学園都市エディン
記憶に残る断片的な光景が、何度も悪夢の中で繰り返される。
はじまりはいつも同じ光景。
流れる血と、歪んだ歓喜の笑み。
悲鳴。
狂気。
嗚咽。
興奮。
後悔。
喪失。
絶望。
失望。
そして……。
「っ……朝、か」
目を覚まして最初に、小さく言葉が漏れた。
酷い夢を見ていた気がする。息が乱れていた、寝汗も凄い。
既に朧気で思い出せないけれど、内容に大体の見当はついていた。
見ていたのは、前世の夢だ。
かつて経験した、それこそ悪夢のような出来事。それを夢に見たのだと覚えてなくてもわかってしまう。
今のカインである僕は前世と完全に地続きだ、別人だとは思わない。だからこそ前世で毎晩のように見ていた悪夢の後味はよく覚えていた。
未だに夢で見るいつかの光景。
眠るたびに心を苛む記憶。
……でも、あの頃の僕は眠っていない時の方が余程。
「そんなに繰り返し念を押さなくても、忘れたりしないのに」
どれだけ自分はネガティブな精神構造をしているのか。我ながら呆れてしまう。
もう一度、ため息。
窓の外では小鳥が囀っている。
爽やかな一日の始まりのはずが、寝起きは最悪だ。
不快な夢の原因に見当はついている。
じっと、カーテンのない窓を睨みつけた。
射し込む朝日はいつものカーテン越しではなく眠る僕の顔を暴力的なまでに照らしている。眩しい。
健康的な人間なら寝起きが良くなるだけだろうそれは、僕には刺激が強過ぎる。
夢見が悪かった原因は確実にこれだ。
陽射しを遮るために備え付けられていたカーテンは、古くボロボロになっていたので外してしまった。
こんな事なら見栄えが悪くてもつけたままにするべきだった。
「カーテン、どこかで調達しなくちゃな……」
とは言え、顔面に直射日光が当たるのは想定外だった。
せめてもう少し柔らかい光なら、きっと目覚めも穏やかでうとうとと微睡んでいられたものを。
眩しさに慣れてきた目でぼんやりと辺りを見回す。
見慣れない部屋。
見慣れない家具。
ここは今日から僕が暮らす、新しい家だ。
カイン=アンダーソン。現在十四歳。
学園の入学式を一週間後に控えた僕は、学園都市の外周部に佇む一軒家に引越してきていた。
アンダーソン領から片道二日半の学園都市へはさすがに通学のしようがない。
当初僕は学生寮での生活を考えていたのだが、両親から広い方が良いだろうと、このひとり暮らしには大きすぎる庭付きの中古物件を与えられた。
僕が通学するためだけに与えられた邸宅。
それは日本のこぢんまりとした一軒家と比較しても大きくて、僕ひとりでは確実に持て余す広さだった。
「貴族の感覚にはまだ慣れないなあ」
隣国で宿の一室を丸々長期契約した時にも感じた、前世との金銭感覚のズレ。
今の自分は貴族の家にいるのだから、ある程度は慣れなければいけないとは理解はしているけれど。
贅沢に慣れる、というのは元庶民の感覚としては少し怖い。
しかも、貴族云々関係なく僕を甘やかし過ぎるきらいのあった両親だが、帰国してからはそこに過保護という属性も加わった。
使用人の随伴こそ辞退したが、家には門番もしっかりとついていて、防犯対策は万全にされている。
門番には、僕に何かあればすぐに領へ戻せるように日々の行動報告もさせているらしい。
庭の端にある彼らの待機所にもなっている家だって、日本の平均的な平屋と大差ない広さだ。
そのうち庭師も派遣されてくるらしい。
通学のためのひとり暮らしは許可されたものの、過保護だ。とても。
もっとも、それは隣国ハーヴェで僕が青少年連続誘拐事件などという物騒なものの標的にされた経験からなので、仕方のない面もある。
実際、当時から親交のあったノアが僕に付き纏う影に気付いてくれなければ、今頃僕は五体満足ではいなかったかもしれないのだから。
だから事件を知った両親が、養子とは言えたった一人の息子を過剰に心配する気持ちは理解できる。できるのだが。
