約束
今回、会話の中に家庭環境や虐待について言及するシーンがあるので苦手な方はご注意ください。
「楽しかったなぁ」
夕食会が終わり、ふらりと立ち寄った広間のバルコニーで手摺にもたれながら夜空を見上げて呟いた。
こんな気持ちになったのはいつぶりだろう。今なら嫌なことも全て忘れてしまいそうだ。
……それが自分の心の隅にある罪悪感を刺激していることは自覚していたが、今はこの楽しい気持ちに浸っていたかった。
「カイン、こんなところにいたんだ」
「うん。暗いけど足元は大丈夫?」
段差の前でそっと手を添えると、マリアを手摺の近くへ誘導する。
「夕食会、楽しかったね」
「そうだね。あんなに笑ったのはこっちに来てから初めてかもしれないな」
「そうだったんだ」
「ノアは、良い家族に恵まれたんだな」
ふふ、と笑みを漏らしていると、マリアは少し不思議そうにこちらを覗き込んできた。
「もしかして、カインは今のご両親と仲良くないの?」
「ん……仲は良いと思うよ。でも僕は養子だからね、どうしても実の親子とはまた関係が違ってくるかな」
するりと息を吐くように上辺だけの言葉を吐き出した。実の親子の関係なんて、知らないくせに。
養子だから、なんていうのは言い訳にすぎないと自分でもわかっている。
「じゃあ前世では? そう言えばカインって兄弟はいたの?」
マリアが無邪気な顔で聞いてくる。
僕は特段気にしてはいないけど、マリアにこれを話すべきかは悩むところだ。聞けば余計な事を考えさせてしまうだろう。
普段なら、きっとはぐらかすか、当たり障りのない言い方をしていたはずだ。でも今の僕は楽しさで少し口が軽くなってしまっていたらしい。
「確か弟が二人と、妹が一人……だったかな。そう聞いてるよ」
「……聞いてる?」
「会ったことはないんだ。中学生の頃かな、人伝に弟や妹がいるって知ったのは」
みるみる顔色を悪くしていくマリアを見て、ようやく自分は話す内容を間違えたのだと気が付いた。とはいえ僕からすればそう深刻な話題ではないのも事実だ。
「ごめんカイン。ちょっと複雑な家庭だったんだね」
「別にそう複雑でもないよ。前世で母親だった人はいつからか家に帰らなくなってたし、それから十年くらい過ぎた頃に親戚から兄弟が増えてたらしい事を知らされただけだからね」
さすがに驚きはしたけれど、いつの間にか顔も知らない男と結婚して子供を作ってたなんて、突飛すぎて当時はショックすら受けなかった。と思う。
よくやるなぁ……と開いた口が塞がらなかったのは確かだけど。
「……カインの過去、ちょっと重いよ」
「そう?」
かなり特殊な事例だとは思うけど、当事者からするとそこまで重いとは感じない。悪意をぶつけられたことも、暴力を受けたこともない。徹底的にいなかったことにされただけだ。
……幼い頃は、確かに傷付いたこともあったのかもしれないけど。もうそんなことはとっくに忘れている。
「じゃあ、カインはお父さんと二人暮らしだったんだね」
「いや。父親には会ったこともない……というか多分、母親だった人も誰が僕の父親かなんて知らなかったんじゃないかな」
『父親もわからない子なんて愛せるわけがない』
『ちゃんとお金は出してるんだから、これは虐待なんかじゃない』
そう言っていたらしい、と後に親戚の人達の会話を盗み聞きして知った。
うん。そうは言っても世間的には虐待だろうね。あれは誰がどう見たって育児放棄だった。
「待って待って、重い重い重い」
「重くない重くない、高校で友達と持ちネタにしてたくらいの笑い話だよ」
「えぇ……」
急にそんな激重な過去を出してこないで……としゃがみ込むマリアの頭を慰めるように撫でた。
そんなドン引きしなくてもいいじゃないか。実際笑い話で済んでいたし、ブラックジョークが好きだったりする高校生のノリなんてそんなものだよ。
「えーと、えーと。シングルマザーだったお母さんが蒸発して、その十年後くらいに、実は弟と妹ができてました。って急に知ったってこと……それ子供の頃の話だよね?」
「そうそう。僕はあまり覚えてないけど三歳くらいの頃かな。ひとまず家賃と生活費だけは毎月玄関に置かれてたから、高校を出るまでは母親名義のアパートで一人暮らし。卒業後は独立して引っ越したよ。結局弟や妹は最後まで顔も名前も知らなかったから、実質他人みたいなものだね」
「突っ込みが追い付かないくらいとくしゅすぎる」
「あはは、一気に聞くとそう感じるかもね。でも母方の実家の人達は手厚く援助してくれてたし、周囲の人達もみんな優しくしてくれたから、そうかわいそうな感じの生い立ちでもないんだ」
逆に言えば、祖母や叔母達がいなければ僕は違う人生を生きていたのだろう。学費を出せずに進学を諦めていた僕を気遣って、特待生制度のある高校を紹介してくれた中学時代の担任教師にも頭が上がらない。
