転生先は人気ゲームの前日譚(1/4)
その日。
晩秋の柔らかい陽が照らす部屋から『僕』の記憶は始まった。
耳に響く心地良い音の中、眠りから目を覚まして最初に目に入って来たのは見知らぬ家の天井だった。
意識に靄がかかったような頭。自由の効かない体。
自分の身に一体何が起きているのか。
事態を理解できないまま声を上げようと開いた口から飛び出したのは、まるで赤子のような泣き声だった。
結論から言うと、僕は正真正銘の赤子だった。
もっともそれを完全に自覚したのは、この時から数日が経った頃だったが。
「カイン」
柔らかい音が響く。
「大丈夫よ、カイン。あなたは私が守るから」
泣きじゃくる僕の頭上から穏やかにかけられる声。
何度も聞かされる優しく、心地良い幸せの音。
幾層にも心に降り積もっては抱きしめるように覆っていくその言葉。ぬくもり。
自分の置かれた状況が理解できる頃になって、ようやく僕はそれがいわゆる親からの愛情と呼ぶ類のものだと認識した。
親から与えられる、いちばん最初にして大きな愛。名前。
生まれてきたことを、祝福する言葉。それは、涙が出るくらいに愛しい響きだった。
(カイン、それが今の僕の名前……なのか)
そうして僕は自分の名前を知った。
次に、僕は部屋という狭い世界の中にいながら事態を確認しようと試みた。
記憶が確かなら僕は日本で生きて享年三十六歳で死んだ成人男性のはず、なのだが。
今置かれた状況はどう考えても違うものだろう。
視線の先で動かす自分の手は触れば折れてしまうのではないかというくらい小さい。
周りを見渡すと、ベビーベッドの上に寝かされたままこちらを向く、幼子の姿が窓に映っていた。
これがおそらく今の僕なのだろう。ふわふわとした赤毛に金色の瞳。名前から察してはいたが、これは日本人の容姿じゃない。
こうして目で見て、耳で聞いて、時間をかけてゆっくりと僕は現況を把握、理解する。
ここが、どうやら自分がかつて生きた世界ではない事。
母親から与えられたその名は間違いなく今の自分の物である事。
自分は彼女の胎から生まれた赤子であるらしい事を。
なるほど、どうやら僕は別世界への転生を果たしたらしい。
俗に言う異世界転生なんて現象が自分の身に降りかかっているというのに、心は不気味なくらい冷静だった。
いや、冷静であろうとしていた、が正しいのだろう。
きっと今の僕は、気付いてしまった重大な事実を受け止めるために理性をフル動員している状態だ。
転生の理由だとか自分の死因だとか、そういったものは些細な問題だ。考察する必要すら感じない。
重要なのはこの世界。
ただの異世界だと思っていたそこは、僕の良く知るもので。
(間違いない。ここは『エディン・プリクエル』の世界だ)
確信していた。
ここは前世、日本で若者を中心に流行していたロールプレイングゲーム『リリスの匣庭』の、いや正確にはその前日譚『エディン・プリクエル』の世界だった。




