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ライアンたちが到着した王宮にはすでに数多くの貴族がいた。
見たこともない華やかな世界に、ライアンは怖気づきそうになったが、この中に仲間入りするのだと気合を入れて、胸を張って中に入った。
自分が見知った顔などいるはずもないので、ライアンは義父たちと行動を共にした。
遠巻きに見られることもあったが、ライアンは自分が「平民」というオーラを隠しきれていないせいだと思って気にしないことにした。
これからだ。
これから、俺は貴族になる。
のし上がっていくんだ。アンジェと共に。
そうしていると、ファンファーレが鳴り、国王陛下、王妃殿下、王太子殿下、第二王子殿下、王女殿下が入場した。
ライアンは初めて間近で見る王家の面々に感無量となった。
国のトップたちと一緒のパーティ会場にいる。自分が。少し前までただの平民だった自分が、だ。
それだけで自分は特別な人間になった気分になった。
気分が高揚して、国王陛下の言葉を右から左で聞いていた。
「我が息子、娘たちと同様に可愛がっているレオニダス公爵令嬢が、この度市井での3年間を過ごし社交界に戻ってきた。しかも平民として市井に新たな事業を起こし、その影響を他国にまで伸ばしている。
我が国のますますの発展に貢献してくれた令嬢が社交界に戻ってきた。こんなに喜ばしいことはない。皆、祝おう!」
国王陛下の言葉を皮切りに、パーティが本格的に始まった。
渦中の公爵令嬢とお近づきになりたい伯爵だが、最初に言葉を交わすのはもちろん昔から馴染みのあるような高位貴族たちだ。
今はまだ挨拶のタイミングではない、ということで伯爵と共にライアンは挨拶回りへ行くがすぐに終わってしまったので、軽く食事をとろうと軽食コーナーへ向かう。
そしてその食事の美味しさにまたライアンの気分は高揚し、舌鼓を打つのだった。
しかし、それもつかの間。
ライアンは信じられないものを見た。――ソフィアだ。
「え、なんで」
どうして彼女がいるのだろう
そう思ってソフィアを凝視していると、アンジェもライアンの様子に気付き、ライアンの視線の先を追って目を見張った。
「どうしてあの女がいるの?」
「さ、さあ…、お、俺も今気づいたんだ」
「まさか……ライアンを追って来たのかしら?」
「えっ?」
「だって……私がライアンとあの女を引き裂いた形になってしまったじゃない。だから…」
そういって怯える様子のアンジェの肩をライアンがそっと抱いた。
「アンジェ、大丈夫だよ。俺が守ってあげるから」
「ライアン…」
ライアンはソフィアからアンジェを守るため、まずはソフィアの視界からアンジェを隠した。
あちらがこちらに気付くのを遅らせようとしたのだ。
しかし現実はとても残酷だ。
「ライアン君、アンジェ。公爵令嬢にご挨拶に向かうぞ」
そういって伯爵が向かったのは、ソフィアのいる人だかりの方向だった。
このままではアンジェが見つかってしまう!と思ったライアンだったが、伯爵の言葉を聞いて現実を知ることになる。
「ご挨拶申し上げます、レオニダス公爵令嬢」
伯爵が挨拶をしたのは、間違いなく、ソフィアに対してだった。
目が飛び出すのではないかという程、ライアンは目を見開いてソフィアを見た。
ソフィアは扇子で口元を隠してはいるが、微笑んでいる。
(ソフィアは、―――ソフィアが、公爵令嬢?)
