早乙女遥とは
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私の白いベンツは街の中を進んでいく。
高級住宅街ではない。普通の住宅街だ。一軒家がぽつぽつと建てられていて、小さいけれど庭があって、夏はそこでバーベキューをしたり、家庭菜園が楽しめたりするような感じだ。
そこの一角に車が止まった。
「時間もそろそろ帰ってきているころだし、丁度いいでしょう。リキさん、お菓子の入った包みを頂戴」
リキから、丁寧に紀州庵と書かれた包装紙にラッピングされたお菓子を受け取った。手に取っただけでいい匂いがしてきそうだ。
「はい、お嬢。それで用事があるのはこの家で?」
「ええ、わざわざ一緒に来なくてもいいです。クラスメイトの家ですから」
余計に心配だ、というリキの横顔が見えた。心配なのはお前ではなくクラスメイトの方だ、という目だ。
リキはその気持ちは声に出すことなく、車のドアマンに徹した。私が車から降りると、リキは車の前で立ってじっと待っていた。
「本当にいらんのですかい?」
「大丈夫です」
そう言って私は家の呼び鈴を鳴らし、どうぞの声を聴いて玄関の中に入っていった。
他人の家は、その人の生活の匂いが染みついている。自分の家では決して気づくことのない独特な香りだ。その子の家はやはり淡く甘い香りが漂っていた。多分、柔軟仕上げ剤の香りなんじゃないかなと思う。でも、嫌いじゃない匂いだ。
玄関先でその子の母親が立っており、私がこの家に来ることに驚いていた。
桜小路サクラの悪評は、この街中で広がっている。
母親はきっとなんで玄関マイクホンで対応しなかったのだろう、と後悔しているに違いない。こんな危ないガキんちょの相手なんてしたくないのは明かだった。
「早乙女遥さんにご用件があって来ました」
私はそう述べると、早乙女遥の母親は困り果てた様子だった。
私には虐められてはいないが、ひとにらみだけで子供を震え上がらせ、子供を早退に追いやったのだ。当然悪い噂しかないサクラとは会わせたくないだろう。目を付けられたのは知っているし、今度は何をされるかと思えば子供を差し出すようなことなどできない。
私が来たことを知らなかった早乙女遥が玄関に顔をひょっこりと現し、大きな二重まぶたの目が、さらに大きくなって、玄関に現れないで隠れていれば良かったと後悔していた。
「うちに用事? 何の用?」
早乙女遥は帰って来たばかりで、シリウス学園の制服を着たままの姿で現れた。
アニメの世界と同じ、肩よりも少し長い黒に近い藍色の髪に、人の良さを感じる少し垂れた目じりに、平均身長くらいの約145センチメートル、薄っすらと白い肌の色の少女はまだ幼さを感じる声だった。しかし、この声は前世で聞いた声と似ている。数年できっと全く同じ声になっているのだろう。
『いつか見た笑う君の側』のヒロイン、早乙女遥と同じ声に。
私は本日の授業中、早乙女遥ってどこかで聞いたことあるな、と思っていた。
すると、授業中に先生から早乙女遥が立たされて教科書の朗読をさせられていた。
その声がやっぱりどこかで聞いたことがあると思いしばらく時間がたって、早乙女遥が『いつか見た笑う君の側』のヒロインで私の一押し、推しキャラであることを思い出した。
元のアニメでは、早乙女遥は確か高等部でシリウス学園に入学するのだけれど、実はこれは再入学で初等部で桜小路サクラの元キャラの桜小路九頭に虐められてシリウス学園から逃げ出し、それでもシリウス学園で勉強したいことがある、ということと、桜小路九頭に負けたくないという思いから再度入学するというのだ。
私はその早乙女遥の前に立ち、そして頭を下げた。
「先日は、早乙女遥さんに失礼な言動をし、そのため早退させてしまいました。本日も早乙女さんの様子を見れば私のことを見て怯えている様子でした。それで、謝罪をしに来ました。本当にすみませんでした」