気遣われる度に居た堪れない気持ちになるのは、彼等に魔眼を使って僕を引き取るように仕向けた負い目があるからだろうか……
仕組まれた養子にも関わらず、彼等は本当に僕を大事にしてくれている。感謝してもしきれない。
この恩を返す方法が、わからないくらいに。
とは言え、ひとり暮らしなのに大きな庭付き一戸建てに門番もいるのは……やっぱり慣れるまで時間がかかりそうだ。
「さて、とりあえず今日は必需品の買い出しかな」
家具は最低限備わっていたけれど、食料も調達したいし何よりカーテンだ。
毎朝あの朝日の洗礼を受けるのは遠慮したい。
もぞもぞとベッドから抜け出すと水魔法で軽く洗顔を済ませる。
そして高級過ぎず粗末でもない、それなりの仕立ての私服に着替えると、門番に挨拶をして家を出た。
空腹感は増していたが、材料もないので朝食は市場で買い食いすることにしよう。
『エディン・プリクエル』でメインの舞台となる学園都市エディン。
ここは学園を中心として放射状に広がる大通りが特徴的な、円形をした街だ。
その全体が学園所有の土地になっていて、住む者もそのほとんどが国か学園の関係者だ。
北区画は研究所や実験施設が多く、南区画は賑やかな商業区、他は居住区となっていて、僕は南区画に隣接した居住区の家に住んでいる。
「もしゲーム世界を精巧なVRで再現したら、きっとこんな感じなんだろうなぁ」
設定資料集のイメージボードで見た街並み、中央に佇む巨大な学園の建物群。
改めてここは『エディン・プリクエル』の世界なのだと実感させられる。
肌で感じる空気や雑踏は間違いなく現実なのに、僕の記憶はここをゲームだと認識しているからか、どうにも不思議な感覚だった。
旅行先の動画を見たり、ガイドブックを読んでから現地の土を踏む感覚に近いかもしれない。
知っているけど、知らない土地。
トンッ
「あっ、ごめんなさい」
と、よそ見して歩いていたら、すれ違いざまに通行人と肩がぶつかってしまった。
相手は自分より小柄な少女、転ばせたりはしなかったし軽くぶつかる程度で済んで良かった。
「いえ、こちらこそすみません」
どことなく日本人感満載なやりとりでそのまま少女と離れていく。その際にちらりと彼女の横顔が見えた。
「……あ」
思わず声が漏れた。
愛らしい顔立ち、透き通る金糸のような髪、そしてエメラルドの瞳。
たった一瞬だったが、見間違えるはずがない。僕は彼女をよく知っている。
「マリア……」
隣に黒髪の少年を連れて歩いて行く、華奢な少女の背中を見送りながらその名を呟いた。
少女……女主人公マリア=レイライトと、その弟のジュード=レイライト。
彼女も学園に通うのだから二人が街にいる事は何もおかしくはないのだが、予想してなかった形での邂逅に思考が停止する。
「本当にいるんだ」
当たり前の事実を呟く。
既に一度ノアと出会っているのに今更だったが、改めてゲームのキャラクターが同じ次元に存在している事実に感慨深さがこみ上げてくる。
ゲームの世界。
転生。
何度考えても摩訶不思議な現象だ。
長いことカインとして生きてきてもう慣れたつもりだったけど、こうして新しい出会いがある度に脳が軽く混乱してしまう。
街を行く人々や、朝食代わりに市場の屋台で買った焼き鳥風の串焼きの美味しさは、こうして現実と何ら変わらないのに。
「そもそも、ここがファンタジーな異世界なのかバーチャルなゲーム世界なのかもわからないんだよな……」
知る術がない以上、考えても仕方がない事柄ではあるのだが。
設定通りの街並み、キャラクター。そしてシナリオ。
未だに時任タイキが紡いだシナリオ通りの運命がこの先に待っている、なんて信じられない。
母さんを喪ってなお、心の何処かでこの世界そのものの構造には懐疑的だ。
それでも、きっとここは『エディン・プリクエル』の世界なのだろう。僕が望まない通りに。
僕自身は既にシナリオから逸脱し例外化しているのは間違いないが、それが他のキャラクターにどう影響するのかまでは未知数だ。
なるべく穏便に、本編の道筋からは外れたいが……
