入学式と女主人公マリア(3/3)
その後は何事もなく校内散策を終え、教室に戻った僕達は教師から今後一ヶ月の簡単な予定を説明されて、ようやく学園生活で最初の放課後を迎えた。
ガヤガヤと賑やかな話し声が放課後の教室を彩る。
入学式から校内散策と、結構な体力を使うスケジュールではあったが皆まだまだ元気そうだ。
若いっていいな、なんて、今は自分だって若いはずなのに思ってしまう。
「私は迎えが来たから帰るね。また明日、カイン」
「うん、また明日」
手を振って教室を去っていくマリアを笑顔で見送る。
程なくして窓の外を眺めていると、弟のジュードに付き添われて校庭から出ていくマリアの背中が映った。
「やっぱり、あまり見えてなかったんだ」
弟に手を引かれるように歩くマリアの姿に確信する。
設定上の『エディン・プリクエル』におけるマリアには視力がほとんどない。
きっと今日一緒に過ごしたマリアも同じだ。
初めて会った時の自分の席を見つけるのに苦労していた様子からしても、あまり視力は良くない事がうかがえた。
校内散策では極力地図も見やすいように指し示したり口頭で説明して、段差や階段も可能な限り通る回数は減らしたけど、それでも多少は不自由そうにしていた。
おそらく普段は単純な登下校すら、弟のジュードの手助けが無ければ困難なのだろう。
それを態度には出さず、なんでもないかのように振る舞っていたマリアは、きっととても強い子だ。
プレイヤーが何気なく操作していると気付けないけれど、ゲームの主人公というものはそんな『見えない強さ』を多く内包しているのかもしれない。
助けてあげたい。
なんて思うのは傲慢な考えだろうか。
もしそうだとしても、僕は彼女の笑顔が曇るところを見たいとは、どうしても思えなかった。
「……僕も帰るか」
そう呟いておもむろに席を立つと、放課後の生徒たちがわいわいと楽しそうに騒ぐ姿を横目に教室を出た。
途中、ふと足りないものを思い出し、商業区で必要最低限の買い物を済ませる頃には、まだ明るかったはずの空はすっかり茜色に染まっていた。
夕暮れの街、どこかの家から漂ってくる夕食の匂いを感じながら、ひとり家路につく。
この時間帯の、少し切なくなるような独特の空気は万国共通だ。人の営みがある以上、これは異世界だろうと変わる事はない。
そうして自宅まで戻ってくると、門番の人に挨拶をしてから家の中へ。
暗い玄関にランプの明かりを灯すと、誰にともなくただいまと呟いて部屋に向かった。
すっかり日も暮れて、暗闇と静寂だけが支配する部屋の中、ベッドへ倒れ込んで軽く目を閉じると今日一日を反芻する。
学園、新しい生活、新しい出会い。
希望に満ちて、キラキラして、懐かしい。
まるでもう戻らない、過ぎ去った日々の夢を見ているようだった。
まだ僕にも未来があるのだと、素直に信じられたあの頃の夢。
「そう。夢なんだよ。そんなものは全部。見ることはできても叶わない、ただの夢だ」
取り戻せるなんて思っていない。
やるべき事も変わらない。
僕は自分のために、マリアをバッドエンドから遠ざける。
目の前で彼女を喪うような事だけは、絶対に避けてみせる。
もう二度と、僕は目の前で誰かを喪いたくない。
「……」
遠い記憶に焼き付いたままの、あの赤色が、物言わぬ虚ろな瞳が、僕をじっと見つめている。
そっと口元に手をあてて、唇をかみしめた。
「……ごめんなさい」
もう何度目になるのか、数えるのも馬鹿らしくなるような呟きは、誰にも届くことはなかった。




