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騎士と王冠<The Knight and the Crown>Ⅱ  作者: けもこ


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31:アビエルの杞憂

『今夜は隣の部屋で休ませていただきます』


昨夜、レオノーラがそう口にしたとき、アビエルの胸には、思いもよらぬ寂しさが静かに広がっていた。ルーテシアに来てからというもの、彼女と過ごす時間があまりに幸福で、つい、それが当然のことのように錯覚していたのだ。


彼女は、気遣うような目でこちらを見ていた。夜会の前、自分があんなふうに彼女に触れてしまったのが悪かったのかもしれない——そう思い当たり、アビエルの胸の内はざわついた。


自分が彼女の前であまりにも理性を保てなくなることには、とうに気づいている。触れたいと思えば、つい手が伸びてしまう。応えてくれる彼女に甘えて、ついつい自制が効かなくなる。


視察から戻った彼女が、羊毛の話に頬を緩めながらブラシをかけていた姿が頭に浮かぶ。その嬉しそうな様子があまりに愛おしく、思わず抱きしめたくなってしまった。けれど——本当は、それだけのつもりだったのだ。なのに、彼女が「一緒に新しいものを見られるのが、恐ろしく幸せ」と小さく囁いた、その一言が胸を熱くさせてしまった。


そんな可愛らしい言葉に煽られ、自分の衝動を抑えきれなかったのだ。


彼女は通訳として、そして侍従として、日々忙しく立ち働いている。疲れて当然なのに、自分の欲を優先させ、彼女を振り回してしまったことに、ようやく思い至る。


——嫌われたわけではない。けれど、彼女が「少し距離を置きたい」と思うのなら、それを汲み取るべきだ。


そう納得しようとしながらも、広い寝台に一人横たわる気にはどうしてもなれず、アビエルはソファに座ったまま、まんじりともせず夜を過ごした。


何度、続き扉を叩いて謝ろうと思ったことか。そのたびに、彼女の『休みたい』という言葉が胸をよぎり、思いとどまった。謝ることすら、今は迷惑かもしれない——そう自分に言い聞かせて。


情けなくなった。これほど彼女に夢中になってしまった自分が、滑稽に思えてくる。再会してからというもの、夜毎に愛を交わし、朝には彼女の温もりを感じる日々が続いた。その幸福にすっかり慣れてしまっていたのだ。


もし、あれが彼女の「好意」ではなく「諦め」や「許し」だったとしたら——。そんな思いにとらわれると、いても立ってもいられなくなり、頭を抱えるしかなかった。


もう少し、節度を持たなければ。そうでなければ、いつか彼女の心が離れてしまうかもしれない——。


悶々とした思いを胸に、ようやく迎えた朝。レオノーラが朝食を持って現れたとき、アビエルは努めて平静を装いながら「よく眠れたか」と尋ねた。


彼女は少し困ったような顔で「ほとんど眠れませんでした」と答える。その表情に、何か言いかけているような戸惑いが見てとれる。


一人になりたいときは、遠慮なくそう言ってくれればいい——アビエルは、そう伝えた。彼女の心が離れてしまうくらいなら、一人寝の寂しさなど、どうということはない。


すると、レオノーラはためらいながら、昨夜のことを打ち明けてくれた。


「夜会で、皆さまの視線がどうしても気になって……。もしかしたら、殿下との関係について、よからぬ噂が立っているのではと……」


ウィンスレット王子からの視線や、王女たちと比べられたこと。自分の振る舞いが外交の妨げになったのではないか——と、混乱し、自分を責めていたのだという。


彼女の言葉を聞くうちに、アビエルは昨夜の自分の逡巡が、いったい何だったのかと脱力した。


だいたい、後宮制度のあるこの国で、従者と主君の色恋など、政治に何の影響も与えない。


 ——彼女は、昔から自分の魅力に無自覚だった。


誰もが美しいと讃えるその容姿も、穏やかでまっすぐな言葉も、レオノーラ自身は特別なものと思っていない。彼女自身が、誰かのことを素敵だと感じれば、臆せずそう伝えるように、自分が言われた言葉も、ただの礼儀のひとつくらいにしか受け取らない。


ウィンスレット王子が、明らかに彼女に惹かれていたことも、他の貴族たちの視線が熱を帯びていたことも、それは彼らが、彼女自身に興味があったからだ。


 「どうしましょう、困りました」と眉を寄せて言う彼女に、昨夜から続いていた激しい自省はすっかり色褪せた。


まったく、こんな気持ちにさせられるのは、レオノーラだからだ。

 ——彼女には、自覚が足りないのだ。自分がどれほど注目される存在かを。


かつてアルフレッドが、彼女の容姿を「顔面凶器」などと呼んでいたのを思い出す。物騒な言い方だったが、あながち間違いでもない。ゴルネアとの会談で、カニキオの心を動かしたのも、彼女の笑顔だった。誰だって、あの笑顔で「思うことを何でも伝えてください」と言われたら、奮起するだろう。


そんな彼女を、『誰にも渡したくない』と、アビエルが強く願っていることに、彼女はまるで気づかない。


朝食を口に運びながら、ふと意地の悪い気持ちが芽生えてしまう。


向かいに座るレオノーラが、こちらの機嫌を気にしているのは分かっている。だが、今は、それをすぐに解いてやるつもりにはなれなかった。


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