[番外編]若きノアとの出会い(1/2)
カインが隣国に滞在していた頃の過去編です。
カイン=アンダーソン。もうすぐ七歳の六歳児。
生まれた時から日本人男性としての記憶を持ち、この世界が人気ゲームの前日譚『エディン・プリクエル』の世界と気付いた時から、僕はバッドエンドの回避に向けて全力で動いていた。
王家の落胤として生まれて生後間もない頃から命を狙われた僕は、王城から僕を連れて逃げ出した母と死に分かれた。それでも優しかった母の愛に報いるために生き続けようと誓ったのだ。
孤児院に拾われ、刺客の目を誤魔化しながら『カイン』の生きた痕跡を消し、そしてシナリオには無い「貴族の家の養子となる」選択を経て、僕は完全に自分のシナリオから抜け出すことに成功している。
そして未だ幼児とカテゴライズされるような年齢の僕は今、引き取ってくれたアンダーソン夫妻の元を離れ、隣国のハーヴェで一人暮らしをしていた。
一人とは言っても僕はまだ六歳。当たり前だが身の回りの事を全てこなせるほど肉体的には成熟していない。なので、夫妻に提案されるまま僕は街でも治安の良い立地にある、それなりにしっかりとした宿屋の一室を長期で借りて住んでいた。
これは形態は違うが一種の留学、あるいはホームステイのようなもので、この国について滞在を通して学びつつ、更に週の何日かはこの一帯を治める領主の屋敷で社交を学ばせてもらえる事になっている。領主であるノアイユ伯爵はアンダーソン家と交流があり、今回の疑似留学はその伝手を頼った形だ。将来、家を継ぐ可能性がある以上は、こういった事を学ぶ機会や人脈を作れるチャンスは僕にとってはありがたい。幸運にも、ハーヴェの有力な貴族であるブランシャール家の当主にも僕は気に入られていた。
予定の空いた日は、領主邸の隣にある騎士宿舎の敷地で、待機中の騎士達に混じって基礎訓練をさせてもらっている。
着実に目的を果たせているという意味では、とても充実した日々を送っている。
そして本来の目的も果たされていた。僕はここまで一度も『エディン・プリクエル』のネームドキャラクターには出会わなかったし、訓練や社交も問題なくこなしていた。
順調。
全て順調だった。その日までは。
その日の僕はいつも通り騎士宿舎での訓練を終え、さて夕食をどうしようかと暢気に考えながら、まだ明るい街の大通りをのんびりと歩いていた。治安の良いエリアなので特に周囲を気にせず、悪く言えば完全に気を抜いていたのだ。
そして。
「うわっ」
ドン、と何かにぶつかる大きな衝撃と共に、盛大に転倒した。
街で人とぶつかる事は然程珍しくもないだろう。それで足を捻り転んだところを誰かに助け起こされる事も、まぁなくはないだろう。
でも。
「大丈夫か少年? 悪いな前見てなかったわ」
その『誰か』が、自分が一方的によく知る人間である確率とはどれほどのものか。自分を殺す可能性を持つ相手である確率は。
心配そうに、突き飛ばしてしまった僕を見下ろす影。
(嘘だろ……)
転倒した際に捻った足をさすりながら心の中で呟く。
この事態は完全に想定外だった。
「少年?」
「あ、うん。すみません僕もよそ見をしてました」
動揺は、隠せていただろうか。自分の正体は悟られていなかっただろうか。今にも顔が引き攣りそうになるのを堪えながら男を見上げた。
年の頃は二十歳手前くらいだろうか。少しくすんだ長めの金髪を後ろで軽く括っている、身なりもそれなりに悪くはない人当たりの良さそうな顔つきの青年。
(この男を、僕は知っている)
青年の名はノア。ゲーム『エディン・プリクエル』本編において、女主人公側のストーリーに登場するはずの、メインキャラクターの一人だった。
表向きには商家の跡取り息子、本職は王家直属の諜報員。これまで散々僕の存在を嗅ぎまわっていた諜報部隊に所属している人間で、ある意味で彼はその存在から天敵ともいえる。
ゲーム上の『カイン』に関わるストーリーに出てくる彼は王家側の勢力であり、明確に反体制派として動く『カイン』とは敵対するキャラクターだった。それが今、ごく普通の一般人の顔をして接触してきた。あまりにも唐突で、あまりにも意外な出会いに偶然なのか意図的かの判断ができない。だが見た限りでは、少なくともノアが自分の正体に気付いている様子はなかった。
このまま何気なく立ち去れば、それは良くある日々のワンシーンになって忘れ去られる。そう判断して立ち上がろうとするが。
「……っ」
軽く体重をかけるだけで足首に激痛が走った。見下ろした先では捻った患部が青黒く変色を始めていて、これは、逃走は不可能だろう。まぁ、この状況でいきなり逃げ出すのもそれはそれで怪しすぎるし、諦めるしかない。
