11:皇太子の来訪1
雪が解け、辺境伯領の草原に黄色や青の小さな花が顔を出し始めた頃、先ぶれがやってきた。
「一週間後、皇太子殿下の馬車が到着される」と領主に伝えられたその報せに、館も城も騒然となった。
かつて皇族の訪問があったのは、もう何十年も前のこと。
久方ぶりの“本家”の来訪に、誰もがそわそわと落ち着かず、侍女も兵も、料理番までが小走りで駆け回っている。
すでに各地の小領主には通達してあり、不法流入民の状況、治安問題、中央からの援助の必要性などを整理しておくよう命じていた。
今回の巡幸では、皇太子自らが辺境の現状を把握し、北方との関係について各領と直接話し合うという。
――本気で、皇室が北の問題に乗り出すつもりなのだ。
「皇太子は外交任務から戻ったばかりで、その実務能力を内外に示そうとしている。辺境は北の防衛線として、皇太子殿下の目に留まっているようだ。これを機に、領民たちがより良い支援を受けられればいいが……」
思いにふけるベリテア伯爵の表情は、痛みと期待が交錯していた。
◇◇◇
レオノーラは、城壁塔の上から皇室の馬車列を見下ろしていた。
馬車での長旅を好まないアビエルが、馬車に揺られている。
(きっと、腰が痛くてたまらないでしょうね)
思わず口元が緩む。
自分が馬でこの地へ来たときは五日かかった。馬車なら、よほど道を整備していても一週間以上はかかるはず。
城郭の外門をゆっくりと通過していく馬車たちを見つめながら、レオノーラはそっと心の中で呟いた。
――ご苦労さまですね、殿下。
馬車のひとつに彼が乗っていると思うと、胸が落ち着かなくなる。
誰にも見られていないのをいいことに、思い切り頬を赤らめたり、ニヤニヤしたり、忙しなく心が跳ね回る。
夕方の交代で城壁塔を降りた後は、クロイエムとともに領内の見回りへ。
領主館と城との間には、整然と並べられた皇室の馬車がずらりと居並び、館の方からは出迎えの声と人のざわめきが絶えない。
「皇太子が来るなんて、かなり久しぶりらしいな。準備がえらい騒ぎになってる。料理番のボウマンがさ、料理長の気が変になりそうだってこぼしてた」
「料理長も、きっと領主様と何度も相談が必要だったでしょうね。お出しする料理ひとつにも、辺境伯家の面子がかかっているのだろうから」
「レオは、皇太子ってのを見たことあるんだろ? なんせ皇宮にいたんだし。俺たちと歳、そう変わらねぇんだよな?」
「そうね。クロイエムと同じくらいかしら。……とても、綺麗なお顔をしていらっしゃるわ」
「そりゃまあ、俺たちみたいに肉体労働はしてないだろうしな。陽に当たって肌が荒れてたりなんかしないんだろ」
「でも、剣術も体術も、私よりずっとお強いわよ。よく訓練なさってるし、立派な体躯をしていらっしゃるわ」
――ええ、本当に。大きくて温かい手。鍛え上げられた上半身。引き締まった腰。
そこまで想像してしまって、レオノーラは一気に頬を赤らめた。
頭に浮かんだ妄想を慌てて振り払うように首を振ったとき、ちょうど前方で荷馬車がぬかるみにはまり、立ち往生しているのが目に入った。
「……あれ、助けに行きましょう」
妖しい妄想を振り払うようにそう言って、歩みを早めた。
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