異世界転生は意外と身近に?(1/4)
アクシデントというものは、得てして油断した時にやって来るものだ。
「……」
放課後の教室。
気の抜けた生徒たちの喧騒が満たす中、声も無く互いを見つめ合う僕とマリア。
珍妙な学園行事を体験した以外にはこれといって変化のなかった日々に、僕はすっかり油断しきっていた。
この微睡むような穏やかな日常が長く続いていくのだと、根拠もなく思ってしまっていたんだ。
学園に入学して約半年。
季節は秋へと移ろい、校庭の木々も涼やかな緑から温かみのある橙へとその色を変えていた。
この頃は一年生もすっかり学園に慣れ、放課後は部活動をはじめ皆思い思いの時間を過ごしていた。
僕とマリアは相変わらずで、いつものように教室の席で授業の復習を兼ねた勉強会を開いていた。
「うぅーん、むぅー……」
隣では復習にと出した問題群を前に頭を抱えるマリア。
毎日隣で見ていて気が付いたが、マリアはあまり勉強が得意ではないらしい。いや、決して頭は悪くないのだけど、苦手な問題を前にすると軽いパニックに陥りがちだ。正確な順位は公開されないのでわからないが、そのせいでテストでの成績は中の上あたりにとどまっている。
それでも慣れたいし頑張りたい、と日々僕と放課後の勉強会を開く彼女は、いじらしくて可愛かった。
「うぅ、カイン先生たすけて」
「先生じゃないけど助けるよ、どこがわからないの?」
ノートを覗き込むと、ひゃあ、と小さくマリアが声を上げる。
「え、と……ここなんだけど」
真っ赤な顔で該当箇所を指すマリアに、これはね、となるべく丁寧に解説をする。
いつもの、代わり映えのない愛すべき日常だ。
何とはなしに教室内の会話に耳を傾けていると、馴染みのある名前が聞こえてきた。
アベル、と。
気になって少し集中して聞いていると、どうやら学園に来年アベルが入学する事を誰かが聞きつけたらしい。
「それで、来年ここに入学するらしいんだよね」
「王子様が?」
「そうそう。アベル殿下とお話しできるチャンスだよ、一言でいいから会話してみたい!」
「そんなミーハーな……」
そんな会話が聞こえてくる。学生らしいテンションのそれに少し微笑ましい気持ちになる。
「そっか、アベル殿下は私達より一歳下だったね」
同じく会話が聞こえていたらしいマリアも、一時手を止めて世間話をしているグループへと視線を向けていた。
「マリアは王子様と話してみたい?」
「えっ……うーん、どうだろう」
マリアにしては珍しく言い淀む。
仮に『エディン・プリクエル』の物語に沿ってマリアが生きてきたのなら、自覚は無くてもアベルとは面識がある。
話す機会さえあれば、二人は親しい間柄になる事もあるのだろうが……
「ちょっと会うのは怖いかな、王子様だもん」
困ったように眉を下げて笑みを作るマリア。そんな彼女の表情を見るのは初めてで、少し驚いた。
現状のアベルに、マリアから怖がられる要素がある気はしない。それでもマリアはあまり顔を合わせたくはないかな、と繰り返した。
「まぁ、相手は王子様だ。僕達の方から関わらなければ済む話だろうね。学年も違うし」
僕が『カイン』と出会うはずだった人達を避けたように、マリアもゲームの設定からズレていけばアベルと親交を深めることはないだろう。その辺りは設定を知る僕が自然に誘導してあげればいい。
そんな事を考えながら頭を勉強会モードに戻そうとした、その時だった。
「アベル殿下と言えば、お城で面白い噂話があるらしくてさ」
会話の中心でそう切り出したのはお喋り大好きなジルだった。確か彼のご両親は王城勤務だったと記憶している。どうやら彼のお喋りネタの何割かはその辺りが情報源の物もあるらしい。
「実はアベル殿下が産まれるより前に、お城には陛下の御落胤……殿下のお兄さんがいたって話なんだよ」
「え、何それ初めて聞いた」
「お城勤めが長い人の間では有名らしいんだけど、口止めされてるのかあまり外では聞かないんだって」
うん。よりにもよってお喋りなジルにその情報が入ってしまったのか。やっぱり人の口に戸は立てられないものなんだなぁ、と聞き耳を立てつつ少しだけ遠い目になってしまう。
しかし、口止めという言葉の意味をジルは理解しているのだろうか。
「いたって事は、今はもういないの?」
「生まれてすぐに亡くなったらしいんだよ、母子共に」
「え、でも王家からは何も公表されてないよな。じゃあそれって……」
「あ、い、いや噂、あくまで噂だからな。陰謀論感覚で話半分に聴いてくれないと俺も困るからな!」
視界の端でジルがブンブンと両手を振っている。
なら言わなければいいんじゃないかな、というツッコミは胸にしまっておく。あくまで聞き耳を立てているだけで、僕自身は極力この話題には関わりたくない。
そう。僕は他人。僕は他人。
「言わなきゃ良かったんじゃ……」
隣でマリアがポツリと呟く。まったくもってその通りだ。
と。
「え、あれ……カイン?」
「どうしたの?」
問い返す僕の顔をじっと見つめて、マリアは何か考え事をしているのか何やら小さな声でひとりごとを言っている。
「アベル殿下にお兄さん……弟のアベル……それって聖書の?」
聖書……?
