未来
光を閉ざし、現れたのは魔女、マーリン・ラクスだった。険しくもなだらかでもない無表情でマーリンはモニカとアリシアをじっと見ている。
「おーイ! ちょっと!」
「ん?」
「下下! 俺デスよ!」
「……魔導書。急にいなくなったと思ったら、こんなところにいたのか」
「あんたが忘れていったンだろうガ!」
激怒する魔導書がパタパタとモニカの頭の下で物音を立てる。すると、モニカは苦しそうに唸り声を上げながら顔を歪ませた。
「ちょうどいい、お前の力が必要なんだ」
「エ?」
「司書ちゃんはどこにいる? 全知のお前なら解るだろ」
「いやァ……解るケド、対価ガ……」
「はぁ? こうしてお前が人の言葉を話していられるのは誰のおかげだ? 対価なんてとっくに払っただろう」
「うっ……そうダケド」
魔導書は躊躇ったように口を噤んだ。すると、痺れを切らしたマーリンは、モニカの頭を支えていた魔導書を勢いよく取り上げ、躊躇無く開く。魔導書の意思とは反して、光と共に頁には言葉が紡がれていく。
魔導書は、マーリンが研究所の末に作り出した意志を持つ魔具だ。その結果、人の言葉を喋り、『全知』の力を持つ魔導書が生まれた。そのため、魔導書には自我も存在する。長い間、魔具としての価値しか無かった『全知の書』には自我が芽生えることになった。
「早く吐け。時間が惜しい」
(……あぁ、ダカラ人間っテのは嫌いナんだ)
魔導書はこの世の全てを知っている。今世界で起きていることに加え、今までのことも全て、たった1冊の本の中に内包されている。だから、魔導書は知っている。人間の恐ろしさを。人間の愚かさを。そして、人間の醜さを。
人とは、時として冷酷な生き物だ。自分の利益のためなら他人のことなど厭わない。損得勘定だけで動き、自己愛の強い、『人間』という生き物を魔導書は理解ができない。その存在を誰よりも知っているからこそ、解らないのだ。
「あんたハ、ヨク『冷たい人』と呼ばれるダロウ」
「……今そんな話は関係ない」
「話を逸らした、図星だナ」
だが、魔導書は知っている。その冷酷さが、『人間』という種の持つ欠落こそが、『人間』たらしめる所以なのだと。
マーリンは魔導書を通して頭の中に直接ねじ込まれた情報で気分を悪くする。頭を抱え、不快感が渦を巻くような未知の感覚に悶えつつも、体を支える。
「いつまで経っても慣れないな……」
「……魔女ヨ。いい知らせと悪い知らせ、どっちが聞きたい」
「時間がないと言っている」
「あァ、そうカイ」
マーリンは魔導書の言葉を無視してその場を後にしようとする。モニカとアリシアを放置したまま、魔導書から得た情報を頼りに司書を探そうと動き出そうとした。すると、吐き捨てるように魔導書が呟いた。
『まもなく、理を識る者が目覚める』
「……っ! お前、何を!」
独り言のように呟いた魔導書の予言めいた言葉を、マーリンは聞き逃さなかった。
『彼の者、その力で理を破り、世界の壁は崩壊する。交錯する世界は――』
「黙れッ!」
マーリンの怒号とほぼ同時に、バタンと、辺り一帯に本を閉じる音が響き渡る。ビリビリと振動する空気が、緊張感を漂わせる。表紙に浮かび上がっていた魔導書の顔はうっすらと消えかけていた。勢い良く衝撃のせいか、気を失っているようだ。
全知の書は、文字通りすべての知識が詰め込まれた本だ。だが、その全知の書の知識の及ばない場所が存在する。
『未来』
今この瞬間も、1秒経てば過去になる。その度に、全知の書には新たな物語が刻まれていく。だから、全知の書で未来を見ることはできない。『今まで』を知る道具である本では、『これから』を知ることはできない。だが、魔導書は別だ。
魔導書は、気まぐれに予言を残す。誰に伝えるわけでもなく、虚空に向かって全知の書は呟く。そして、魔導書が残した予言は、例外なく現実になるのだ。
しばらくすると、周りは再び静寂に包まれた。そして、今度こそマーリンはその場を離れようとする。全知の力を持つ魔導書を片手に、モニカとアリシアを置いてゆっくりと歩き出す。その、1歩目を踏み出した瞬間だった。
「”火竜”!」
「……誰だい? 君」
吹き抜けになっている2階から、マーリン目掛けて焔が襲いかかる。竜の姿をした焔は、マーリンを中心とした一定の範囲を避けるかのように通り過ぎ、マーリンは何事も無かったかのように2歩目を踏み出す。その様子を見て、2階で様子を見ていた男が大声で言う。
「おいレオ! 多分あれが本物の敵だろ」
「だからわかんねぇって! 数は多いし人に化けるし!」
「……なんの勘違いかな。私は人を探してるだけなんだけど」
「あぁ、奇遇だな。俺らも探してたんだよ。お前の足元に転がってるそいつをな」
マーリンが足元を目をやると、そこにはまだ目を閉じて気絶したままのモニカとアリシアがいた。どちらもうなされているようで苦しそうな顔をしている。
「はぁ……これも想定の内か、魔導書」
全知を敵に回すとろくな事にならない。現にマーリンは魔導書に予言を残され、旭に勘違いをされて足止めをされている。
「お前が敵じゃなきゃ、助けるよな」
「悪いね、私は冷たい人間だからさ」
全知の手のひらという舞台で、魔女と魔法使いが踊り始める。




