14:皇太子の来訪3
レオノーラが夜の警備を終えて、ようやく朝方に部屋へ戻ると、作業机の上に干した棗が籠いっぱいに入っていた。
添えられた小さなメモには、見慣れた筆跡でこう記されている。
『棗は疲れを取るらしい。よく休んでくれ。――A.』
どうやら、アビエルが部屋に来たらしい。
鍵はしっかりかけていたはずだが……彼のことだから、驚くような手段で入ってきたに違いない、彼ならありうると思った。
「……美味しい」
棗をひとつ口に運び、ぽつりと呟いた。
想われている。その実感が胸にあたたかく染み渡り、急に眠気が押し寄せてくる。
(こんなふうに気を遣ってくれるなんて……)
這うように寝台へ向かい、そのまま満ち足りた気持ちで深い眠りへと落ちていった。
◇◇◇
ローレンスは驚嘆していた。朝から皇太子を案内しているのだが、驚くほど領内のことに詳しく、領主からもらった情報がすでに全部頭に入っているのか、と不思議でならなかった。
皇室の関係者が領内を見回るのは十数年ぶりと聞いている。
「この橋が先日復旧したという橋だな。水害で壊れたということだが、水害自体はよく発生するのか?」
「はい、特に雪解けの水が里に流れ始める春の終わり頃に雨が降りますと、それも相まって洪水になりがちです 」
「橋の損壊以外に洪水の被害はあまりないということだが、むしろ河口に肥沃な土が流れて助かるのかもしれないな 」
「はい、川の近くには家を作らないように領民には徹底していますし、作物が実ってからの洪水というのはあまりないので、被害は少ないと思います。ただ、生活道路として、橋がないとルーテシアとの国境へ向かうことができなくなりますので、壊れてしまうと修復するまで交易に支障がでます 」
「なるほど・・・・南の国には雨のよく降る時期というのがあって、川がよく氾濫するのだ。毎回、橋を直すのではなく、いっそ洪水の時には橋を川に飲み込ませてしまう、というのがある。水が引けば元に戻る 」
「は?橋を沈ませるのですか?」
「そうだな、そんな感じだ。まぁ、後でベリテア伯に詳細を伝えておくよ。冬場は使えなくても問題ないのならそういう方法もあるかもと思っただけだ 」
皇太子が実に有能であるという噂は聞いていた。華やかな見た目にも関わらず、浮ついたところがない。
二年ほど前、婚約者であった公爵令嬢の亡命騒ぎの後、次の妃候補が一向に決まらないので、何か本人自身に重大な問題、例えば、不能ではあるとか男色であるとか、かなり噂になっていた。 ルグレンに聞いたら、いつものように肩をバンバン叩いて、アビエルはムッツリなのよ、と言って笑い転げていた。
「ところでコルトレイン卿は、警備隊の隊長もされているのだな 」
「はい、そうです 」
「できれば、その勤務表が見たいのだがいいだろうか。警備隊の勤務状況を見て、人員に不足がないか確認したい。辺境領では夜間の警備や領内の巡回などやらねばならないことが多いだろう?増やすべきところに人を当てるというのも大事だと思うのだ 」
「ありがたき配慮です。後で、領主館の侍従に持たせますので 」
「あぁ、頼む 」
こんな細かいことにまで気を配るとは。ローレンスは皇室の人間は雲の上の神様的な存在だと思っていたので、本当に驚き感心してしまった。
◇◇◇
「やぁ、おかえり」
午後の勤務を終えて部屋に戻ると、作業机の椅子にアビエルが座って、レオノーラが机の上に置いていた読みかけの本を読んでいた。
「.......アビエル、どうしてここにいるの?今は晩餐の時間ではないの?」
皇太子のいる二週間、城では毎晩、皇太子の為の晩餐が行われているはずだ。その皇太子がなぜここに?
「今日は、終日、領内の山側を馬で動き回ったので、疲れが出て起きられない気分だった。なので、大臣たちに晩餐を任せて出てきた」
「起きられないって......ここにいるじゃない。」
制服を脱ぎながら呆れたように言うとアビエルが満面の笑みで応えた。
「どうやら帝国の皇太子はあまり体が丈夫ではないようだ。すぐ疲れて寝込んでしまうらしい 」
「だいたいどうやって入ったの?鍵をかけていたはずなのに。」
するとアビエルは大きな輪っかについた鍵をブラブラさせて、
「扉の近くにスペアの鍵を引っ掛けておくのは得策ではないね。だいたい、この建物の部屋の鍵は全部同じだ。これは防犯としてはまったく意味がない。困った話だね 」と平然と宣う。
コンコンと部屋のドアを叩く音がして、世話係がお湯を持ってきたと告げる。レオノーラはなるべく部屋の中が見えないように扉を開け、湯桶を受け取った。
「今日はすごくお腹が空いているから、いつもより多めに夕飯を用意してもらっていいかしら?部屋の前に置いてもらったら湯を使った後で食べるわ 」
世話係にそうお願いして、部屋の中のアビエルに向き直る。
「あの・・・・体を洗いたいのだけど。」
困ったような顔で言うと、アビエルがそれがどうかしたか?というように片方の眉を上げた。
「この部屋には、ご覧のように他に部屋はないの。そして衝立もないの。いつもは一人だからこの洗面のところに桶を置いて体を洗っているのよ 」
あぁ、というようにアビエルが頷き応える。
「いつも通りにしてくれていいよ。私はレオニーの顔を見に来ただけだから 」
レオノーラはため息をついて、ゆっくりと噛み砕くように言う。
「……体を洗いたいの。だけど、あなたがそこにいたら……丸見えになってしまうのよ」
レオノーラはやや強めに言い、アビエルの肩に手を置いて無理やり窓の方へ向けさせ、椅子に座らせた。
「絶対に、こっちを向かないでね。いい?」
「はは、今さら何を……」
だが、レオノーラが気づかないうちに、窓ガラスには彼女の姿が柔らかく映り込んでいた。
アビエルはその幻のような輪郭に目を細めながら、息を潜めてじっと座っていた。
体を洗っている最中に扉がコンコンと叩かれ、世話係の、ここに夕飯をおいておきますよ、という声があった。ありがとう、と叫んで、寝衣を羽織る。夕飯を部屋に取り込んで作業机に向かうとアビエルはとっくにこっちに向き直っていた。少し目の端が赤らんでいる。本当に疲れていて体調があまり良くないのかもしれない。
「何か食べたの?もし、良かったら、とても晩餐とは言えないけど、一緒に食べない?」
そういって、作業机に夕飯のトレーを置く。食器が一組しかないので、それはアビエルに渡して、自分はスープにちぎったパンをつけて食べた。アビエルが、領内を見て気付いたことについて話す。
「流入者が越えてくる道は、だいたい決まっているようだった」
「ええ、通りやすい場所を選ぶのは当然よね。命がけで越えてくるんだもの」
「向こうから来る者たちに、決まった場所へ誘導できればいい。
そこで聞き取りと受付を済ませ、不用意に村に接触させなければ、村人の不信感も和らぐ」
「でも、それには新しい詰所が必要になるわ」
「領内巡回の中継点にすればいい。昼間だけ交代で詰めれば負担も減る。ベリテア伯に提案してみよう」
ほんのささやかな夕食。
その席にあるのは、恋人たちの甘い囁きではなく、領民の未来を語る冷静な対話。
だが、そんな現実をともに語り合える関係こそ、レオノーラにとっては何より大切なアビエルとの絆だった。
そして、そんな風に話をしながら、いつの間にか夜は更けていった。
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