僕の視線を追うように足元を見たノアも、同じように顔を顰めた。
「結構盛大に捻ったな、これはかなり腫れるぞ。立てないだろうし家まで送るよ、少年の名前は?」
「そんな気にしなくて大丈夫ですよ。少し休んだら自力で帰りますから」
「でも少年、これは歩くのもキツいだろ。こういう時はお兄さんに甘えておいた方がいいぞー」
気さくなお兄さん、といった言葉が似合う笑顔で提案するノアの真意は読めない。直感を信じるならば今のノアは完全に善意で動いている。僕の正体なんて思いつきもしないしただお節介を焼いているだけ。そのはずだが。
「遠慮しておきます、その言葉と気遣いだけで十分だよ。ありがとうお兄さん」
「……え、俺もしかして警戒されてる? なんで?」
「いやなんでって。子供が知らない大人にホイホイついて行くのは危険だし、多少は警戒するのが普通だよ。お兄さん一体どんな治安の良い街から来たの。平和ボケしてる?」
「うわ辛辣」
ノアの反応にしまった、と内心で天を仰ぐ。咄嗟に口を突いて出た言葉とは言え、初対面の相手に今のは流石に暴言が過ぎた。彼の態度からすると声をかけてくれたのは純粋な善意だったのだから、もっと当たり障りない返答で受け流せば良かったのに。
幸い、苦笑しているノアは怒ったりはしていないようだったが、そのまま諦めて立ち去ったりする気配もない。しかも面白いなお前、と笑いかけられた。誰が面白い男だ。あまり興味を持たないで欲しい。
「大人って言っても俺まだ成人したての十八歳なんだけどな。でもまあ、おじさんじゃなくてお兄さん呼びなのは好印象だぞ少年」
「別にお兄さんに好印象でも……それと怪我は本当に気にしなくていいよ。後でちゃんと自分で処置できるから」
「そうか? じゃあせめて応急手当くらいはさせてくれよ」
「え、ちょっ!?」
返事をする前にひょい、と抱えられて道の脇へと運ばれる。一瞬本気で驚いたけど、特に言葉以上の他意はなさそうだった。
しかし、これはちょっとばかり強引すぎる。
お人好しでお節介。確かにノアはそんな設定だったが、今は有難迷惑以外の何物でもない。ないが、拒否できる材料が特に思いつかないのもまた事実だった。
「大丈夫だって、悪いようにはしないからさ」
「……うん、わかったよ。お世話になります。でも急に抱えたりしたら人攫いの口実かと勘違いするから、なるべくならやめて欲しいな」
「こんな往来で人攫いはしないだろ普通」
「うん、そうかもね。それに、攫うなら僕を休ませるとか適当な口実を作って、そのまま人気のない場所まで連れていく感じになるか。抱き上げた時も口を塞いだり自由を奪おうとする素振りは無かったし、仮に殺すつもりなら隙を見て物陰に引き込めば事は済むから声かけなんて手間もいらない。確かにお兄さんはそういう事をする気配はなかったね」
「え、お前俺のそういうとこ見てたの? 真顔で怖いことサラッと言うなよ……俺が平和ボケって言うならお前は治安が悪すぎる」
言われてみればその通りだった。ここは比較的治安の良い街の、しかも明るい大通りだ。そこまで生死に敏感になるような場所ではない。どうも僕は『カインとノアが敵対関係にある』というゲームの設定に引きずられているのかもしれない。
「たとえば、の話だよ。僕だってお兄さんの善意くらいちゃんとわかってるつもりだよ。ありがとう、それと過剰に身構えてごめん。実はかなり痛くてすぐには歩けそうになかったんだ」
「そんなの見りゃわかる、本当は泣くほど痛いんじゃないのか? 少年はちょっと痩せ我慢が上手過ぎ。あ、でもお前笑うと結構可愛いな。将来が楽しみだ」
「……え。こんな幼い男児に対して出てくる、流れるような口説き文句。やっぱりお兄さんは不審者寄りの人?」
「別にいいだろ、可愛いくらい言わせろって。実際可愛い顔立ちしてるだろお前」
軽口と共に地面に下ろされる。そして腰に下げたバッグを脇に置くと、ノアは手慣れた様子でテーピングを始めた。
いつの間にか周囲に広げられた応急処置セットには傷薬をはじめ数種類の解毒薬や気付薬、精神異常対策と思われる鎮静剤などの瓶がずらりと並んでいる。これを常時携帯していてカタギの若者は無理があるな、と視界の端で観察しつつノアの手元を眺める。
「本当ごめんな。こんな小さい足なのに毒々しい色に腫れて、かなり痛そうだ……って、ん? ところで少年、お前何歳?」
「……。六歳、もう少しで七歳だけど」
「えっマジかよ本当に幼いな。その割にしっかりしてるなぁ。じゃなくて。その年齢にしてはお前、かなり体を鍛えてるよな。剣術……いや体術か? これって誰かに師事してるのか?」
ノアが確認するようにスッと足回りの筋肉をひと撫でする。
