16:皇太子の来訪4
ローレンスは当惑していた。皇太子が城壁塔を見てみたいというので連れてきたのだが、この狭い城郭の階段通路を、ゾロゾロと侍従やら大臣やらを連れて登るのは大変過ぎる。しかも城壁塔の上は大人三人も入ればいっぱいになる狭さだ。
「殿下、この城郭の階段を上がるのは大変でございましょう。皆で上がらずとも後で上にいる者に話を聞くのはいかがでしょうか?」
付いてきた大臣補佐のホイセンが、汗を拭きながら、できれば上がりたくないという気持ちを滲ませながら言う。
「しかし、城壁塔からの警備がどの程度の範囲かをこの目で確認したいのだが......そうだ、コルトレイン卿、今日はこの上に誰が番をしている?」
「ええと、はい、今はヘバンテスがこちらの城壁塔の番をしております 」
「あぁ、なるほど。それは都合がいいな。私は、彼女をよく知っている。では、私が一人で登って彼女にこの城壁塔からの警備の範囲などを聞いてくることにしよう。皆で登っても上も狭そうだしな 」
「しかし、殿下をお一人で上がらせるなど、万が一何かあってはいけませんし。わたくしも参りましょう」
そう言い募ると、皇太子が微笑んでこちらを見る。
「この狭い城郭の階段でどこかから襲われるということもあるまい。せいぜい転がり落ちぬようにしておくから大丈夫だ。良ければホイセンたちに城郭周辺を案内してやってくれないか。その後、近くの木陰で彼らを休ませてやってくれたらいい 」
お付きの面々が一様に、長い狭い通路階段を上がらずに済む、とホッとした顔をした。いたしかたなく狭い入り口の扉を押し開け、皇太子が入れるように間口を開ける。
「では、お気をつけて上がってください。」
声をかけると、皇太子が一瞬、とんでもない笑顔を見せた気がした。が、気づくといつもの微笑みを浮かべて頷いていたので気のせいだったのかもしれない。
「そうだな、足元に気をつけて上がるようにしよう。」
随分と軽快な足取りで上がっていく。そんなにここからの景色が見たかったのだろうか。確かに城壁塔の上から眺める景色は遠くが見渡せて見応えがある。皇太子は。帝都で生まれ育ったから、田舎の景色がすごく好きなのかもしれない。
◇◇◇
城郭の階段を誰かが上がって来る足音がする。交代にはまだ随分と早い。聞きなれた足音だが、まさかね。
「アビエル...様」
念のために、ちらっと後ろを見る。
「私一人だよ 」
最後の上り口を手を取って引っ張り上げてやる。
「どうやってここへ?また、何かを抜け出して来たの?」
「まさか、視察だよ、視察。城壁塔からの監視状況の視察だ。すごいな。素晴らしい景色だ 」
城壁塔は最北の城郭の西と東に一つずつあり、目の前にはうっそうとした針葉樹の深い森と、その向こうに連なった山脈が見える。西側の山脈の向こう側はルーテシアで東側はゴルネアだ。今は、夏の始まりというのもあって、新緑がまぶしく、山脈の峰が青々としている。
「あの、西側の端に見えているのがルーテシアに続く川だね。」
「そうよ。こちら側では川幅も大して広くないし、水量も少ないけれどあの山の向こうから流れてきているわ 」
アビエルがレオノーラの腰に手を回し、抱きしめるようにして周りを眺め始めた。
「特にどういうところを監視しているの?」
「そうね。たとえば、あっちの森の入り口の小道の先には山に続く渓谷があるの。わかるかしら、あの、木々の切れ目のようなところ」
「あぁ、左右から木がかぶさったように見えるところかな 」
「そうよ。それほど大きな渓谷ではないけど、山を越えてきて身をひそめるにはちょうどいいの。夕方になって入っていくような者がいれば、そのあとの巡回で確認しに行くわ。後は、村人が領の外に出かけて行くのや帰って来るのを見守るのも大事な仕事ね 」
アビエルはレオノーラのつむじに顎をおいてじっと山の方を見ている。
「‥‥ここの監視は、冬はすごく寒いだろう?」
「そうね。この時期でもかなり風があるし、ひんやりしてるでしょう? 冬は、それはもう驚くほど寒いわ。屋根があるとはいえ、雪は吹き込むし、監視してる間に雪に埋もれてしまうのよ。」
