35:辺境の日々6
レオノーラにとって、辺境伯領で迎える六度目の冬が訪れた。
騎士団に正式に所属し、訓練場で剣を振ることができるようになった。日常業務は大きく変わらないものの、領主館の警護任務に加わるようになったことで、城郭での警備に就く機会は減っていた。
春になれば、前回の会談地コートナムにて、ゴルネアとルーテシアの両国の特使を招いた休戦協議が行われることが決まった。アビエルが仲介役を務め、ベルトルドとベリテアの両辺境伯も参加する。
手紙の結びには、彼からの愛しい一言が添えられていた。
『春になれば、またそちらへ向かう。再会を心待ちにしている。最愛を想って。A.』
その言葉に、胸が高鳴る。クレイン領での夏、そしてルーテシアでの外交――夢のような日々を思い出す。新しい世界を見て、広がった未来への想いが胸を満たしていた。穏やかな和平が実現すれば、いずれゴルネアを訪れることも夢ではない。
いつか、アビエルとともに世界を巡る日が来るかもしれないと思えるようになっていた。
そんな中、雪深いある日、悲しい知らせが届いた。幼い頃からの相棒であり、愛馬だったイスカが、寒さにより肺炎を起こし、息を引き取ったという。
『イスカ……最期を看取れなくてごめんなさい』
自分にとって、祖父以外の家族はイスカだけだった。どんな時も落とすことなく自分を背に乗せ、守ってくれた。もう二度とその背に乗って風を切ることができないと思うと、堪えきれず涙がこぼれた。
アビエルの手紙には、イスカを小川の見える木立の傍に手厚く葬ったと綴られていた。その心遣いに、言葉にならない感謝が込み上げる。
『帝都に戻れる日が来たら、必ず会いに行くからね』
手紙を胸に抱きしめ、レオノーラはそう誓った。
年が明けてまもなく、ベリテア伯から、次の会談にも通訳兼書記として同席するよう命じられた。前回の報告書が高く評価され、帝都からも正式に任を受けたと聞き、アビエルの役に立てたことが誇らしく思えた。
まだ雪は深いが、春はもうすぐだ。休戦がうまく進めば、帝国の幹線道路を使った交易が加速し、領土を争う意味も薄れるはず。アビエルの才腕ならば、必ずや良い方向へ導くだろう。戦の終息も、もはや遠い未来ではない。
ある日の巡回途中、レオノーラはルグレンの家を訪ねた。
「りぇお、あい、こえ!」
アーロンが自分の焼き菓子を分けてくれようとする姿に、レオノーラは思わず感嘆の声をもらした。
「アーロンって、天使なの……?」
こぼれた菓子を一生懸命差し出す小さな手が可愛くてたまらない。
「そうね、アーロンは天使であり、妖精であり、この家の癒しだわ」
ルグレンが笑いながら新しい焼き菓子を差し出すが、レオノーラは首を振る。
「大丈夫。アーロンのが一番おいしいもの」
そう言って抱きしめた小さな身体は、柔らかくて、あたたかかった。
「レオが編んでくれた服、本当に助かってるわ。この雪の中でも外に出られるもの」
レオノーラがルーテシアの土産として持って帰った糸で編んだ上着や靴下は、小さな体をしっかりと守っていた。
「すぐに着られなくなるけれど、またほどいて編み直すわ。子どもの服はすぐ編めるから楽しいの」
裁縫が苦手なルグレンは、笑いながら感謝の言葉を告げた。
「春になったらまたクレイン領よね。休戦がうまくいくといいわね」
「ええ、できればそのまま終戦になれば……」
少しの沈黙のあと、ルグレンがつぶやいた。
「ロウが言ってたけど……ゴードンが、ゴルネアの連中が無罪になるなら許せないって店で叫んでたって」
「わかるわ。あのときの犯人たちはまだ牢にいるはず。もし戻されるとなったら、何の罰も受けずに帰るように見えるもの」
「私も、もしアーロンに何かあったら許せない。処罰を自分にさせて欲しいと望むかもしれない」
アーロンを見つめるルグレンの目に、母としての思いが宿っていた。
「人を傷つけずに暮らすことが、どれほど尊いか、思い知らされるわね。この子の未来のためにも、ずっと平和が続いて欲しい」
ルグレンの言葉に、レオノーラは胸が熱くなるのを感じ、大げさに泣く真似をして笑った。
「昔は母になれるか不安って言ってたのに……立派なお母さんになったわね」
「なによ、もう!」
笑い合っていると、ローレンスが声を上げて入ってきた。
「ヘバンテス!また巡回をさぼっているな! ここはお前の休憩所じゃないぞ」
そう言いながらも、まっすぐ息子の元に歩み寄り、抱き上げて妻に口づけを落とす。
「失礼しました! アーロン、また明日ね。レオのこと、忘れないで」
バイバイと手を振る小さな掌。その手には、どうか幸せだけが触れるように――レオノーラは心から祈った。
雪解けの頃、帝都からの書簡により、二ヶ月後にコートナムで休戦会談が行われることが決まった。準備のために領主館と城は再び忙しさに包まれる。
レオノーラも前回の会談内容を見直して整理した。
そして二ヶ月後、ルーテシアからウィレム王太子をはじめとする使節団が到着し、ベリテア伯との簡単な協議を経て、共にクレイン領へと向かった。
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