32:ルーテシア外交7
翌日は、午前中の会談を終えたあと、一行は午後から教会へと向かった。
ルーテシアで信仰されているのは、自然のあらゆるものに神が宿るとされる、帝国北部にも伝わる古い自然神信仰だった。その神々を束ね、この世の調和を司るとされるのが女神ギアノスである。
教会や大聖堂の装飾には、豊かな木々や花々が多くあしらわれており、羊や牛といった家畜、海や山など国の風土を象った意匠が随所に見られる。
教会は教育施設も兼ねており、幼い子どもたちが多く集っていた。そのなかには家庭の事情で親と離れて暮らしている子や、経済的に支援を受けている子どもたちもいるという。
ルーテシア王家の女性たちにとって、こうした教会への奉仕は大切な務めのひとつとされており、今日はカリーナ王女が案内役として、ウィレム王太子やビアンカ王太子妃とともに同行していた。
「普段から、妹たちやビアンカ様と一緒に、教会に通う子どもたちへクッキーやパンを配っているんです」
そう微笑んだカリーナ王女は、今日も木の実入りの小さなパンと果物を籠に入れて持参しており、それを配ると子どもたちは歓声をあげて喜びながら裏庭へと散っていった。そして、木陰や廟の下で、小さな手に抱えたパンを嬉しそうに頬張っている。
やがて、教会の牧師が中から出てきて、深々と礼を述べた。
「まさか、この小さな教会に、帝国の皇太子殿下がお越しになるとは……。驚いて腰を抜かしそうでした」
「驚かせてしまってごめんなさい。今日は、できるだけ普段通りの様子をご覧いただきたくて、内緒にしていたんです」
カリーナ王女が柔らかく笑いながらそう伝える様子に、レオノーラは好感を抱いた。
そのとき、パンを食べ終えたばかりの3歳ほどの女の子が、とことことレオノーラの元へやってきて、ズボンの裾をつかんで離さない。しゃがみ込んで「どうしたの?」と声をかけても、女の子は黙ったままレオノーラを見つめていた。
「子どもたちの間で、あなたが教会の女神像にそっくりだと噂になっているのです。それで、お顔を見に来たのでしょう」
牧師が微笑みながらそう教えてくれる。女の子の名はクリステン。父親は今、戦地に出ており、母親は二人目の出産を終えたばかり。昼間だけ教会で預かっているのだという。
「クリステン、私の顔になにかついてる?」
そう言ってレオノーラが頬を指差すと、クリステンは小さく首を振った後、たどたどしい口調で問いかけてきた。
「お姉さんって……女神さま?」
クセのある焦げ茶の髪には、小さな葉がひとつついている。それをやさしく取ってあげながら、レオノーラは困ったように微笑んだ。
「残念だけど、私は女神さまじゃないの。でも、あなたの知ってる女神さまが私に似てるの?」
「うん……ちょっと似てる。お兄ちゃんたちが言ってたの、“女神さまだ!”って」
牧師は微笑みながらクリステンの手を取る。
「礼拝堂にある像と似ていたのでしょう。もしよろしければ、ご覧になりますか?」
案内されて教会の中へ入ると、礼拝机の奥に女神ギアノスの像があった。胸元で手を組み、背筋を伸ばして正面を見つめるその表情はどこか冷たく、静謐な美しさに満ちている。
レオノーラはその像を見つめながら、自分がこのように映っていたのかと思うと、「ちょっと冷たい感じにも見える....」と何とも言えない気持ちになった。
「これが、自然神を統べる女神ギアノスですか?」
アビエルが問いかけると、牧師はクリステンと一緒に像の前に進み、供えられていた花を一本取り、足元へとそっと置いた。
「ええ。女神ギアノスは、すべての自然神の心を鎮め、あらゆる災厄からこの世を守る存在とされています。人も自然の一部。だから、人と人との争いすら、女神の慈悲に救われるのです」
クリステンは再びレオノーラの手を取り、小さく声をかけた。
「女神さまにお願いがあるの」
レオノーラはしゃがみ、手を包み込みながら微笑む。
「お姉さんは女神じゃないけど、クリステンと一緒にお願いしてみようか」
「ほんと? じゃあ……“お父さんを、早く帰してください”ってお願いしてほしいの」
切実な願いに、レオノーラの胸が締めつけられた。
「わかった。私も心をこめてお願いするね。どうやってお願いするの?」
するとクリステンは張り切って、「こうするの!」と膝をついて手を組み、額に当てて祈りの姿勢を見せた。レオノーラもそれに倣い、そっと女神像に祈りを捧げる。
「これで、お父さん帰ってくる?」
祈り終えたクリステンが、キラキラした瞳で見上げてくる。レオノーラはたまらずその小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「いっぱいお願いしたから、きっと大丈夫。お父さん、もうすぐ帰ってくるよ」
その微笑みに、クリステンは安心したような表情を見せた。ふと顔を上げると、教会の窓の外から、ほかの子どもたちが覗いているのが見える。
牧師が困ったように、そちらに笑いながら手を振り、アビエルも苦笑をこぼす。
「どうやら、子どもたちは貴女ののことが気になって仕方ないようです」
その牧師の言葉に、「ひとまず通訳はいいから、外でみんなの相手をしてきてはどうだ?」とアビエルが笑う。
アビエルとウィレムたちは、木陰に腰を下ろし、国内の教育政策について語り合いながら、しばし休憩を取ることにしたようだ。王女たちは教会の手伝いの者たちと何か話をしている。
レオノーラは、クリステンとともに子どもたちの輪の中へ。好奇心いっぱいの質問攻めが始まった。
「どこから来たの?」
「なんで女の人なのにズボンなの?」
「その剣、ほんとに切れるの?」
「女神さまって、強いの?」
「顔、さわってもいい?」
木陰の下に足を伸ばして座りながら、笑いをこらえつつ、ひとつひとつ答えていく。子どもたちの無邪気な質問は尽きることがない。
ふと気づくと、アビエルが傍に来ていた。
「さて、そろそろこの“お姉さん”は帰る時間なんだけど。いいかな?」
「え〜?どこに帰るの? おしろ? てーこく?」
年長の男の子が名残惜しそうに尋ねる。先ほど帝国から来たと話したことを、ちゃんと覚えてくれていたらしい。
「女神さまのいるところって、どんな場所?天国?」
子どもたちにそう問われ、レオノーラは少しだけ目を細めて、アビエルに視線を送ってから答えた。
「女神さまがいる場所は、お姉さんにもわからないけれど……私がいる場所は、この“お兄さん”のいる場所なの」
途端に、子どもたちの視線がアビエルに集まった。
「お兄さんって……だれ?」
クリステンの素直な問いに、アビエルはふっと笑い、レオノーラの手を取りながら答えた。
「お兄さんは、女神さまの“しもべ”ってところかな」
「しもべってなに〜?」
笑いながら聞いてくる子どもに、アビエルは優しく頭をくしゃっと撫でた。
――仕事の視察でありながら、つい感情が動いてしまった今日の訪問。
けれど王太子たちも終始穏やかで、誰も咎めることはなかった。その空気に、レオノーラは心から安堵していた。
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