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1、何でもないただの夢

茜色の雲が空を縫っている。

草原に佇み、変わり行く空をただ見果ていた。

ふと薫風が身体を抜けていく。

さわと木々が揺れ、葉擦れの音が心地よい。

木の香が鼻腔を擽る。

遠く橙に揺れる幻月が蜃気楼のように揺れる。

空の階調が次第に漆黒へと飲み込まれ、湖面は深い紺碧に様変わりしていく。

漣が立つ水面が次第に曇りなく凪いでいく。

やがて音が聞こえなくなる。

漆黒に目をつぶる。

次第に黒に飲み込まれていく感覚。

それを無心に感じる。


チリーン。

気がつけば違う場所に立っていた。

どことなく懐かしい匂い。

どこか不思議な世界。

寝ている自分をどこか俯瞰しながら眺めているような、おかしなな感覚。

ここは一体どこなんだろう。

ふと風が吹き、花びらが頬に張り付く。

後方を見上げると桜が散っている。よく見渡せば周りには桜の大樹は自分を囲うように鎮座している。

夕刻、茜色の空と薄桃の対比が綺麗だった。

「…や」

今までどこにいたのだろうか、俺のすぐ上に1人の少女が現れる。

赤い装束に身をまとった少女。その相貌は和装には似つかわしくないくりくりとした丸い目と薄い亜麻色の髪。

あぁよく見知った顔だ。

何度も見てきた。

ただ彼女を見つめていると、彼女は何も言わずぺたんと座り込んだ。

ただ俺の顔を眺めている。

その大きい瞳が、深い茶色の虹彩が、何も言わずにただ俺の目を見つめている。

じっと。

でもただこの時間が何故か心地よい。不思議と居心地が悪くない。

綺麗なまつ毛。

ふと、そんなことをぼやっと考えていると、彼女は更に顔を近づけてきた。

これ程顔を近づけてきても、心臓が跳ねるなんてことは無い。まるで自分が体と別の部分で思考しているような不思議な感覚。

そのまま俺の目前で止まる。

「こんな時間が続けばいいのにね」

今までずっと話さなかった彼女が口を開いた。

そうだね、僕もそう思う。

穏やかな時間が流れる。

舞い散る桜はとどまる所を知らず、桜吹雪が二人を飲み込む。

閉じた目を開けると彼女は既に立っていた。

「でも、もうそろそろみたいだね」

もうそろそろ?

その言葉に胸が締め付けられるような感覚に陥った。

「そう。ゆっくりはしてられないよ」

そうか、そうだよな。

いつまでもこうしている訳にいかない。

でも、本当は君ともう少しだけゆっくりしていたいんだけどな。

ふふ、と寂しそうに彼女は笑った。

「だめだよー?いつまでも寝坊助してたら。いつまでもいると思うな親と私」

彼女は笑いながら、でも少し寂しそうな顔をしておどけて見せた。憂いを帯びたその笑顔は少女に似つかわしくなく、大人びて見えた。

「ホントに寝坊助なんだから…」

彼女はいつまでも居られないのだろう。

…だって君はすでにもう。

桜吹雪が強くなる。目の前は桜に包まれて真っ白に塗られた。意識が薄れていく中、少女の声が聞こえた。

ー頑張れ弱虫ゆーき。


ピピピピピピッ!!!

けたたましい音と共に目覚ましがなる。

部屋には朝日が差し込んでおり、今が朝だと認識する。

やたらと不快な音に眉をひそめながら、周りを確認する。

時計の頭にゴングみたいなやつがついてる古めかしい時計がひたすらに存在を誇示していた。

確か昔、そのコミカルな動きが気に入り、親に買ってもらった時計だ。

ただその強力な金属音は、目を覚ます用途には些か不快である。

しかし、ねだって買ってもらった手前、なんとなく手放せず渋々と今まで使い続けている。

俺はその不快な音の発信源を探るために手を伸ばす。

「あっ」

ガシャン!!

落ちた目覚まし時計が音を立てて破壊される。

「え、ちょっ」

眠気は一瞬で吹き飛んだ。

しかも、落ちた目覚まし時計はなるのを止めるのではなく、本体とゴングが分離。

更には分離した状態で停止不能なオブジェクトと成り果て、まるでゴキ〇リのように、ゴングだけがカサカサカンカンとその存在を誇示し続けていた。

「何これ…気持ち悪!うるさっ!」

最早これは兵器だ。

「お兄ちゃんうるさい!!おおぉなにこれ!!気持ち悪!」

半ギレの妹が部屋に飛び込んできたが同じぐらいの勢いで後ろに飛び去る。

扉を開けるなり目に飛び込むゴング部分だけで動く奇妙な物体。しかも、それが自分に向かってにじりよってくるんだからさぞ狂気だろう。

「目覚ましが落ちて壊れたんだ!なんとかしてくれー!」

「嫌だよ!なにこれ、気持ち悪い!ゴキブリよりタチ悪いんだけど!」

これが我が樹神家の日常。

馬鹿だけど元気な妹と賢いけどちょっぴり間抜けな兄が営むなんでもない日常。

なんでもない日常。

なんでも…ただの、夢。

…夢?

…あれ。なんか重要なことがあったような?

「ボケっとしてないで何とかしてぇ!!」

朝の喧騒に紛れてふと感じた違和感は、妹の叫び声にかき消されていった。


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