22:愛されること
アビエルと同じ時間に広間へ入るのは、さすがに憚られた。ほんの少し時間をずらそうと、静かな中庭へ足を運んだ。
石造りの要塞のような城と、堅牢な城郭に挟まれたその庭園は、短い夏を惜しむように、色とりどりの小花が静かに咲いていた。北の地ならではの風土ゆえ、噴水や四阿といった構造物は見当たらず、代わりに刈り込まれた植え込みが、迷路のように静かに複雑な影を落としていた。
「レオさん、ここにいらしたのですね」
回廊から声がかかり、振り返ると、ドミニクが歩み寄ってきた。
「晩餐にお顔を見せられなかったので、もしやご体調でも崩されたのではと……」
「ご心配をおかけしました。明日には発ちますから、その前にこのお庭を見ておきたくて、つい長居をしてしまって」
「そうでしたか。この庭は、ほんのわずかな夏の間にだけ花が咲き、色づきます。だからこそ、庭師たちも、その瞬間の美を精一杯に引き出そうと丹精をこめています」
「本当に美しいお庭ですね。あちらの植え込み……迷路のように入り組んでいて、子どもなら夢中になりそうです」
微笑んでそう告げると、ドミニクも思い出に目を細めた。
「兄とよくここで鬼ごっこやかくれんぼをしました。今は、もう隠れられませんけどね」
笑いがこぼれ、ふたりのあいだに静かな親密さが流れた。
「氷柱の女神像を一緒に見に行けなかったのが、心残りです。またお越しいただける機会があればと願っています」
「私も……クレイン領の皆さまと出会えたことが、本当に嬉しく思います。また、機会があれば是非」
その言葉に、ドミニクはふいに口を噤んだ。そして深く呼吸を整えた後、決意を湛えた眼差しでレオノーラを見つめた。
「レオさん。私と……結婚していただけませんか」
思いがけない告白に、レオノーラは言葉を失った。世界の音が遠のくような静寂の中で、立ち尽くす。
「驚かせてしまいましたね。でも、あなたに惹かれてきたこの想いを、どうしても伝えたかったのです。学院で初めてお会いした時から、ずっと……ずっと、あなたのことが心から離れなかった」
レオノーラはただ黙って、目の前の青年の誠実な熱意を受け止めていた。
「父と兄にも話しました。もちろん、殿下は、忠誠を貫くあなたを、簡単には手放さないだろうと兄は言っていました。それでも……婚約という形なら、これまでよりも多く会えるかもしれない。時間をかけて、互いを知ることができるかもしれない。私はそれを望みたいのです」
胸に迫る想いを感じながら、レオノーラはようやく口を開いた。
「あ......ドミニクさん。正直、とても驚いてしまって。その......こんな申し出を受ける自分を想像したことがなかったので......」
言いながら、アビエルと愛を伝え合い、あんなことやこんなことをしながら、自分が誰かの恋愛の対象になるということを、なぜか想定したことがなかったことに、ほんの少し笑いが混じる。どれだけ世界が彼一色なのか。少しずつ頭の中が冷静になってきた。
「ドミニクさん……。こんな私に、そんな風に言ってくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。でも……私は、誰かの妻になるという生き方を望んでいないのです」
「殿下への忠誠はそのままで、仕事としてまっとうされながら、家庭を持ち、穏やかに生きるという女性としての幸せもあるはずです」
真剣な表情でドミニクが言い募る。レオノーラは軽く首を横に振った。
「私にとっての幸せは、忠誠を誓った殿下に仕えることなのです。女性としてよりも、レオノーラ=ヘバンテスという一個人としての幸せを選びたい」
ドミニクはしばし目を伏せ、そして、大きな体を折り曲げてその場にしゃがみ込んだ。その姿がどこか痛々しくも、どこか無防備で……レオノーラは思わず小さく微笑んだ。
「本当は……もっと早く、学院で長く時間をともにできていれば、何かが変わっていたでしょうか」
しゃがみこんだままドミニクが絞り出すように声を出す。
「いいえ。出会うタイミングがどうであれ、私は私の選んだ道を歩んでいたと思います。そうでなければ、私ではなくなってしまうから」
やがて彼はゆっくりと立ち上がり、深く息を吐いた。
「心のどこかでは......わかってました。でも、今、この地にいらっしゃるなら、もしかしたら望みがあるのかも、と考えたのです。初めて学院でお会いして、あなたに目を奪われて。そこからずっと頭から離れないのです。殿下に忠誠を誓っておられるとは言っても、結婚はまた別ではないかと......」
そして座り込んだまま再び大きくため息をついた。大きな体が前のめりに丸くなるその姿についつい笑いが出そうになる。
「ドミニクさん、本当に申し訳ないのですが、自分があまりに女性として見られることが無さ過ぎて、こんな風に思っていただけていることが嬉しくて 」
ドミニクはガバッと立ち上がると、レオノーラの手を取ってギュッと握る。
「何を言っているんですか。あなたが素晴らしい女性であることは誰から見てもわかることです。そんな、女性として見られていないなんて。はぁ」