時計の針の進む音だけが聞こえるような、今日に無音となる空間。
うるさい教室が一瞬だけ唐突に静かになる、あの不思議な瞬間のような静けさ。
呼吸音すら止まっていた。
1分程度、時が止まっていたのではないかと思えるような濃厚な重みを感じ、やがて静かに音が聞こえ始めた。
「え……?」
私は早乙女遥が驚いて声を上げたが、私は頭を上げなかった。許しを得たわけではないので上げられない。
「急にどうしちゃったの? 本当に桜小路サクラさんなの?」
「そのとおり、私が桜小路サクラです」
「とりあえず、桜小路さん、お顔を上げてください。このままではお話しづらいでしょう」
早乙女遥に似た声の母の声が聞こえ顔を上げる。
早乙女遥の母は目の玉をを上下に動かしながら声を出していた。一般的に動揺している時にこのような目の動きをすることが多いと聞いたので、多分私の行為は戸惑うのだろう。
「……わたしをいじめたりしないの?」
早乙女遥が振り絞った声を出したので、それに私はうなずいた。
「この後、わたし、誘拐されて内臓を取り出されたりしないの?」
一体どういう私こと桜小路サクラの悪評が流れているんだよ。
記憶を思い出しても、そんなヤバいことしたことないぞ。
でも、原作の私の元キャラの桜小路九頭はそれまがいのことはしでかしていたから、文句の一つ言えない。
「私は今までどうかしていました。謝っただけで許されるとは思っていません。早乙女遥さんに私が行ったのは睨めつける行為くらいだったと思いますが、大変怖がらせたと思います。また、私の今までのやってきたことから恐怖を感じたと思います。二度とそのようなことは致しません」
「ほ、ほんとうにどうしちゃったの、桜小路さん?」
「どっきりとかそういうつもりはありません。本当に謝罪をしにきました」
早乙女遥は私が悪いものを食べて頭がおかしくなったんじゃないかな、というようなちょっと失礼な顔つきをしていた。でも、私は謝罪する側なのでそこに文句を言える立場ではない。
早乙女遥の母が
「とりあえず、娘が最近早退した理由について聞いております。睨まれた以外にされてはいないがこれからが心配だ、と。本当に娘をいじめたりしませんか?」
と私を見据えて声をだした。少し怯えているけれど、子供を守ろうとする母の目だった。
「決してそのようなことは致しません。書面が必要ならば書面を準備してからお伺いします」
「そ、そういうことまでは必要ありません。遥、あなたはどうしたいの?」
早乙女遥にその母の視線が向かい、言葉をうながした。
「わたしは……あの、桜小路さん、本当にもう怖いことしないの?」
「はい」
「誰もいじめないの?」
「はい。決して誰も虐めません。余談ですが、これから過去に虐めた人に対して謝罪をしに行きます」
私は真剣さをアピールするために射貫くような目つきをして早乙女遥に答えた。早乙女遥は少し怖がってしまった。そういうつもりはない。
「わ、わかったよ。本気なんだ……。もうそういうことをしないなら、私は許します」
言葉とは裏腹に、私を疑うような顔つきで早乙女遥は見ていた。それは仕方ない。このサクラたんのやってきたことの数々を思い出せば、謝罪だって疑うことしかできない。
「心ばかりの品物ではございますが、どうぞお納めください」
私はリキが選んでくれたサザンマン等のお菓子詰め合わせギフトを早乙女遥に手渡し、早乙女家の玄関から出てきた。
深くため息を吐いて、白いベンツに乗り込む。心はずっと重い何かがのしかかったままだが、少しは気が楽になった。見上げた空は夕日の差し掛かり、少しオレンジ色になった晴れ渡った空だった。
推しのヒロインにいち早く気づき、会えた上に、本格的にやらかす前に謝罪出来て良かった。
いやー、やっぱり声がいいよね。ささやいているのではないのにとても澄んだウィスパーボイスに癒される。仲良くなってカラオケに一緒に行って歌ってもらいたい。そして録音したい。