微かに聞き取れたその言葉の意味を僕が正しく認識する前に、変化は起きた。
じゃらり。
唐突に、頭の中でそんな音を聞いた。どこか聞き覚えのある金属音。まるで重い鎖が何かに絡み巻き付くような、妙に聞き覚えのあるこれは。
効果音……サウンドエフェクト……?
「……っ」
瞬間、背筋を猛烈に嫌な予感が駆け抜けた。
反射的に自分のステータス画面を呼び出すと、僕は石板の下部に記されたある項目へ視線を向ける。
そこには。
『リンクチェーン・レベル15 マリア=レイライト』
いつも通りのステータス画面、その下部。前回確認した時には存在しなかった項目に、新たなパラメータが表示されていた。
リンクチェーン。因果の鎖。僕がずっと発生を避けていた展開。
いや、それにしたって。
「なんだよ……15って」
「な、なにこれ高すぎるよ」
隣でマリアも青褪めながら呟く。
リンクチェーンは発生と同時に上がるものも確かにあったはずだ。でもそれはせいぜい3が限度。そもそも上限が20のパラメータだ、こんなものバグとしか思えない。思えない、が……
それよりも。うん。今、隣からおかしな言葉が聞こえなかったか?
「……マリア?」
「あ、え、あれ?」
僕の問いかけに混乱しながら、マリアは目の前の何もない空間と僕の顔を交互に見比べる。その動作は、まるで僕がステータスの石板を確認している時みたいで。それに、今の発言は……
「僕とのリンクチェーンが、見えてる?」
僕の言葉にマリアが目を見開く。
やっぱり。気のせいじゃない、マリアには自身のステータス画面が見えていてリンクチェーンの存在も知っているんだ。
でもこれは。先程までの発言を総合すると、まさか。
「『マリア、もしかして君は日本人なの?』」
あえて、懐かしい音を口に乗せる。
僕からの日本語での問いかけに、こくり、と混乱した表情のままマリアは頷いた。
「……」
「……」
たっぷり数分間の沈黙が二人の間に落ちる。
それは混乱から来るもの。僕もマリアも、予想外の展開に何を言えばいいのかわからなくなってしまっていた。
ええと。つまり。つまりだ。
マリア……彼女は僕と同じで『エディン・プリクエル』の世界に転生してしまった日本人、ということなのだろう。多分。きっと。
どうしよう。
まず最初に脳裏によぎったのはその一言だった。
だってまさかこんな世界に、自分以外の人間が迷い込むなんて、考えもしなかったから。
よくよく考えれば、一人いるなら二人いたっておかしくはない。それが僕と同じで主人公なら尚更だ。
だけど。でも。どうしても考えがまとまらない。
まずは、そう。話だ。話をしなければ。
「ちょっと一緒に来て」
「え、なに、カイン待って!?」
マリアだけじゃない。この時は僕も相当混乱していた。とにかく落ち着いて話せる場所が欲しくて、後先なんて何も考えていなかった。
席を立った時に、ガタンと大きな音を立ててしまったせいで、教室がシンと静まり返る。