そう言って、レオノーラの手を握ったまま肩を落とす。そんな彼に向けて穏やかに声をかける。
「お断りをしたら、もう、言葉を交わすこともできなくなりますか?」
相変わらず自分の厚かましさは、筋金入りだと思いながら言葉を続ける。
「できれば、今後はよき友人として、友情を深められたらと私は思います。お嫌ですか?」
ドミニクは顔を上げず、レオノーラの手を握ったまま、じっとして、再び大きくため息をついた。
「そう簡単に気持ちを変えることはできないかもしれません。ずっと長くあなたを慕ってきたので。かといって、あなたを嫌いになれるかということでもない」
そして、小さな声で続けた。
「私自身が大人になれるよう、ゆっくりと心を整理していくようにします 」
彼のその言葉に、レオノーラは、本当になんて誠実な青年なのだろうと心を打たれた。きっと彼ならば自分よりも、もっと幸せを与えてくれる女性にすぐに出会えるはず。
「もう随分と遅れてしまったので食べるものがあるか分かりませんが、ひとまず晩餐の席に戻りませんか?」
そう声をかけると、ドミニクはゆっくりとレオノーラの手を離し、そうですね、と力なく応えた後「ちょうどいいかもしれません。食事はあまり喉を通らなさそうですから‥‥」そう言って肩を落として横を歩き始めた。
こんなに大きな体なのにぬいぐるみ感が拭えないのは、優しい雰囲気と誠実な性格だからなのだろうなとレオノーラは思った。
晩餐の会場に戻ると、すでにメインの食事も出揃い、広間の中は席を立って話をする人でざわついていた。
「温かい物をもらってきたので、どうぞこちらを召し上がってください 」
ドミニクが、料理の皿をいくつか持ってきた。どう接すればいいかまだ躊躇している風ではあったが、レオノーラとしては少しホッとした。
「ありがとうございます 」
微笑み返すと、少し潤んだ瞳で見つめ返された。申し訳なさで胸が痛いが「下手に答えを濁すのも誠実ではない」そう思って、重い足取りで中央付近の席に戻っていくドミニクの背中を見送った。
◇◇◇
主賓席の片隅で、アビエルは、ゴドリックと今後の国交方針について静かに言葉を交わしていた。ふと、ゴドリックの視線が何度も広間の一角へ逸れているのに気づく。
「……どうかされたのですか?」
その問いに、ゴドリックはやや気まずそうに微笑み、低く切り出した。
「殿下にお伝えすべきことか迷っていたのですが……実は、弟のドミニクが、レオノーラ=ヘバンテスに結婚を申し込みたいと、私と父に相談してまいりました」
アビエルの胸が、静かに冷えていく。つい先ほどまで心に残っていた彼女のぬくもり――触れた手、交わした言葉の余韻が、失われていく感覚に襲われた。
「もちろん、彼女は優秀で聡明ですし、私たちも弟の気持ちを尊重しています。ただ……彼女は殿下に忠誠を誓い、帝都に戻る立場にある。辺境に嫁ぐことが現実的かと言えば、それを彼女が良しとはしないように思っていました」
ゴドリックは遠慮がちに言葉を選びながらも、弟の真剣な思いにも心を動かされているようだった。
「……ですが、あの様子を見る限りでは、うまくいったようには見えませんので。この話は、どうか忘れていただければ」
苦笑交じりにそう言いながら、彼の目はドミニクの姿を追っていた。皿を手に、レオノーラの席へ向かい、そして静かに自席へ戻る弟の後ろ姿に、アビエルも自然と視線を向ける。
わかっている――彼女は、誰かの妻になることなどない。自分以外の男と結ばれる姿などありえないのだ。
『――世界で一番、あなたを愛しているのは私――』
その言葉を思い出すたび、普段は、自らを主張することの少ない彼女の、自分への独占欲に堪らない幸福感を感じていた。全身に満ちていたその幸福感が、こうして外部から簡単に脅かされる現実に、打ちのめされそうになる。
本当は、堂々と、自分の傍にいてほしい。誰に対しても、互いが思いあっていることを告げてしまいたい。だが、それを今望むことは、相手が自分である以上、彼女の尊厳を奪うことと等しい。
喉元にせり上がる苦しい思いを飲み込んで、いつもの柔らかな声を保ったまま、ゴドリックに応じた。
「これから、彼女には外交の最前線で活躍してもらう予定だ。手放すわけにはいかない」
「……失礼しました。つまらない話をしてしまって」
ゴドリックは気まずさを抱えながらも礼儀を失さず、そっと目を伏せる。アビエルは緩く笑顔を浮かべ、感情の揺らぎを見せることなく、グラスの中のワインを一口含んだ。
「ドミニクは立派な青年だ。いずれ、ふさわしい相手と巡り会う日が来るだろう」
そう言いながら、心の奥底では、レオノーラとの結婚......自分がどれほど望んでも手に入らないそれを、周りに認められて果たそうとするドミニクが妬ましかった。
アビエルは冷えた笑みを唇に貼りつけ、目の前の現実に、静かに耐えていた。
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