「やっぱり、このシナリオの鍵はマリアなんだろうね」
色々と思考を巡らせても、ここが『エディン・プリクエル』の世界ならば僕かマリアが世界の中心なのは明白だ。
そしてゲーム通りに運命が動くのなら、きっと『ここ』で選択される主人公は僕ではなくマリアだろう。
マリアが主人公の『エディン・プリクエル』
強く絆を結ぶ相手によって大きく分岐する彼女の物語は、システム上どこか恋愛シミュレーションじみているが、カインと同様に救いは少なく破滅的なエンディングも多数存在する。
場合によっては国や世界だって滅ぶ。
僕は、僕のためにもマリアのバッドエンドも回避しなければならない。
「どう物語が進むにせよ、現在のマリアがどれくらい『リンクチェーン』を発生させてるかが重要なんだけど……これは入学してから確認すればいいか」
『リンクチェーン・システム』
これはリリスシリーズの中でも『エディン・プリクエル』だけの独自システムだ。
簡単に言ってしまえば恋愛ゲームにおける好感度システムなのだが、実態としては好感度と呼ぶにはあまりにも業が深い。
チェーンという名が示すように、これは絆とは名ばかりの執着や愛憎の入り混じった呪いの鎖。
分岐さえ違えなければ確かに深い信頼や愛情ではあるのだが、ひとつ間違えれば滑り落ちるように憎悪や独占欲へとすり替わる。
そしてリンクチェーンのレベル上がれば上がるほど、執着から来るバッドエンド分岐も増え、その内容もえげつないものになっていく。
軟禁、監禁、寝取り、廃人化、心中……
二十年以上前に活気付いていた頃のエロゲー市場もかくやというこのラインナップは、本当に全年齢対象のゲームにする気があったのかも怪しいものだ。
当時このシナリオとシステムを提案した時任タイキも、その企画を通したゲーム会社も、酒か徹夜のせいで頭がどうかしていたのだろう。そうとしか思えない。
完成した『エディン・プリクエル』を遊べなかったのは残念だが、結果的には発売中止になって良かったのだろう。
しかし、カインが主人公の時と比べてマリアのバッドエンドに湿度の高い展開が多いのは何故なのか。
改めて考えるとこれはもしや、時任タイキの趣味やヘキの類、なのだろうか。
……だとしたらこんなところでシナリオライターの新たな一面は、あまり知りたくなかったな……
ちなみに僕のリンクチェーンは対象の誰とも出会わなかったので発生させていない。
今後は展開によってマリアと発生する可能性もあるのだが、僕がシナリオと大幅に違う行動をしているので危惧しているような展開にもならないだろう。
「入学して、マリアにそれとなく交友関係を聞いてみて、必要があれば助言する。僕にできるのはそれくらいだよな」
あとは、もし僕がシナリオから外れた影響で学園に予定外の不穏分子が紛れてしまっていたら、それは僕の責任として処理すべきだろう。
法に触れないよう、僕の能力がばれないように、目立たず静かに。
「……なんだかなぁ」
これじゃ諜報機関にスカウトしようとしたノアを笑えない。
違いは仕える者の有無だけで、やってることがほとんど一緒だ。
平穏に生きたいはずなのに自分から危険地帯に赴いているかのような矛盾を感じる。
だけどマリアのシナリオには転がり落ちるように運命が世界を道連れにするようなものも多くある。
僕が生き残る上でもこれは放置できるわけがなかった。
やる事も、考えることも、とても多い。
でも。
「今、悩んでも仕方がない……か」
市場で調達した物資を抱えて苦笑する。まだ入学すらしていないのに思考ばかりが先走っていた。
シナリオから逆算して今後を決めるにしても、今ここでやることではない。
僕が今できることなんて、せいぜい学園生活が平穏であるように祈りながらカーテンの柄を選ぶくらいだ。
どう足掻いたとしても、全ては一週間後から始まる。
学園の入学式。
ここから僕は本格的に『エディン・プリクエル』のスタートラインに立つことになるのだ。




