酒くさい
足を洗って応接の部屋に行ったが、リーザもトマスもいなかった。
台所にもいないので、二人とも二階にいっているようだ。
ランプを片づけていると、リーザが入ってきた。
「おかえりなさい、パウルさん。今、お茶の用意を……」
「ああ、いいよ。さっき水飲んだから。トマスは?」
「部屋で遊んでいます」
「あまり飲まなかったけど、やっぱり臭う?」
尋ねてみたが、リーザは目線を合わせようとせず、答えはなかった。
やっぱり酒くさいようだ。
「……トマス様は、お酒の匂いがあまりお好きではないのです」
ハースにつられて飲み進んでしまったが、後悔先に立たずだ。
リーザは何か言いたそうだが、言ってもいいものなのかどうか判じかねるといった風情で、重ねた手をもぞもぞ握る。
「大丈夫?」
ひとまず座ろうかと促した。
「何かあった?」
リーザは口をきゅっと結んだ後、思い切るように顔を上げた。
「トマス様は、お酒の匂いが苦手だと先程も申し上げましたが、伯爵……お父様を思い出してしまうからだと思います」
トマスの父、エルディンク伯爵カール・デュークリンガーが愛人であるエミリアの所に訪れる時には、飲酒後が多かった。
泥酔して家財道具を壊したり、使用人達に粗暴な振る舞いをすることもあった。
「使用人だけではなく、エミリア様にも」
そう話した後のリーザの顔色が少し青ざめていた。
短い期間ではあるが、彼女もそれを目にしたことがあるのだろう。
「トマスにも?」
リーザはいいえと頭を横に振った。
「少なくとも、私は見たことがありません」
パウルは腕を組んで、息を吐く。
主任が手紙を読んだ後、すぐに出立した訳が知れたような気がした。
「わかった。酒はやめよう」
「いいえ、それはいけません。ここはパウルさんのお家です。お酒、飲んでください。ただその後、トマス様が寄りつかなくなっても、そういう事情があることをご理解いただきたいのです」
「そんなに好きでも強くもないし、飲まなくても差し障りはないから、気にしないで」
それよりも、トマスが嫌なことを思い出してしまうことの方が気掛かりだ。
「ありがとうございます、パウルさん」
眉をわずかに下げて座礼をした。
パウルは窓際のベンチに置いてあるリュックサックを取って席に座る。
中から雑貨屋で買った紙袋を出して、リーザに差し出した。
「それ、使って」
中身はフェルト生地の室内履きだ。
「可愛い。でも……」
「掃除も料理もお願いしてるからね。遠慮しないで。サイズ合うか、試してみて」
玄関の靴を測って、近いサイズの物を買ってきたから大丈夫だとは思う。
試し履きしたリーザからはちょうどいいですと返事があったので、そのまま履いてもらうことにした。
「ありがとうございます、パウルさん」
今度は頬を染めて、嬉しそうだ。
「それと、これ返すね」
留めているバレッタを外して渡した。途端に前髪が目元を覆う。
「いいんですよ、私は使いませんので」
「大丈夫、代わりはちゃんと買ってきたから」
リュックサックから小さな紙袋を出し、買ってきた黒いバレッタを見せた。
「明日もよろしく」
片方の三つ編みを摘んで言うと、彼女はゆっくり相貌を崩した。
トマスに買ってきたものもあるが、今日のところはやめておく。
それより、酒の臭いを早く消した方がよさそうだ。
リーザが風呂の準備をすると言ってくれたので、二階には上がらずにこのまま風呂場に直行することにした。
明日に残さないように、水をたっぷり飲んで、アルコールを薄めよう。
台所に行くと、ボウルに布巾が掛けられている。中を見ると、パン生地のようだった。
明日の朝も焼き立てのパンが食べられそうだ。
今朝の朝食を思い出し、あれが続くなら断酒してもいい、とパウルは改めて思うのだった。