても、あれは普通に体が緊張で動かなくなってしまうものだ。
ドスドスとおおよそネコ科らしからぬ凶悪な足音を立てて、キマイラが迫ってくる。魔法の補助があるとはいえ、体の大きさと根本的なスピードが人間とは段違いだ。
このままでは一分と経たずに追いつかれる。それは非常にまずい。
覚悟を決める間もなかった。僕はくるりと反転して、勢いのままにキマイラの懐に飛び込んだ。突然の行動に対応できていないキマイラと、しっかりと目を合わせる。
「『止まれ』!」
魔眼にありったけの魔力を通して命令する。
さすがに人間のように完全停止とはいかなかった。それでもキマイラは唸りながらも僅かに動きを鈍らせる。ゲームシステム的には魔獣に魔眼はかけられなかったが、魔獣にも知能は備わっているからか、実際には多少は効くらしい。
その隙にもう一度距離を開けて軽く息を整える。魔眼で動きを止めている間に水魔法での窒息を狙おうとも思ったのだが、動きながらではそこまでの隙は作れなかった。そもそも複数の頭部を同時に窒息させるのは僕には無理だ。
風魔法を使いながら走っては魔眼で足止めをし、呼吸が整ったらまた走って逃げる。その繰り返し。
「はっ、はっ……はぁっ」
呼吸がつらい。心臓が痛いくらいに鼓動を刻む。ソロでの魔獣駆除はそれなりにしてきたけど、倒せる相手としか対峙したことはないし、ここまで危険な戦闘はしたことがなかった。
これは戦闘といっても基本は逃げの一手だ。終わりの見えない鬼ごっこは思っていたよりもスタミナを削る。
また少し逃げてから、追いついてきたキマイラにもう一度魔眼をかける。
本来、魔眼というものはリリスシリーズの根幹にかかわる能力で、極めれば世界すら改変できる公式の最強能力だ。それだけに魔力の消費も激しく、使えるとしてもあと一回が限界だろう。
汗をぬぐい、息を整える。
キマイラが再び動き出そうとする気配を感じて、僕は更に森の奥へと走る。迷子になってしまう危険は大いにあったが、僕の体力が続くうちになるべくアベルから引き離しておきたかった。その後はもう、なるようにしかならない。
何度か足止めをされたせいか、キマイラは草木をなぎ倒して怒りを顕わにしながら追いかけてくる。もはや迫り来るダンプカー、いや大型トラックから逃げている気分だ。
「『止ま』……っ」
もう一度目を合わせてそう言いかけたが、そこで違和感を覚えた。魔眼に魔力が通り切らない……発動するための魔力が不足している。
「……っ!」
そんなこちらの事情でキマイラが止まってくれるわけがなく、目の前でその凶悪な口を開いた。嚙みちぎるのか、炎のブレスか。どちらにせよもう避ける事も出来なかった。
僕の二度目の生は、どうやらここまでらしい。
ああ、結局僕は無責任にこの世界から消えてしまうのか。せめて謝罪くらいはしておきたかったな。
そう、諦めて目を閉じようとした、その時。
「『グレイプニール』!」
どこからともなく聞こえてきた、鋭い女性の声。
そして。
一秒後に自分を殺していたはずのキマイラは、どこからか伸びてきた布によって、その動きを完全に封じられていた。