ライアンはソフィアの美しさとその貴族からくる威厳に圧倒されていた。
もはや言葉を紡ぐこともできないほどに。
そしてそれは隣にいたアンジェも然りだった。
自分は貴族だ。
平民よりも教養はあるし、服も宝石も化粧品だって全て持っている。
自分を引き立てるものを揃えられる地位にいる。
平民であるソフィアはそのどれも持っていないはずだ。
しかし、綺麗な服でなくても、宝石を一つも付けていなくても、ライアンと共に過ごすソフィアは、平民であるはずなのに、貴族の私よりも全てが美しかった。
なぜこんな平民の女に負けなければならないのか。
アンジェはどろりとした嫉妬の黒い感情に飲まれた。
ライアンの家の事業を知ったのは本当に偶然だった。「これは売れる!」そう確信し、なんとか我が家が後援者になれないものかと色々と調べると、出資者は匿名。ついている。我が家の功績にしてしまえばいい。
自分が一人娘のため、婿養子を取ることが決まっているのにも関わらず、誰も自分と婚約者になってもらえなかった。
それは、父親の会話下手なところが起因しているのは知っていたアンジェ。
父親は黙るべきところで黙らない。というか、なぜ内緒にしなければならないのかを分かっていない人だ。話すことが親切だとでも思っている。
幼い頃から父親の周囲、特に、仕事関係者の令息たちから「君の父親はいい人なんだけど、ね」と苦笑いされて来たのだ。
ならば自分で動くしかない、と意気込んでみても貴族の男で我が家の商売をどうにかできる程の商才がありそうな貴族令息はみんな軒並み婚約者がいる。だが、適当な男を選んで好き勝手されても困る。
だから、ライアンが最高の結婚相手になった。
ライアンの見目の良さは棚から牡丹餅だった。
恋人がいるというので、諦めてもらおうと思ってあの日会った。
そして私は勝ったのだ。
間違いなく勝ったのだ。
それなのに、なぜあの平民が――目の前で自分が身に着けたこともない、見ただけで分かる上等なシルク生地のドレスと大きな宝石を身にまとっている。
いや、彼女は公爵令嬢だった。
だから負けて当然なのだろう。だけど、負けたとどうしても思いたくない。
平民として過ごしていたあの時からずっと、私はこの女に負け続けていたなんて。
そう思っていると、あの公園で聞いた声が耳に響いた。
「あなたのことはよく知っていてよ、リンクドール伯爵。まさかここでお会いすることになるとは思いもしませんでしたが」
どこか含みのある言い方に、伯爵夫人が眉をピクリと反応し、頭の中で何か粗相をしてしまったのではと考えを巡らせるが、特に思い当たる節がなく、気のせいだと思うことにした。
「市井から社交界にお戻りになられたこと、お祝い申し上げます」
「……」
「実は、我が伯爵家は市井でカフェを展開しておりまして」
そう自分の父親が言葉を紡ぐのを、アンジェは奈落の底に叩き落された気分で聞いていた。
それは自分がソフィアから奪ったものだ。
あの匿名の出資者はきっと「レオニダス公爵家」だったのだろう。
ああ……私も、―――終わりか。
あたふたするのをやめ、アンジェは腹を括った。
認めよう。
私は最初からこの人に負けていたのだ。
そして、許されないことをした。
どんな罰でも潔く受けよう。
覚悟を決め、アンジェが固く目を閉じたところで、ソフィアがくつりと笑う。
「反省しているようね、リンクドール伯爵令嬢」
「、」
ハッと顔を上げると、ソフィアと目が合う。
その目は何かを見定めるような目だ。
ぐっと口を結び、アンジェは再び頭を下げた。
「………はい。誠に申し訳ありませんでした。父と母はこのことを知りません。どうか、お咎めは私だけに………」
アンジェの言葉に伯爵と伯爵夫人は慌てる。
「ど、どういうことでしょうか?」
「もしかして、娘が公爵令嬢に何か…してしまったのでしょうか…?」
慌てる二人をソフィアは扇子を閉じた音だけで制して、もう一度アンジェに言った。
「いいことリンクドール伯爵令嬢。己の罪をしっかりと自覚し、邁進なさい。仮にも私が考えて土台を作ったものよ。失敗など許しませんからね」
「っ、」
アンジェは息をのんだ。
そして、もう一度深々と頭を下げ、涙を浮かべた。
「はい…!」
「3号店まで出して盛況させているのはなかなかの手腕だわ。評判が落ちたところで客足が遠のくことを見越して宣伝広告という手を打ち、客足を別のところでキープさせたのはいい考えだわ。あなた、商売の才能があるのよ」
予想外に褒められたことにアンジェは驚きながらも、顔を赤くするほどの高揚感を覚えた。
認めてもらえた。
認めてもらえた!
自分の考えで手を打ったやり方が!
「けれど、一つの家庭を壊してしまったことは真摯に詫びなさい。許してはもらえないでしょうけれど」
「は、はい。それはもう……心から」
最後に小さな声で「申し訳ありませんでした」と言ったアンジェの言葉を聞いて、ソフィアはふっと笑った。
「リンクドール伯爵」
「は、はい!」
何が何やら、と状況がつかめないが、娘が何かをしてしまったらしいことは理解していた伯爵夫妻は、ソフィアに声をかけられてビクッと体を震わせた。
「事情を聞くのはどうか帰宅後に。今後、リンクドール伯爵令嬢の経営のサポートをすることで、この件に関して私からは不問といたします」
ソフィアがそう微笑むと、伯爵も頭を深々と下げた。
「承知いたしました。寛大なお心、感謝申し上げます」
夫人もそれに習う。
しかし、ライアンだけは――頭が追い付かず、呆然とソフィアをまじまじと見ていた。