と笑いながら言う。それを聞いてアビエルは困ったような笑顔を向ける。
「おまえにばかり辛い思いをさせてしまって。すまないと思っているんだ。本当はこの会談のあとで帝都への帰還をすすめようと考えていたんだが・・・今は時期が悪くて 」
また、前を向き直りじっと外を眺める。レオノーラは腰に回した彼の手を手袋越しにさする。
「グレゴール宰相の件ね。本当に、何が起こるかわからないものね‥‥」
少し前の手紙でも報告を受けていたし、自分のことを良く思わない一部の人たちがいることも知っている。腰の手をポンポンと叩いて、笑いながら言う。
「『アドルフさん』の送ってくれる防寒具の威力がすごいから、一晩雪に埋もれても全然なんともないのよ。ブーツの中に汗をかくくらいよ。そういえば、あの白いクマのベッドカバー、あれ驚くほど暖かいの。冬なのにシーツの隙間に裸で寝られるくらいなのよ。服を着たら汗をかくわ。本当にすごいわね、あれは 」
「そうか、裸でね。なるほど」
アビエルが顔を覗き込んで、何か含んだような微笑みを浮かべた。せっかく気持ちを楽にしてあげようと思って言ったのに、どうも何か不埒なことを考えているようで解せない。そうこうしているうちに城郭の階段を上ってくる足音が聞こえた。
「レオ、交代......」
アーウィンが顔を上げて、レオノーラ以外の人間がいるのを見てギョッとする。上り口を引っ張りあげてやって、三人で城壁塔内にぎゅうぎゅうに立つ。
「アーウィン.......アビエル皇太子殿下が視察に来られたの」
さらにギョッとした顔をしたあと、どう挨拶をしたらいいかがまったくわからず、唖然として口をパクパクしている。
「やぁ、お邪魔したね。城壁塔からどのように監視をしているのか見させてもらっていたんだ。では、レオニーと一緒に下りることにしよう。この後の警備よろしく頼むよアーウィン 」
アーウィンは、は!え、殿下‥と返事の仕方に困り、アビエルが狭い間口に体を下ろす間、ずっと下を向いていた。レオノーラは、緊張ととまどいで固まっているアーウィンの肩をポンと叩いてアビエルに続いた。アーウィンがかわいそう、と二人でクスクス笑いながら手を繋いで城郭の階段を降りた。
◇◇◇
ローレンスは困惑していた。城郭をぐるりと大臣たちに案内したあと、近くの木立で侍従たちが休憩の場を設けた。
皇太子はなかなか城壁塔から下りてこない。そうこうしているうちに交代の警備兵が上がっていくのが見えた。しばらくして、皇太子とヘバンテスが下りてきた。慌てて傍に行こうとしたら、二人の雰囲気が随分と親密そうで、一瞬ためらった。
皇太子もヘバンテスも互いに見たこともないような楽し気な笑顔で話している。ヘバンテスも愛想はいいが、いつも何かを思い図ったような表情なので、感情が読みにくい。大声で笑ったり、怒ったりしたのを見たことがない。
フィオナの事件の時も翌朝ひどい顔をしていたが、辛いとか怖かったとかそういう吐露をしないので、逆に気持ちをため込むのは良くないと思い、少し厳しい一言をかけた。察しの良いヘバンテスはきちんとこちらの意図をくみ取って、気持ちを持ち直していた。
一向にこちらに向かわず談笑している皇太子に走り寄り、声をかける。
「殿下、城壁塔からの見学はいかがでしたか?」
「あぁ、素晴らしかったよ。いい景色だった。レオニーにどのように監視をしているかも教えてもらった。実に有意義だった。ありがとう 」
そう言ってヘバンテスに楽しそうに笑顔を向ける。
「それでは、アビエル殿下、私はこれで失礼いたします。お会いできて光栄でした 」
ヘバンテスは、礼をしたあと馬の所へと去っていく。その姿を見送る皇太子の目が、なんというか‥‥確かにヘバンテスはルグレンと違ってちゃんと敬語だ。正しい皇太子への礼を保っている。しかし、その、二人の間に漂う雰囲気は‥‥なんというか。なんだろう。ルグレンが言うように、自分の妻が皇太子とこの距離感だったらそれはとても嫌かもしれない、と思った。




