9:辺境の日々3
雪が随分と減って、ようやく領内の道路の石畳が見えるくらいになってきた。夜の見回りに出ていた、レオノーラと同僚のクイールは、木立の奥の家の中から争う声を聞いた。
「ああ、ありゃゴードンの家だよ。なんだ、あいつ、また、かみさんと喧嘩してんのか 」
壁を叩く音がして、誰かの怒鳴り声が聞こえた。
「あいつもかみさんも気が強いからな。言い出したら止まらなくなるタイプだし、しょっちゅう喧嘩してやがるな 」
女性の怒鳴り声のあと、何かが割れる音がして、男の怒鳴り声が聞こえた。その声を聞いた時、レオノーラは馬を走らせた。
「クイール、違うわ。怒鳴っているのはゴルネア語よ。それに、今日、ゴードンは夜の警備当番だわ 」
入り口の扉を勢いよく押して中に飛び込むと、背が高く髭に覆われた顔をした男と肩の張ったずんぐりとした男がゴードンの奥さんと娘を壁に追い詰めていた。奥さんの顔には殴られたあとがある。
「何をしている!」
そう怒鳴ったが、相手は持っていた剣で切り掛かってきた。咄嗟に、相手の剣を自身の剣で叩き落とす。そして、剣の柄で男のみぞおちを打ちつけた。反対側からもう一人が棍棒のようなものを持って襲ってきた。体勢を低くして、膝の下を切りつけた。男は叫び声を上げながら転げ回った。
「クイール、男たちを縛って拘束して!」
ゴードンの奥さんが泣きながら、叫ぶ。
「フィオナが!フィオナが奥の部屋に男に連れて行かれて!」
走って石壁の向こうの部屋に向かい、扉を肩で開ける、乱れた寝台の上に意識を失っているフィオナの姿が目に入った。表の騒ぎに気づいていたのだろう、男が入り口でレオノーラの入ってくるのを待ち構えていたようだ、背後から首を掴まれ、持ち上げられた。
「お楽しみを邪魔しやがって」
ゴルネア語の罵りが聞こえた。レオノーラは持っていた剣を逆に持ちかえ、そのまま後ろの男の腹にずぶりと差し込んだ。大きな悲鳴をあげて、男が手を離しのたうつ。すぐに剣を抜き、男の腕を肩から切り落とした。激しい血飛沫が正面からレオノーラにかかる。顔についた血飛沫を手で拭って、フィオナのところに駆け寄る。頬には殴られた後があり、二の腕や太ももにもあざがいくつもある。
意識を失っているフィオナをシーツでくるみ、血溜まりに倒れる男の体を踏みつけて、部屋を出て奥さんのところへいく。クイールが男たちを縛り終えてこちらを向き、レオノーラを見て言葉を失っていた。
「ごめんなさい。こっちの部屋を台無しにしてしまったの。フィオナを別の部屋に移したいのだけど、他に部屋はある?」
奥さんに、奥の子供部屋を案内してもらいながら、小声で、医者を呼んで欲しい、と告げた。その意味がわかり、奥さんの目から涙が溢れた。
「あ、あいつらが・・・山を越えてきたから少し食べ物を分けて欲しいと・・・。優しくなんてしなけりゃ良かった。ちくしょう、ちくしょう、うぅぅ」
小さな寝台にぐったりとしたフィオナを横たえた。その顔に残るアザに指をやり、湧き出る怒りがおさまらなかった。バタバタと入り口付近からゴードンの声がする。騒ぎを知らされ帰ってきたのだろう。足音が近づいて来たので、部屋の入り口で待ち構えた。
「ゴードン、フィオナは大丈夫よ。大丈夫。今、眠っているから医者が来るまでそっとしておいてあげて 」
彼にそう声をかけた。父親にこんな娘の姿を見せたくなかった。
医者の診察によると、あちこち殴られているが、骨が折れたりはしていない。奥さんはハンカチをずっと握りしめて医者の話を気丈に聞いていた。フィオナはまだ目覚めない。
フィオナのいる部屋から食堂へ戻ると、騎士団が到着し、捕まえた男たちを護送車に乗せ、奥の死体の処理をしていた。
「レオ、ひどい格好だ。後はやっておくから、おまえはもう帰れ 」
騎士団の団長補佐で、警備隊の隊長のローレンスが、自分の悲惨な姿に気づいて声をかけてくれた。言葉なく頷き、馬を駆って寮に戻った。
寮の世話係に、湯を使いたい、と言うと、彼女らはレオノーラの姿を見て驚き、部屋に持って行ってあげるから待ってて、とすぐに準備をしてくれた。お湯が来るまでの間に、部屋についている洗面の冷たい水で顔を洗う。洗った水が赤く濁り、排水溝へ消えていく。洗っても洗ってもいつまでも水は赤く濁るようだった。
世話係が大きなタライとお湯を持って部屋に来て、その血まみれの制服は洗っておくから、後でタライと一緒に部屋の外に出しておいて、と言ってくれた。
服を脱ぎ、タライに張ったお湯の中に膝を抱えて座り込んだ。今になって震えが来ている。フィオナの姿が脳裏に浮かび、その後に骨を断ち切った感覚が自分の手に残った。剣で誰かの命を断つ日がくるとは。そういう仕事についているくせに、本気で想定していなかった自分の甘さに驚く。
何を今さら.......
