恩讐の炎 ―3―
モニカの人生は逃げて逃げて、逃げてばかりのものだった。見えないものを見る眼を持って生まれてきて、いいことなど何一つ無かった。たくさんの人に気味悪がられて、離れていってしまった。モニカはそれが嫌で、幼稚な言い方をすれば、辛い思いをしたくなくて、逃げたのだ。
ずっと、眼を隠して生きてきた。怖かったから。変な人だと、思われたくなかったから。こんな眼が悪いんだと、この眼のせいなのだと、自分に言い続けてきた。一度は、『誰か私の目を潰して』なんて思ったこともあった。
「小娘、妾が見えているな」
「はい」
だが――
「なんで、何も言わず攻撃してきたんですか」
もう、背を向けて逃げるモニカはいない。
「……あぁ、匂うぞ、小娘。僅かだが、その身に残る匂い……やはり!」
空気が震える。目の前の強大すぎる存在感に身が竦む。怖い。もう逃げてしまいたいと、心を叫ぶ。全身で恐怖を押さえつけて、何とか立てている。呼吸が早くなり、心臓の拍動がドクンドクンと聞こえてくる。散漫になる意識を集中させて、モニカは何とか声を出した。
「何かの間違いです。私たちは何も……」
「貴様か小娘! 我が愛娘を奪った者は!」
「……っ!?」
暴風が吹き荒れ、どこからか悲鳴も聞こえてくる。いつの間にか、空は黒いは黒い雲で覆われて、月が隠されてしまった。
もうモニカは立っていられない。こんなに直接殺気を感じたのは今日が初めてだった。旭でも、ここまで強く威圧を与えたことはない。
「許さぬ……許さぬぞ人間! 例え貴様が《《繋ぐ者》》だとしても!」
「ちょっ……と! 話を聞いて!」
「”狐火”!!!」
「わっ!」
またあの青い炎がモニカに向かって放たれる。真っ直ぐに飛んでくる炎に対して、モニカができることは僅かに身体を逸らすことだけだった。青い炎は衣服にまとわりつき、徐々に身体へと侵食していく。
「わわわわ! やばいやばい!」
少しだけ残っている水を少量垂らしても、炎は消火しきれなかった。身体に燃え移る前に服を脱ぎ、どこかへ引火させないように辺りに何も無い場所に投げ捨てた。
「……不無、上着1枚か。やはり、尾を失った代償は大きいな」
「さ、さっきから! 愛娘とか、尾とか、なんの話してるんですか!」
「黙れ人間。貴様の声を聞くだけでも腹が立つ。今の妾はただえさえ虫の居所が悪いのだ」
「だから、なんでそんなに怒ってるのかって聞いて」
「”炎天”」
「どぅわ!」
今度は赤い炎だ。旭の炎よりも薄い、どちらかと言えばオレンジ色の炎。ひらりと炎を躱し、空に立つ九尾の狐に向かってモニカは大声で言った。
「私、妖が見えるんです! 何か手伝えるかもしれない!」
「白々しい嘘を……貴様が我が娘を隠しているのだろう!」
一体九尾の狐がなんのことを言っているのか、モニカには検討もつかない。伝説の神獣、九尾の狐の娘なんて、と思ったが、モニカには一つだけ思い当たる節があった。それは――
「もしかして……ソラ?……」
「”呪怨”」
「ちょ、ちょっと待って!」
今度は紫の煙が辺りを包み込む。ものすごい速さでモニカの周りを囲い、ついに逃げ場を失ってしまった。紫の煙は徐々に空間を狭くしていき、ついにはぎゅっとモニカの身体を締め付けるようになった。それを確認して、ゆっくりと、玉藻の前が降りてくる。
「ただでは殺してやらぬぞ。我が愛を探すのは貴様を殺してからじゃ。覚悟せよ」
不思議と、後悔は多くなかった。バウディムスへ来て、1人だけではあったが友達も出来て、パーシーと楽しく過ごせた。ソラと出会って、無理だと思っていた魔法を使うこともできたのだ。もはや、モニカに心残りはなかった。
(嫌だ……まだ、死にたくない!)
やりたいことなど、まだいくらでもあった。大魔法使いになりたい。自分で稼いだお金でたくさん美味しいものを食べたい。そして何より――
(旭君と、ちゃんと向き合いたい!)
逃げることを辞めたモニカが、次に向き合わなければならないこと。復讐に囚われた青年を、解き放たなければならない。魔法はもっと自由なのだと、教えてやらなければならない。あの男に、魔法の素晴らしさを叩き込んでやらなければならないのだ。
だが、現実はそうは甘くない。慈悲などなく、九尾の狐は青い炎をモニカに向ける。もうすぐ目の前で青い炎がパチパチと燃えている。
「やば……」
「歪んだ世界」
だが、次の瞬間。モニカが青い炎の凍えるような寒冷さを感じることはなかった。
「……な?!」
死を覚悟して目を閉じたモニカは、いつの間にか大広場の反対側に座り込んでいた。少し遠く、モニカから見て、ちょうど対照の位置に九尾の狐の姿が見える。
「ギリギリのところだったけど、間に合ってよかった。ヴェローニカって子のおかげだね」
「び、ビアス先輩!?」
「いえーい、先輩助けに来ちゃった」
可愛く両手でピースをしているけれど、状況はそれどころではない。九尾の狐は猛スピードでこちらへ向かってくる。鋭い爪を立てて、早いスピードを維持したまま、モニカを突き刺し――
「おーい、何してるの。私たちはこっちだよ」
「え、あれ!?」
モニカたちはまた、大広場の対角側に瞬間移動していた。
「また移動してる……っていうか」
なぜ、対応できている?
そう疑問に思ったのは、モニカだけではなかった。
「……お主も妾が見えているのか?」
「……」
ビアスは答えない。そのまま、数秒沈黙が続いたが、結局ビアス先輩が九尾の狐の質問に答えることはなかった。
「ん、今なんか喋ってた感じ?」
「み、見えてないんですか……?」
「うん、もちろん。さっき避けたのは勘だよ」
ありえない……こともないかもしれない。目に見えない、音も聞こえない、認識もできないのだから殺気も感じることはできない。なのに、ビアスは勘で避けたのだ。
(もしかしてビアス先輩って……めちゃくちゃ強い人?)
「魔法……というやつか。壊すことしか能がないクズどもが……」
玉藻の前が怒り、溢れ出る妖気が増していることに気がついたのはモニカだけだった。妖しい気を放ちながら、右手で狐手を作る。また、アレが来る。
「先輩!」
「”鏡の盾”」
玉藻の前が放った青い炎が、鏡によって反射される。跳ね返った青い炎が玉藻の前に牙を剥いたが、片手で簡単にいなしてしまった。
「うーん、困ったな。これじゃ逃げることはできるけどそれ以上ができない」
ビアスはちらりとニカを見て何かを閃いたらしく、頭の左上あたりに電球マークを作りながら、モニカに囁いた。
「ねぇ、モニカちゃんに見えている世界、私にも見せてくれないかな」




