実技試験 ―3―
空を覆い、そのまま飲み込まれてしまいそうなかげに怯え、動くことすらできない者の中に、狂人が潜む。この絶体絶命の状況を『逆境』と捉え、今にも笑みを零してしまいそうなほど激しく揺れ動く情動を抑えこんでいる。獄蝶のジョカの言葉を聞き、ザワつく会場で、あくまでも冷静さを繕い、歓喜に打ち震える身体を隠す。
分かっていた。これはそういう試験ではない。勝つことを前提に作られていない。本来、こんな行動をする者は排斥させるべきで、だからこそ獄蝶のジョカはあんな話をしたのだろう。要するに、『命を無駄にするな』という話だ。その上で、命を賭して魔法使いとして生きる覚悟をしろ、と伝えたかったのだろう。だが、もうそれどころではいられなかった。今にでも身体が動いてしまいそうだ。本能が、戦いを求める。
「……旭。分かってるとは思うが、これは忍耐力を試されているんだよ。あれは、まだ僕たちが挑むような相手じゃない」
騎獅道旭の隣で立っている1人の男が、まるで今から旭がすることを理解したかのように警告する。腰に刀を携えた男は柔和な言葉遣いなのにも関わらず、厳しさを感じさせるように言った。しかし、そんな言葉は旭の耳に入っていない。
旭は、奇跡を見た。退屈そうに空で小さく光っている星が、あんなにも眩しく光る。なんて鬱陶しい光だ。そんなものは要らないと言いたげに、旭から魔力が溢れ出る。
「あんなもんを見せられて、やってやろうって気にならねぇやつは魔法使いに向いてねぇよ」
何が希望だ。何が奇跡だ。そんなものは、それらに頼らなければ生きていけない『弱者の戦い方』だ。旭はそんなものに頼らない。
「レオ! アレの大きさ教えろ!」
「えぇ!? 俺かよ! わざと空気になってたってのに!」
「レオノールの魔法じゃなきゃできないからね」
「ぐだぐだ言ってんじゃねぇ。早くしろ」
「あぁもう! 後で飯奢れよ!」
ピリピリと、空気に微弱な電気が流れる。やがて電気は見越し入道にまで届き、その形を確かめるように迸る。
レオノール・ブラックハウンド。電気を操る魔法を扱う、騎獅道旭の親友。精密な魔力操作に長ける。その魔法と長所を生かし、電気による探知や隠密を得意としている。
「おい……あいつクソでかいぞ」
「んなことわかってんだ。とりあえず顔面の位置だけ……」
「いや、それどころじゃない」
振動がレオノールに伝わってくる。見越し入道の正確な大きさが、電気を通じてレオノールに伝達される。手短に、かつ必要な情報だけを、レオノールは伝える。
「逃げろ」
見越し入道が、腕を大きく上げる。それに吸い寄せられるように、風が巻き上がる。受験者は悲鳴を上げ、中には死を悟る者もいた。見越し入道、そのまま力任せに振り下ろす。
「ったく、結局こうするしかねぇんじゃねぇか」
騎獅道旭が、振り返る。そして、その先にあった光景を見て絶句した。そこには、青々とした深いノーチェスの空と、いつも通りに輝く月があった。疑う必要も無い、偽りでもなんでもない、ただの空だった。見越し入道など、どこにもいない。しかし、旭は見誤る。そこには以前、到底この世のものとは思えない『何か』が存在している。
「――くそっ!」
叩きつけられるような衝撃が全身を襲う。見えない何かと空気圧に押さえつけられながら、旭は地面に叩きつけられる。
(神隠しに遭うんじゃなかったのかよ!)
「ほらほら〜、どうにかしないとこのまま全滅だよ〜」
獄蝶のジョカが作ったこの試験は至って簡単。『見越し入道を倒すこと』。だがその実、見越し入道は受験者に倒せるような相手ではない。旭の予想通り、この試験で試されているのは見越し入道を倒すことではなかった。しかし、それだけではつまらない。ただ耐え、忍ぶだけの試験が、あの最高難易度と名高いバウディアムスの実技試験であってはならない。
そうして出来上がったのが今回の実技試験だ。魔法使いとしての素質を試しつつ、魔法使いに必要な要素も確かめる。実に合理的で、この上なく理不尽な試験だ。恐らく、過去類を見ないほどの難易度だ。試験ということを放棄した、ただ実力を測るためだけの暴力に近い。
「いねぇじゃねぇか!」
「いいや、いるさ。確かにそこに存在している」
「でも見えてない!」
「そりゃそうだよ。私たちとアレでは生きている次元が違う。見えなくて当然だね」
「なら、どうやって――」
「それを考えるのが、実技試験さ」
『見越し入道を倒すために、方法を模索する』。それが実技試験の本題だ。
「耐える、逃げるなんてのはバウディアムスの生徒として相応しくない。今回の試験では、立ち向かうということ、そして敗北を経験してもらおう」
絶望の夜が始まる。