推しのヒロインだから最優先で謝りに行ったけれど、明日からはサクラが虐めた他の方々に謝りに行こう。少なくても家から追い出された後に殺されるエンドは避けるために。
リキとテリーが心配そうな顔をして私の方に顔を向けていた。多分、心配なのは早乙女家が私の思い付きで酷いことをされないか、という今後の方なのだろう。私の過去の行動で私がいたたまれない。
……私の推しのヒロインは、後7年ほどでこの世から去ることになる。
何とかして彼女に生きてもらえないか、思いながら遠ざかる車の中から彼女の家を見つめた。
―――
リキ
お嬢のボディーガードとして雇われたのは7、8年前だったか。
何しろ、大金持ちのお嬢は何度か誘拐されかけたことがある旨を旦那から言われた。
それで、見た目も厳つくて、それなりの動きが出来る俺が呼ばれたのだ。
命を張る? ぶっちゃけしたくないよ、こんなお嬢のためになんて。
金がいいからな。金は。
とにかくお嬢はヤバかった。
成長すればするだけヤバかった。
誰だよ、成長すれば落ち着くと思うから、とか言って野放ししていた旦那はよ!
昔は賢い子だな、と思う時もあったが、どんどん頭おかしくなってるだろ。
見た目はとてつもなく可愛らしいピンク色の地毛の髪をしていて、天使のような顔つきなのだが、まさに悪魔の所業を平気でするクソガキだった。
業務外だと思いながら何度も止めに入った。お嬢に嫌われるとクビになる可能性があるから、たしなめる程度にしかできなかったが、それでもお嬢からは口うるさい奴だなと思われていたに違いない。
ボディーガードとして中には入れないシリウス学園内で虐め恐喝等をしていると噂を聞いてため息を吐いたものだった。
それが、心臓を止まりかけるアイスバケツチャレンジ自爆をしでかした後から、急に人間が変わったのだ。
多分、脳みそを入れ替えた誰かなのか、それとも全身整形した誰かなのかなのかもしれない。
天使のような女の子、というか、何というかサラリーマンみたいで常識を身に着けたくたびれた男みたいな感じだった。いや、でも前に比べたら俺は今のお嬢の方がいいね。俺の好きな甘いものの雑談だって興味をもって聞いてくれるし。
シリウス学園に復学したと思えば、学校帰りに謝罪しに菓子折りを持って訪れた。
最初の子以外は、全て桜小路家で把握していた子で、既に表面上は謝罪という名の賠償が終わっていた。しかし、その子たちの家にお嬢は直接行き謝罪して周ることをしたのだ。
時には虐めた子供から物を投げつけられては暴言を吐かれ、親から怒鳴られて追い返されることもあった。
でも、そんな家にも許されなくても3度は謝罪に行っていた。しかも、ボディーガードの俺を連れて行かずに単身で謝罪するために家に入っていった。本当にひやひやしたのだが、お嬢から「リキさんみたいな人を連れて行ったら、謝ったから許せよ、と脅しているようなものじゃないですか」と言われて仕方なく玄関ドアのすぐ前くらいで待機していた。
まあ、昔のお嬢ではありえない行動だった。
死にかけて何を思ったのか、俺にはわからないけれど、真っ当なお嬢になってくれたことはありがたい限りだ。それでもしばらくは謝罪の度にお嬢の側から離れなければならない日が続くので、ひやひやする日々が続きそうだ。
あ、そうだ、お嬢に今度の謝罪の菓子折りは竜月の至方六を進めとこう。バームクーヘンにホワイトチョコレートをかけるとか、考えたやつ天才過ぎるだろ。工場に行ったら時間限定でその端っこが売り出されるんだけど、これがまた
感想、ブックマーク等ありがとうございます。
申し訳ありませんが、これから面白い展開をなかなか想像し辛く、悩んだ末ですが、一週間程度経過した後に削除しようと思います。
拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございました。