28:ルーテシア外交5
一番外側の城郭の内側には、王城が管理する広大な放牧地が広がっていた。
「ルーテシア国内には、牧羊が盛んな土地がいくつかあります。中でもこの王城の放牧地では、白く、縮れに優れ、強い毛を持つ選りすぐりの羊を交配し、“ストロング種”と呼ばれる高級羊毛を生産しているのです」
ウィレムの穏やかな説明の向こうで、毛並みのふわふわした羊たちが「メェ、メェ」と一斉に鳴いた。その愛らしい姿に、レオノーラの中の“かわいいレーダー”が見事に反応する。
「夏なので、春先に刈ったばかりですが、冬になるとこの3倍は毛が伸びるんですよ」
「3倍も!」
思わず声をあげ、慌てて口を手で塞ぐ。──自分は通訳としてここにいるのだから、はしゃいではいけない。そう自戒するも、横でアビエルが肩を震わせて笑いをこらえているのが目に入り、顔が火照るのを感じた。
「冬の羊は、顔が毛に埋もれて見えないほどになります。ちょっとした雪だるまのようですよ」
ウィレムが笑いながらそう続けると、想像してしまい、ますます頬が緩んでしまった。
その後、刈り取った羊毛が保管されている倉庫へと足を運んだ。漆喰で丁寧に仕上げられたその内部はしんと静まり返り、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
「羊毛は湿気に弱いため、このように密閉された倉庫で管理しています。この時期、ほとんどが加工済みで出荷されていますが、わずかに残っている物もあるのでお見せしますね」
袋の中から取り出された羊毛に触れると、思っていたよりもしっかりとした手触りで、ほんのりと温かかった。
「もっとふわふわかと思っていましたが……少し脂っぽいですね?」
「ええ、それは“ラノリン”と呼ばれる天然の脂です。塩水で丁寧に洗うことで、あの純白の輝きが生まれるのです」
馬に乗って移動し、王都の内側にある工場へと案内される。そこは、王家の紋章入りの毛糸や織物が唯一生産される場所だった。
中では多くの女性たちが糸車の前に座り、羊毛を丁寧に紡いでいた。
空気に漂う蒸気と、糸車の静かな回転音。その中で紡がれているのは、まるで絹のような光沢を持つ美しい糸。
「この糸の美しさは、世界に誇れるルーテシアの技術です。質の良い毛を選別し、何度も歪みを取り除きながら、ひと織りずつ丁寧に……その積み重ねが、あの風合いを生むのです」
レオノーラは、織機に張られた糸と、その奥に広がる薄く光る生地に目を奪われた。
「これが……本当に羊毛?」
その呟きにウィレムが嬉しそうに頷く。
「はい。これこそ、私たちルーテシアの誇りです」
レオノーラが女性たちの手元を興味深そうに見つめている様子を、アビエルは目を細めて見守っていた。
「これらの品々は、国外に出回っていませんよね?」
「ええ。数が限られていることもありますし、希少性を保つためでもあります。
父である王は、現状で問題ないと思っていますが.....私はこの素晴らしさをもっと多くの人に知ってもらいたいと願っています。王家が保証する品質があれば、国内の他の産品にも光が届くと感じています」
「その考えは実にすばらしいですね。もしよければ、私もその後押しをさせてください」
アビエルの申し出に、ウィレムは目を輝かせて手を握った。
その夜──
レオノーラは、夜会の準備の為に、儀礼服にブラシをかけながら、今日、目にした美しい羊毛の光景を思い出していた。
あの柔らかな毛、織機に張られた糸の輝き。それらはまるで、知らなかった宝石に出会ったかのようだった。あの美しい糸から何が作れるだろうと考えると心が沸き立つ。
背後から、ふわりと温かな腕が回される。
「レオニー、楽しかったか?」
アビエルが彼女の首筋に頬を寄せ、低く囁く。胸の奥がくすぐったくなる。
「ええ、とても。すばらしかったわ。この国の職人たちの誇りが、あの生地の中に宿っているのね」
「おまえが嬉しそうにしていると、こっちまで嬉しくなる」
その言葉に、レオノーラは微笑みながらアビエルの頬にそっとキスを落とす。
「これからもっとたくさん、いろんなものを見よう。おまえと一緒に」
アビエルの瞳は、彼女の未来を映すように穏やかだった。
「私がこれから見る新しい景色は、全部あなたと一緒に見るものよ。そう思うだけで、なんだかとても幸せだわ」
口元に笑みをたたえて、レオノーラは彼の腕の中で静かに目を閉じた。
その愛らしい表情に、アビエルは口づけを深くし、「今、そんなことを始めたら夜会に間に合わなくなってしまう....」というレオノーラの訴えを、体に言い聞かせるように抱きしめてふさいでしまったのだった。
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