前世も今も、僕は誰かの好意と厚意で生かされている。
「まぁ、だからさ。深刻に考えないでよ。今だってノアとご両親のやりとりを見てると『普通の家族』ってきっとこんな感じなんだろうな、とは思ったけど。そこまで羨ましいとは思わなかったし」
お互いに遠慮がなくて、でも信頼と慈しみ合う心はちゃんとある関係。あれは、僕の中には存在しない距離感だった。羨ましさなんて感じようがない。
なんせ、前世では三十六歳まで生きたんだ。子供時代の境遇への感情なんてとっくに忘れて都会で暮らしていたし、何なら一人で生活することが染みついてしまっていた。こうして転生した後も、誰かと暮らすことに未だ違和感があるくらいだ。
「まぁでも、ああいう家族に囲まれて生きられるのが、いわゆるハッピーエンドってやつなのかもね」
手摺に寄りかかって、満天の星空を仰ぎ見る。
遠い、遠い無数のきらめき。
「ハッピーエンド……」
「そう。暖かい家族といつまでも幸せに暮らしましたとさ。ってやつだね」
ゲーム的には恋が成就したり、困難に打ち勝つ展開をそう呼ぶのだろうけど。ここは世界観こそゲームでも、現実だ。死ぬ瞬間、人生のエンディングが幸福である事こそがハッピーエンドだろう。
僕もマリアも、年齢を考えれば天寿を全うしたとは決して言えない前世だった。
だからこそ、マリアが転生した子と知ってからは、彼女にバッドエンド回避に限らずハッピーエンドを迎えてほしいとずっと思っている。
『どんな大変なことがあっても、最後に迎えるのはハッピーエンドが良いじゃないですか』
いつか、前世で聞いた言葉。
それは僕の中で今も強く残っていたし、それはマリアにこそふさわしい言葉だとも思う。
「僕は、それをこの目で見てみたいのかもしれないな」
知りたい、見てみたい。僕が思いつきもしないような、幸福なハッピーエンドを。
ここがシナリオライター・時任タイキが生み出した悲しい結末の溢れる世界だとしても、それでもハッピーエンドは訪れるのだと、誰かに証明してほしい。
「じゃあ、私が叶えてあげる」
「え?」
「私が、この世界の誰よりも幸せになって見せるから。だからカインはそれを隣で見守っててよ」
カインがびっくりするくらい幸せになるから、とマリアが笑う。
満天の星を背負って笑うマリアは、見た目の愛らしさとは関係なく煌めいて見えた。この子が言うと、本当に実現しそうな気持になるから不思議だ。
「それは、楽しみだな」
「でしょー」
「じゃあ、それを見せてもらう報酬の前払いをしておこうかな」
「?」
そっとマリアの頬に手を触れた。不思議そうにしている顔は何とも無防備で、これで僕が同年代の不埒な男だったらどうするんだと言いたくなるのをぐっとこらえた。
そして、あらかじめ用意していたそれを、マリアの顔にかけてあげる。
「どう?」
「これ、眼鏡……でも私の視力は……え、どうして?」
ぽかんと口を開けて、マリアは不思議そうにあたりを見回す。
大きく目を見開いたマリアの表情は驚きと興奮に満ちていた。
「ねえカイン、この眼鏡は何。どうして『見える』の!?」
「これは大気中の魔力を吸収して魔眼に直接補充するように作られた、魔道具職人の技術が詰まった眼鏡だよ。これならマリアも普通に生活できるくらいには見えるかな」
「うん、凄いよ。マリアとして生まれてからこんなに世界が明るく見えたのは初めて! あ、でも月は見えても星までは見えないんだね」
そう。流石に星まで見えるまでの魔力は大気中からは得られなかった。
ノアに頼み込んで魔眼に精通した腕利きの魔道具職人を紹介してもらって、そこから職人とあれこれ案を出しながら完成したのがこの眼鏡だ。
「じゃあ、いつか星も見えるようにしてあげるよ。僕がびっくりするくらい君が幸せになるなら、それくらいの願いは叶わないと」
「うん、約束だよ!」
「約束だね」
僕は彼女が幸せになるところが見たい。視力も戻って、バッドエンドもなくなって、心に何の憂いもなく幸せになるマリアが見てみたい。
そのためならきっと、僕はなんだってできるだろう。
冬の冷たい星空の下、だけど心はとてもぽかぽかと温かかった。
その後「人んちのバルコニーでいつまでいちゃついてる気だよ」とムスッとした顔のノアに促されて僕達は家の中へと戻っていった。
この冬期休暇が終わってしばらくすれば僕達は二年生になり、いよいよ『エディン・プリクエル』の登場人物たちが全員揃うことになる。
物語はここからどう動いてくのだろう。できる事なら平穏に、大きな事件もなく時が過ぎていくことを願う。
いつか、あの星空をマリアと見上げられる日が来ますように。




