23:ルーテシア外交1
翌朝、皇室の馬車とトルネア辺境領へ向かう一行は、連なってクレイン領を後にした。見送りの中にはドミニクの姿もあった。
「レオさん、昨日は失礼しました。突然あのような話をして、驚かせてしまいましたよね。どうか、お気をつけて」
その声はどこか遠慮がちで、彼の笑顔もどこか影を帯びていた。レオノーラは静かに手を差し出し、握手を求め、その手を強く握った。
「ありがとうございます、ドミニクさん。あなたも、どうかお元気で。またいつか、お会いできますように」
再びこの辺境の地を訪れる機会があるかは分からない。それでも、レオノーラは誠実な彼の未来が幸多きものであるよう、心から願った。
◇◇◇
隊列は西へ向かい、夕暮れ時にはトルネア辺境領の主要街道へと入った。そこから北へ進めば、やがてルーテシアとの国境に至る。
街道の分岐点で一行は一度足を止め、ベリテア伯爵がアビエルに別れの挨拶を述べるため馬車を降りた。
「殿下、くれぐれもお気をつけて。友好国とはいえ、あちらはいま戦下にあります。今回の会談は私にとっても大きな学びとなりました。この機会が実を結ぶよう、微力ながら尽くしてまいります」
頭を下げる伯爵に、アビエルはまっすぐ手を差し出した。
「帝国は今後、他国との関係に大きな転機を迎える。その最前線に立つのが、国境を預かる辺境伯だ。頼りにしている」
言葉と共に、力強く手を握る。ベリテア伯爵は頷きながらその手を握り返した。
別れを告げた後、皇室の馬車列は再び北へ向けて進み出す。レオノーラはアビエルの馬車の後方を馬でゆっくりと追い、やがて日がすっかり沈んだ頃、国境近くの町――ロンテアに到着した。
この街は、かつてルグレンと共に市場を訪れた懐かしい場所だった。帝国とルーテシアの交易が活発なことから、人の往来も多く、幹線道路の整備が進んでいることも相まって、街には活気が満ちていた。
一行は町で最も大きな宿を一棟貸し切り、そこに宿泊することになっていた。レオノーラは御者を手伝い、馬を馬車から外して厩舎へと運んだ。
皇太子の訪問が小さな町に知れ渡るのは早く、世話を終え厩舎を出た頃には、宿の外に人だかりができていた。
護衛が入り口を守っていたが、町の人々は一目でも皇太子を見ようと集まっていたらしい。どうやら入り口のたどり着くのは至難の技のようだったので、人混みを避けて、再び厩舎に戻った。
厩舎番の手伝いをしながら、時間を潰していると、驚くことに、そこへ、フードを深く被ったアビエルが現れた。
「宿から出てくるのは大変ではありませんでしたか?」とレオノーラが問いかけると、アビエルはフードを外し、微笑んだ。
「町の人々は私の顔を知らないから、料理番の男に紛れて出てきたら、案外すんなり通してくれたよ」
そう言って、傍にいたアルカシードの額を撫でる。
しばし厩舎で語らったあと、アビエルの誘いで町の様子を少し見て回ることにした。夜も更け、商店は閉まっていたが、小さな食堂や宿はまだ灯りを灯していた。
「以前来たとき、この広場から東西に延びる道路沿いに市場が立っていたの。明朝、見られると思う。帝都では見かけない食材もたくさんあったわ」
レオノーラが語ると、アビエルは南の石畳の道を指さした。
「この道が、帝都からの幹線と繋がる予定だ。そうなれば、この町は交易の要衝になる。辺境伯領の財源としても重要な地になるはずだ」
今回の訪問が、単なる外交儀礼ではなく、交易と経済の未来を見据えた布石であることが、彼の言葉から滲み出ていた。
「アビエルは、ルーテシアへ行ったことがあるの?」
「十年前、一度だけ。王族の婚礼に陛下の名代として出席した。そのときは街を巡る余裕もなかったが、今回は北の港も訪れたいと思っている」
「北の港……冬は氷で閉ざされてしまうのよね」
「だが今は、氷を砕き進む船がある。ぜひ、その技術を見てみたいと思っているんだ」
語りながら歩くうちに、町の灯が次第に落ち、辺りは星の瞬く夜へと変わっていった。
「そろそろ戻りましょう。護衛が心配するわ」
中心の広場の明かりが消え、漆黒の空に無数の星が広がった。
「ここは、帝都より星が近い気がする」
アビエルのつぶやきに、レオノーラが小さく微笑んで答えた。
「でも、見上げる星は、ここも帝都も同じ星だわ」
次の瞬間、彼の唇が静かに重なった。確かな温もりだけが、静けさの中に残された。
やがて手をつなぎ、宿へと戻る。既に人垣は解けており、入口でフードを外したアビエルに護衛が目を丸くした。
「なぜ……こんなところに殿下が……」
そう声を漏らす護衛に、アビエルが声をかけた。
「交代で食事は取っているか?」
「は、はい!つい先ほど交代したところです!」
思いがけぬ皇太子の外出に皆が驚く中、アビエルは優しく声をかけた。
「気にするな。少し散歩をしていただけだ。夏でも北の夜は冷える。体調を崩さぬようにな」
宿へと入ると、食堂では御者や侍従たちが、賑やかに食事を取っていた。現れた皇太子の姿に、場の空気が一瞬止まった。
「殿下!お部屋にいらっしゃったのでは……?」
「少し散歩をしていた。明朝、市場を視察してから出立する予定だ。ゆっくり休んでおいてくれ」
レオノーラが食堂へ向かおうとすると、アビエルが後ろから声をかける。
「一緒に部屋で食事を取ろう」
部屋の前にはガスパルが立っていた。アビエルを見るなり、一瞬目を丸くする。
「ガスパル、護衛はレオニーが務める。君は食事を取ってきていい」
「ありがとうございます!」
元気に去っていくガスパルを見送りながら、レオノーラは少し皮肉混じりに口にした。
「……良い護衛をお持ちですね」
アビエルは片眉を上げ、「だろう?」と得意げに笑った。思わず笑い合いながら部屋へと入り、遅れて運ばれた夕食を共にした。
食事をしながら、親しい者たちの近況、街道工事の進捗、そして未来の話が静かに並んでいった。
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