髪を丁寧に漉くように洗い、体も石鹸で皮が剥けるほどゴシゴシと洗った。湯は泡だった錆色に濁っていた。濡れた髪のまま寝台に入り、シーツの隙間に頭まで体を滑り込ませて、丸くなった。涙が込み上げ、嗚咽が止まらなくなった。
『アビエル、アビエル、助けて。怖い』
抱きしめられて、大丈夫だと言われたかった。愛していると言われたかった。いつまでも震えが止まらず、朝になるまでずっとシーツの中で丸くなっていた。
翌朝、詰所で隊長のローレンスに『―判断を誤れば、失われるべきじゃない命が失われる。人の命を奪おうとするものは、命を奪われることも覚悟しなきゃいけないー』と声をかけられた。
慰めたわけではなく、ひどい顔をした自分を叱咤してくれたのだ。おかげで少し正気を取り戻した。奪ったのだから奪われる側にもなる、その言葉が、罪深い自分とその罪との釣り合いを取っているような気がした。
◇◇◇
短い夏の間、多くの侵入者と対峙した。そのほとんどが戦争で国を追われた農民だったが、フィオナの件もあり、やってきた者たちに領民の目はさらに厳しくなった。
誰にも助けを求められず、村の端の炭置き小屋で息絶えた小さな子どもと女性を見つけた時は、ひどく胸が痛んだ。
フィオナは、体調に目立った異常もなく、2ヶ月ほどで回復した。あの時のことは、気を失っていたからか、忘れようという意識が働いたからか、ほとんど覚えていないと奥さんから聞いた。村で会うと、今まで通り、『レオさ~ん』と腕に縋ってくる。
ゴードンは、生き残っていた仲間たちを自分の手で殺させて欲しい、と伯爵に嘆願したが、ゴルネアとの交渉に利用する必要があると言われ叶わず、しばらく荒れに荒れていた。
侵入者たちはゴルネアの脱走兵だった。様々な民族が集合したゴルネアという国は、地方により言語が異なる。兵になると中央都市で訓練を受け、公用語であるゴルネア語を養成所で習う。だから、兵士は皆ゴルネア語を話すのだ。
彼らは、終わりの見えない戦況に嫌気がさし、前線から脱走し山を放浪し、空腹のため食料を求めてある家の戸を叩いた。気の良さそうな女が少し食料を分けてくれると言って家に入れてくれたが、家に女しかいないと気づくと、仲間の一人が、どうせまた追われるならとそそのかしたらしい。
彼らの行為はけして許されるものではない。親切を裏切り、領民たちに猜疑心を植え付けたのだから。
秋が過ぎ、雪が舞い始める頃、逃げてくる人が減ると思うと、正直ホッとした。
レオノーラは便りがあってもなくても毎月「アドルフさん」宛に手紙を書いた。日々の出来事や周りで出会った人のことについて何でも書き連ねた。
でも、フィオナの事件については、どうしても書くことができなかった。
アビエルは今、南の国々へ外交に出ている。外交に出る直前に投函したであろう今手にしている手紙には、『半年ほどかけて仕事で出張に出るからしばらく便りができないと思う』とあった。
以前に、もし外遊に出るならどんな経路で回ろうか、と話したことを思い出す。彼はどのように国々を回っているだろうか。それに思いを馳せると、自分もその傍にいられたらよかったのにと切なく胸が痛んだ。
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