「いや、僕がやってるのは剣術だしほとんど独学だよ。誰にも師事はしてないけど、今は騎士宿舎に通って基礎訓練に混ぜてもらってる」
「はー。独学、独学ね。それでこの筋肉の付き方か。それは一人で鍛えてるって事か? 何歳から? 誰かに誘われて? 目的は?」
「始めたのは五、いや四歳からかな、こんな年齢から鍛錬に付き合ってくれる奇特な友達なんて僕にはいないよ。というかちょっと待って。僕なんで尋問されてるの」
「……あ。えーと、いや筋肉の付き方がすげー綺麗だったからつい気になって、な。ははは」
子供が相手だからと完全に油断していたのか、ノアはあからさまに動揺した笑いを返してくる。
特に不都合なこともないから質問に答えていたけど、まさか本当に尋問のつもりとか、普通は思わないだろう。
しかも、ただの筋肉の付き方で何かを疑われていたらきりがない。自然、表情が険しくなる。
「そんな顔するなよ、な? これは親睦を深めようとした雑談だって」
「親睦、ね。お兄さんが初対面の子供のプライベートを根掘り葉掘り聞いてくるような、すごく失礼な人だって言うのは今ので良くわかったかな」
「ほ、ほんと誤解だって。いやぁ、それにしても腕も体も綺麗に筋肉付いてるな。おぉ、上半身も中々……すげ、これ六歳のバランスじゃないぞ。こっちも将来が楽しみになるなあ……」
「ねえ。お兄さん」
「は、はいっ」
意識せず低くなってしまった声に、ノアがびくりと震える。
「あのさ。話を誤魔化そうとするだけならまだしも、人のシャツに手を突っ込んで撫で回すのはやめてくれないかな。これ、失礼どころか変質者の行動だよね? 患部と関係ないところまで触るのなら今すぐ人を呼ぶけど、もしかしてお兄さんは社会的に死にたいの?」
「いやちょっとそれはほんと待ってくれ、これっぽっちもやましい気持ちはないから! ごめん、謝るから叫んだりするのはやめてくれな? こんな子供に手を出したと思われるのは流石に外聞が悪すぎる」
やましい気持ちがあったらなお悪いだろう。別にノアがペドフィリアだとは疑ってはいない。それでも、セクハラだろうが筋肉量の把握だろうが、男に素肌を撫でまわされるのは本意ではない。
「なんで僕は成人男性に怪我させられた上に足や胸をまさぐられてるんだろうね」
「そこだけ抜き出すと本当に俺が変態みたいだからやめてくれ」
「初対面の僕にはお兄さんが変態じゃないとは断言できないよ」
「まだ疑われてたのかよ」
ガクリと肩を落とす姿に思わず吹き出しそうになる。
もちろんノアがそんな変質的な人間じゃない事は知っているし、仕事さえ絡まなければただの好青年だという事もわかっていた。言葉ほど起こってもいなければ警戒もしていない。これは単に、僕なりのちょっとした意趣返しだ。
「こんなに無遠慮に触られたら疑いもするんじゃないかな。もしかして応急処置してくれてたのも触る口実だったの? 妙に手馴れてたよね」
「違う違う待ってくれよ本当そんなつもりじゃ……なんか、お前全体的に当たりが強くないか?」
「っふ、ふふ。それは、まぁ。打てば響くから。つい面白くて」
「えっ? あ、えぇ……もしかしてそれ全部わざとかよ」
そこでようやく目の前の子供に遊ばれてると気付いたノアは情けない声を上げた。仕返しとは言え、さすがにこれ以上いじめたら可哀想だろう。
正直なところ、ノアとは今でもシナリオ的に関わりたくないし言動はいちいち失礼だけど、揶揄う分には面白かった。そもそも立場関係なくひとりの人間としてならば、ノアとは良い関係になれると思う。何というか、職場の仲間とじゃれ合っていた頃を思い出す。
「あはは、ごめん。ちょっと意地悪だったね。さっきも言ったけど、お兄さんの善意はちゃんと伝わってるよ」
「なんかお前といると調子狂うな……よし、応急処置終わったぞ。あとしばらく無理は禁物だ」
「うん、お世話になりました。ありがとうお兄さん。これなら無理しなければ歩いて帰れそうだよ」
痛みが消えたわけではないが、きつめに固定された足は宿に帰るまで我慢できる程度にはなっていた。
じゃあな、と手を振るノアに軽く会釈をして帰路につく。その性格からもう少し付きまとわれるかとも思ったが、ノアは意外にも深追いしては来なかった。
(このまま縁が切れてくれれば良いんだけど。そんな事はなさそうな気がするな)
ゲーム世界だからというわけではないが、この出会いに何かのフラグめいたものを感じる。敵か味方かはさておき、ノアとは再会することになる気がした。
……。
……とは、確かに思っていたのだが。
「お、また会ったな少年!」
「……どうも」
この間わずか数日。偶然と呼ぶにはあまりにも無理のあるタイミングで、再びノアは僕の前に姿を現したのだった。




